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熊取町女児誘拐事件の再考

 5月20日で事件から19年が経った熊取町女児誘拐事件について再考察していきたい。正しくは「泉南郡熊取町における小学生女児に対する未成年者略取誘拐事件」であり、2003年(平成15年)5月20日午後3時ごろ、大阪府泉南郡熊取町七山地区で起こった。

 小学校の社会科見学を終えていつもより30分ほど早く少女は帰途についた。交差点で一緒に帰っていた友人3人に挨拶をし別れた。1人で歩いていたら自転車に乗った近所の男の子とすれ違った。

 その後少女は姿を消した。

 夕方になり少女が家に帰っていないことに気づいた兄は両親に連絡をする。その日のうちに付近の住民の協力を得て周辺を捜索したが、発見できず通報することとなる。

 現在も発見には至っていない。

 詳しい当日の少女の足取りは、次のようになっている。
 社会科見学を楽しみにしていた女児はいつもより1時間早く起きた。
 小学校へ登校し、大阪市東淀川区にある水道記念館、大阪市此花区にある大阪市下水道科学館にバスで見学へ行った。
 14:30ごろ 小学校にバスが戻る。
 14:40ごろ 下校となる(普段より30分ほど早い)
 14:57ごろ 同級生の3人の前を歩いていたが、七山交差点から道が違うため3人と挨拶をして別れる。
 15:00ごろ 一度家に帰り、自転車で遊びに行こうとしていた同級生の男児とすれ違う。
 17:00ごろ 兄が女児が家に帰っていないことに気づき、両親に連絡する。
 18:30ごろ 家族や付近の住民で探し始める。
 19:30ごろ 警察に通報する。

奥に見えているのが友人と別れた交差点。友人たちは右手の方へ進み、女児はこちら側へ入った。写真は女児とは逆方向から進んで撮影している。
近所の男児とすれ違ったとされる場所付近。女児は奥からこちらに向かって歩いてきた。

 当日の七山公民館付近を歩いていた親子は女児を見ていない。同じく公民館付近で塗装作業をしていた男性は「女児が1人で歩いているのを目撃していた」と報道されていたが、男性は「リュックの女の子を見たけど、顔は見ていない」と話していたため、不明女児か定かではない。
 公民館近くのバス停で発車の時間待ちのため停車していたバスの運転手や乗客たちも女児を見ていない。公民館前を通った男性看護師も女児を見ていない。集会で付近住民が公民館に集まっていたが、目撃者や声などを聞いたという証言もない。
 15時ごろ男児とすれ違ってからその100m先の商店や通行人には目撃されていないため、商店の近くに行くまでの間に女児の身に何かが起きたと考えられている。
 当時の捜索では付近の山林やダムも捜索し、周辺のため池の水も抜いて調べたが、何も出てこなかった。
 また関係は不明だが、事件の2ヶ月前にも熊取町内の小学6年生の女児が下校途中に男に声をかけられ車に引き込まれそうになる事件があった。
 誘拐現場は田園の残るところで、丘陵地である。丘の頂上には1871年(明治4年)からある七山病院という精神科病院がある。その病院をぐるりと回るようにして路地が続いている。現場路地付近は途中車がすれ違いができないほど狭い道幅もある。

公民館前。左手のポストの奥に公民館がある。黄色い車の先から狭い路地となっており、少女に何かあったと考えられているところ。ポストの逆側にバス停がある。

 その後2014年(平成26年)11月に出された白色の乗用車(セダンタイプ)の目撃情報と、2018年5月に白色のクラウンの目撃情報が2013年(平成25年)5月に得られていたことを泉佐野捜査本部が明らかにしている。
 5月の目撃情報はかなり有力な情報とされている。事件当日の15時頃に女児の自宅から南西に約350メートル離れた丁字路で、白色のクラウンに男と小学生くらいの女の子が乗っていたという内容であった。
 目撃者によると邪魔な位置に白いクラウンが停まっており、タクシーが対面する中で追い越しの際に白いクラウンを見ると運転席に座っていた男と目が合い、助手席には白い服を着た女の子が俯いて座っていたという。事件当時の女児は小学校の制服である白いブラウスを着ており、服装が一致しているため大阪府警はこの目撃を有力視し、車の女の子は被害女児であると見ている。

