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トマトが気になって仕方ない。狭山事件(五)
狭山事件のことを調べていくうちに、一つの不可解な点が気になって気になって仕方なくなってきた。
トマトだ。
トマトの存在については前述したが、当時時期外れのトマトは値段はともかく、普通に八百屋では買えていないかもしれない可能性が高い。昭和30年代後半は都市部では「スーパーマーケット」があったかもしれないが、小さな街や農村部では小売の野菜・果実店がまだまだ主流だった。
瀬岡和子氏による「昭和30年代におけるスーパーマーケットの誕生と『主婦の店』運動」によれば、「昭和31年3月に、九州・小倉に日本初のスーパーマーケット『丸和フードセンター』を誕生させていく過程を〜」とあり、セルフサービス制の中・大規模食品販売店はまだまだ普及していなかった。どこかにあったとしても、流通してないため手に入れる機会自体が少ないのだ。
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では何か特別なものを食べる機会といえばと考え、お祭りを思い浮かべた。当日「荒神様」と呼ばれる神社ではお祭りを行っていたとの記載がある。
狭山市のホームページを参照すると、「入間川地区にある三柱神社(荒神さま)では、毎年5月1日が例大祭となっており、近隣の養蚕家が参詣し、本殿の中の御神体には御供物や花が飾られ、祭礼が行われます」と記載があり、江戸時代から養蚕家の間では信仰があった。
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被害者の誕生日と毎年の祭礼の日が同じなのだ。誕生日の日には毎年この祭礼を覗いていた可能性も充分考えられる。ではここの出店でトマトがあった可能性はどうかと調べてみたところ、当日の荒神様の様子について公判調書で石川一雄さんによる供述があった。
「5月1日午後3時ごろ、荒神様の所を通る時はお参りに来た人が2、30名おりました。道路の所や荒神様の中に店が5、6軒来ておりました。店はおもちゃ屋、団子屋が出ていたことは覚えていますが、その外にどんな店があったか覚えていません。荒神様には囃子はなく、割合ひっそりしたものでした」(検事調書7月1日第2回1項)
確かにいくつかの出店は出店してたようだが、昔の出店について調べてみてもトマトにつながるようなものは出てこない。昭和30年代の主な出店は水飴屋、くじ引き、氷水、射的、金魚すくい、型抜き、ハッカ菓子、綿菓子など昔懐かしのものばかりであった。荒神様の出店で購入した、購入してもらった可能性は低いかもしれない。
そこで、トマトをどんな時に食べるか考えてみた。貴重で珍しい果物や野菜を食べれるのは、病気の時、誕生日のお祝い、冠婚葬祭.........そういえば事件当日、冠婚葬祭を控えていた人物が一人だけいる。
昭和30年代の結婚式はまだまだ式場で行われるのではなく、自宅で行われるのが普通であった。今のように式場で結婚式を行うようになったのは1964年の東京オリンピックによりホテルが乱立した後だといわれている。昭和初期の結婚式は家に嫁や婿を迎え入れる儀式という意味合いが強かった。地域の風習により特色はあるだろうが、婿もしくは嫁の家で祝膳を食べ、みんなで酒宴をしたはずだ。
なぜトマトを食べれたのか、祝いのために送られてきた、もしくは準備していた可能性があり、そのほか様々な食材が胃の中に残っていたとしても何の不自然さもない。
結婚式を翌日に控えながら自殺したO氏についてだが、被害者の遺体が発見されてから2日後にあたる5月6日、運送会社勤務のO氏(31歳)が農薬を飲んで井戸に飛び込み自殺した。
この男は新居を構えたばかりで、血液型はB型。国民高等学校を卒業し14歳から2年あまり被害者宅で作男として働いた。周囲からの評判は「真面目、小心、冷や飯の次男」
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アリバイでは、5月1日の17時から19時までは父親と兄夫婦と叔父と実家で酒を飲んでいたことになっている。捜査本部では筆跡鑑定もされたが、その結果は「類似点も非類似点もある」「五分五分」であったとされる。