おそらく上記の図の現場。写っている車と同じ位置にいた(写真の車の反対を向いていた)と思われる。
130系クラウン

 まず、目撃されたクラウンは1983年(昭和58年)から1990年(平成2年)製の旧型車両とされている。対象車両は約2300台であり、警察は当時の所有者に話を聞くなどして捜査をしている。1500台は捜査終了し、2021年5月20日のニュースでは府南部で登録のあった残り約900台のうち770台の所有者に接触していたことが明らかになった。
 目撃情報のあったクラウンは全長4860mm、全幅1745mmで、発売当時は高級車としての位置付けで販売された。3ナンバー専用ボディもラインナップにあり、キャッチコピーは「満たされて、新しいクラウン」「いつかはクラウンに、その想い、今こそ・・・」で、月間販売台数でも一時カローラを上回る売り上げとなったバブル期を代表する日本車である。1988年に発売された8代目130系クラウンは当時の新車価格で145万〜230万円であった。
 誘拐当時(2003年)はハイブリッド車が市場に出始めた年で、外観も流線的な作りの車が多く、当時プリウスは2代目が販売されていた。このクラウンが当時走っていればかなり目立つだろう。

 次に、これまでにも国内で起こった小児性愛者(と思われる者も含む)による類似事件を見ることで犯人像を考える。
①新潟少女監禁事件(1990年)
 犯行時の年齢は28歳。犯人の出生時には父親62歳、母親36歳と歳の離れた夫婦であり、高齢で授かった子供を溺愛したそうである。幼女に対して最初の犯行は27歳の時で自宅がある柏崎市内の小学校正門前で9歳の女児を待ち伏せし声をかけ、悪戯をして現行犯逮捕されておりこれより前の前科はない。この事件の2カ月後父親は老人介護施設で死去。その1年半年後、柏崎市内より約50km離れた三条市内の農道上で女児を誘拐し、9年2ヶ月にわたって監禁した。
②岡山倉敷女児監禁事件(2002年)
 犯行時の年齢は49歳。自称イラストレーター。倉敷市在住の11歳少女を誘拐。父親は資産家で事件の数年前に死別。母親は介護施設に入所していた。3月に女児を見て一目惚れし、4月ごろから準備し、7月に5日間の自宅での監禁を実行する。犯行時には車のナンバーを付け替えていたが、何度も下調べに行っていたことから不審車として警戒されていた。肉親以外との付き合いはなく、「好みの女性に育てて、結婚したかった」と供述していた。離婚歴あり、普段から奇行があったと言われている。部屋は改造され、完全防音であった。
③広島女児監禁事件(2012年)
 犯行時20歳、大学生。小学校6年生の女の子が入ったバッグをタクシーのトランクに積み込んだ。動機は、大学のサークル活動がうまくいかず自暴自棄になり、女の子に乱暴しようと思ったと供述している。塾帰りの小学校6年生の女児に刃物を突きつけて脅し、ガムテープで縛り、バッグに押し込んだ。夏休みに自動車免許を取得するために東京から広島へ帰省中だった。
④奈良小6女児連れ去り事件(2015年)
 犯行時26歳、無職。リサイクルショップのトイレより女児を連れ去った。連れ去ろうとした際の悲鳴が従業員に聞かれており、連れ去って23時間後に車内で発見された。犯人は短期間に何度も転職歴があり、人付き合いが下手だった。その後2021年にも中1女子をSNSを通じて1ヶ月の間誘拐した。
⑤11歳女児監禁事件(2016年)
 犯行時24歳、無職。両親は仕事のため日本には不在で、一人で住んでいた。小学生の女子児童に興味を持つようになり、親族にワゴン車を借り、千葉県内の小学校周辺を物色するようになった。自転車に乗った女児の肩を押して転倒させ、女児の両手を粘着テープで縛り車内に3時間監禁した。
⑥埼玉朝霧少女誘拐監禁事件(2016年)
 犯行当時23歳、大学生。中学1年生の女子生徒を誘拐し、2年間監禁する。「あなたの両親が離婚することになり、その話がしたい」などと嘘をつき、自宅アパートに監禁した。
⑦栃木小山監禁事件(2019年)
 犯行時35歳、無職。監禁場所は自宅。SNSで知り合った小6女児を大阪から栃木まで連れ出し監禁した。父とは死別、母は介護のため祖母宅で生活していた。加害者宅には別の15歳少女も監禁されていた。
 これら類似した犯行から共通することはいずれも犯人は孤立した社会環境で、労働についていないことが多く、親とは死別しているか、もしくは別居状態である。収入がないと監禁を維持することはできないが、無職であることが多く、親族の資産で生活している。監禁場所に選ばれるのは一戸建ての自宅で、両親が健在なら、離れのようなところで生活している。ファンタジーを行動に移すのは20代後半から30代前半である。

 さらに、性倒錯から犯人像を考える。小児性犯罪においてはペドフィリアとチャイルドモレスターという二種類があるとされる。
 ペドフィリア(pedophilia)はパラフィリア(性倒錯)の一つと定義されており、pedo-は「幼年時代」、-philiaは「-の病的愛好」という意味がある。日本ではひと昔前は「ロリータコンプレックス」と呼ばれていた。1960年代後半から未成年者を題材にした写真集が流通し始め、1980年代にはマーケットとして確実なものとなり、メディアで取り上げられたり、コミュニティが形成され始めた。
 1980年代はインターネットがなかったため、雑誌の投稿欄を通じてチャイルドポルノの交換や情報交換がされていたが、まだまだコミュニティは小さく限定的なものだった。しかし、インターネットの拡大とともにその場はグローバル化し、ダークウェブや匿名性の高いSNSサービスに場を移し、よりアンダーグラウンド化している。ペドフィリアの「獲物探し」の場は現在オンラインゲームやSNSに移っている。
 ペドフィリアの特徴として、加害者は必然的に子供社会にアクセスしやすい教師やコーチ、地域のリーダー、保育士など、子供に持続的に近寄ることのできる職業を選ぶことが多い。ペドフィリアの中にはわざわざシングルマザーに近づき、その子供に接触を図ろうとするものもいるほどだ。日本も例外ではなく、山形市で2014年から2018年に渡って4人の女児にわいせつ行為を犯した広告代理店社長もシングルマザーを故意に狙った。
 アメリカでのペドフィリアの犯人像として、
・30歳以上
・一人暮らし
・友人がいない
・引っ越しを頻繁に繰り返す
・退歴・転職理由を話したがらない
・子供の世界と繋がるホビーに興味がある
・子供と定期的にしかも長く関わっていたいと望むが、通常、年齢差などから周囲に怪しまれてしまうため、子供といて不自然でない職業に就こうとする
といった共通性がある。
 子供に関わる職業を選ぶのは日本でもその傾向が見て取れる。文部科学省「懲戒処分等の状況」では、生徒、児童にわいせつ行為を犯したことにより処分された教職員は、2001年〜2006年のデータでは毎年60〜80件にも登り、これから更に増えることが予想されている。
 チャイルドモレスター(Childmolester)は厳密にはペドフィリアと少し違う。molestには「婦女子に悪戯する」という意味があり、アメリカにおいては、チャイルドモレスターは「子供に対して性的な行為を強要する成人(男女を問わず)」と定義されている。
 チャイルドモレスターはペドフィリアとは全く無縁なものもあり、「機会的チャイルドモレスター」は小児限定の性対象というわけではなく、状況や環境により小児に手を出しただけというものもある。その理由の一つとして、「成人女性の代用品」が挙げられる。成人女性との交流が乏しくコミュニケーションが持てないため、代用品としてコントロールしやすい小児を狙うというものだ。
 チャイルドモレスターの特徴として、
・セルフイメージが矮小
・自暴自棄になっている
・モラルや他人を思いやる気持ちに欠けている
といった傾向があるといわれている。「機会的チャイルドモレスター」に対して「真性のチャイルドモレスター」もいるが、それは重度のペドフィリアとほぼ同義だ。日本の小児を拉致・監禁する人間は真正のペドフィリアというよりはチャイルドモレスターの気質が強い。