叔父の話では結婚祝いを届けに行って酒盛りをしたと。父親の話では、「前夜二人で新居に泊まったが、朝気がついたら姿はなかった」とされた。
5月6日朝、農薬のエンドリンを飲んで実家脇の井戸に飛び込んだ後、引き上げられたがまもなく死んだ。一説には、母親の目の前で「俺は生きていられないんだ」「死ぬ」と叫んで土間に駆け上がり、そのまま走って15メートル先の井戸に飛び込んだ、ともされる。
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死因について検死した刑事は「溺死」としているが、最後の手当をした医師は「井戸に水はなかった」と証言している。
遺書には「病気に負けました。すまないことをしました。父母たのむ。兄妹様」とだけ書かれてあった。
自殺の原因については、「数回結婚や縁談で失敗していてノイローゼ気味だった」「数年前からある宗教にこり、ノイローゼ気味になっていた」「心臓病で悩んでいた」「インポテンツを気にしていた」「包茎だった」「新居の建築に百万ほどかかったため貯金もなくなり、結婚費用も考えて小心だから自殺したのだろう」との証言がある。
狭山では石を投げれば奥富さんに当たると言われるほど由緒ある奥富姓は最大多数であった。葬儀を延ばして家に引きこもる奥富家を、農協関係者が中心となって周りに縄を張って報道陣を締め出した。東京タイムズによると、刑事ですら「なかなか家にいれてもらえなかった」そうである。
「狭山事件 一問一答 冤罪論の疑わしさをめぐって」より
Q.真犯人は中田家の元使用人で、結婚を控えて自殺したOだとも言われていますが?
A.Oを診察した医師の証言によると、Aは性的不能でした。ですから、被害者を強姦する能力はなかったというべきでしょう。結婚を控えて自殺したのも性的不能の悩みが関係していた可能性があります。また、Oは佐野屋で真犯人の声を聴いたH.M氏の兄の家でも作男をしていました。もし、佐野屋にあらわれたのがOならH.M氏がそう気付くのではないでしょうか。
二審第39回公判より 「狭山事件を検証する」狭山事件と部落差別より
「ちょっと先生の名前は忘れましたけれども、当時陰金か何かができまして、診断を受けました。お医者さんにまあ性的に不自由だというようなことを相談しておるというようなことがわかってまいりましてー」
伊吹隼人著「検証・狭山事件」より
「彼は、狭山署員によって「身辺調査」という資料が作られているのをみてもわかるとおり、早い段階から捜査線上に浮かび上がっていた『重要参考人』の一人であった。」
野間宏「狭山事件」より
「午後急に『帰る』と言い出し、午後3時過ぎに早退した」
「3時半過ぎに現場近くの荒神様の前を歩いていた」
「午後3時過ぎ、隣家の人と荒神様にダルマと植木を買いに行こうとして新居の前を通りかかった時に声をかけられた」
「家の前に古い男用の自転車が立てかけてあり、午後4時に再び通りかかった時もまだあった。雨がしとしと降っていたが、まだあたりは明るかった」
サンケイ新聞1963年5月7日付夕刊より
「午後4時ちょっと過ぎ、帰ろうと事務所のカーテンを下ろしていると、外でAさんが自転車に弁当箱を縛り付けていた。私はこの後、まもなく事務所を出て、午後4時25分入間川駅発の電車に乗ろうとし、遅れてしまったので時間はよく覚えている」
毎日新聞5月6日夕刊より
「死因について家族の思い当たる節がないと言っている。昭和35年4月西武通運に臨時雇いで入社、36年5月には社員となり同僚の評判も良く、結婚のため4日から休んでいた。1日は出勤したが、午後3時半ごろ営業所を出ている。身代金を要求した2日夜は自宅にいたという。遺書には『病気に負けた。結婚したくない。両親をよろしく頼む』と書いてあった」
よく真犯人の一人として疑いをかけられるのだが、単純な疑問が生じる。なぜ自殺したか?病気とはなんだったのか?性的不能だったと言われているが、調べてみるとそうでもない。白癬に罹っており、一時的に「性的に不自由なところがあった」と言われており、性的に不能というのは噂の域を出ない。死体埋没現場に新居が近いことや、自殺の時期を考えてもかなり有力な容疑者ではあったが小心者と言われていた男性が20万円のために身代金を取りに行く行動がしっくりこない。作男をしていた時期も被害者が幼児の時であり、顔を覚えてないレベルの関わりである。この男性に被害者が街中で会って誘われたからといってついていくのが現実的に思えない。