 もし、30〜50歳の時に購入したクラウンを今も乗り続けているのであれば、所持している人間は現在60歳代半ばから80歳半ばになる。少女を物色し、さらに拉致監禁する時間的余裕がありながら、車を所持できるだけの収入があるものと考えると犯人は裕福な資産を持つ現在初老の人間か、または家族の持っている車を使った40〜50歳代の男性の可能性が考えられる。もし父親(もしくは母親)の車だとするならば、社会性の低い犯人は車をまだ持っている可能性があり、クラウンは車庫に眠っているか、現在も現役で走っている可能性がある。
 類似事件から考えると少女を誘拐する者の犯行年齢は20〜30歳代が多い。犯行当時20歳前後だとしても犯人は現在40歳前後、25〜35歳の犯行ということになればその親は60〜80歳代。この年齢の世代がクラウンを乗っていたと考えると違和感がない。
 当時バブルの代名詞であった車を所持していた親は裕福な家庭で一戸建てを所持している可能性が高い。アパートやマンションよりは一戸建ての方が確実に監禁しやすい。類似事件からもその傾向が見られるが、父性の不在が多い。高齢になった両親は既に死別しているか、介護施設などに入っている可能性がある。もしくは家族と離れて暮らせる離れのようなところで生活している。
 2003年にあのクラウンが走っているとかなりの違和感がある。誘拐当時でも既に13〜15年落ちの車である。計画的に誘拐するために下調べしたとして、何度も足を運ぶとなるとあの古いのクラウンは目立ちすぎる。付近でクラウンの頻回な目撃情報もないため、計画的というよりは場当たり的に女児を発見した可能性が高い。
 誘拐地点とされる場所は土地勘がないとそうそう入りたくないような狭い道である。同級生3人と別れ1人になったのを確認できたため、後ろから追いかけた可能性が高い。その先の道路状況まで考えていなかったことが、T字路での対向車待ちからわかる。犯人はニートに近いような生活をしていたならば運転技術も高くないだろう。誘拐が完了したのならいち早く自宅に連れて帰るためにUターンして大きな幹線道路に戻りたいはず。そのために待っていたとするならば再び七山交差点に戻った可能性が高い。
 そもそも車での連れ去りはなかなか難しい。一箇所に留まり物色のため観察しないといけないし、車を運転しながら移動する対象の状況を確認するのはかなり困難である。一人で歩いている少女を見つけ次第行動に移ったと考えられる。
 小児性犯罪は衝動に身を任せたものが多く、性的嗜好により年齢や対象は違えど再犯率が非常に高い。小児犯罪ではないが痴漢はいい例で、一度行為で得られた快感は刺激の大きさが同等かそれ以上でない限り不満を残す。そして、その行動に駆り立てる引き金になるのはストレスによるものが大きい。
 このような犯人を発見しづらくしているのは社会的に孤立しているからだ。少女の拉致監禁のファンタジーを持つその理由として、「自分好みにする」「話し相手が欲しい」というなんとも幼稚な理由が挙げられる。精神疾患を併発しているものも多く、誘拐現場にある精神病院の受診歴があり土地勘があるのかもしれない。
 「一度一線を踏み越えたものはその後も同じやり方、同じ刺激の程度を求めて快楽を得ようとする」のが私の持論だ。つまり、その後近隣で少女の誘拐殺人事件が起きていないことを考えると、一人の少女を監禁したことで目的は達成された。そう考えると、まだ少女は生きている可能性が高いのだ。

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