情報の補足、そして真犯人「毒使い」について少しだけ考える。和歌山毒物カレー事件(8)
この事件は「林死刑囚ありき」で創作されたストーリー構成のため、真犯人に結びつく情報が恐ろしく少ないのだが、冤罪が晴れる証拠が全て揃えば真犯人は勝手に浮かび上がるのではないかと考えていた。しかし、真犯人を考察することも視点を変えて見ることに繋がる。「毒使いのヴィランは誰か」について少しだけ考えたい。まずは、さらに調べてわかった情報を補足的に考察する。
まずは、当時の園部の住民は200人ほどであった。その中に他の亜砒酸を所有していた者は全くいなかったのであろうか。
これによると和歌山県内においての亜砒酸のドラム缶の行方は捜査されている筈である。この残り59缶も御SPring-8大将軍にお裁きを受けないと納得いかないところではあるが、このドラム缶たちを由来とする亜砒素は近隣には全くなかったのであろうか。
さらに、林家のシンクの下から見つかったプラスチック製容器についてである。
この容器については誰も見たことがなかったという話もある。林死刑囚が実兄に依頼して「白アリ薬剤」と書いて貰ったことになっているが、その筆跡鑑定などは行ったのであろうか。そもそも、亜砒酸を扱っていたのは夫で、なぜシロアリ用の薬剤を駆除に携わったこともない林死刑囚が分けてもらう必要があるのか。
さらに、自宅に家宅捜索が入るまで2ヶ月間も危険な物証を放置していたなど、とてもじゃないけど信用できない。逆に疑われてしまっているが、保険金詐欺の発覚を恐れて林容疑者は亜砒酸の所在について実兄に電話している。それほどの警戒をするなら、プラスチックの容器は当然破棄するだろう。私なら、全ての砒素をこの2ヶ月間で確実に処分する。
そして、有力とされた女子高生の目撃情報についても、
やはりこの内容からも、脚色された可能性が高いというかもうほぼ嘘にしか聞こえない。やはり女子高生はスナイパーになるように指示されたのだろう。もはや目撃情報のどこがオリジナルかすらわからないため、どっちにしろこの証言は無視してもいい。
さらに無視しても良さそうなものがもう一つある。
これらの記憶もかなり曖昧だ。服の色についてこれだけ記憶がさまざまなのだから、いかに人間の記憶は曖昧なのかがよくわかる。さらに、記憶は多数派の意見で改竄されやすい。つまりは結局林死刑囚と次女、どっちが蓋を開けていたのかはよく分からないということだ。
さらにdigTVには裁判記録が映る場面が随所にある。それらにはこう書いてあった。
実際の証言はこんなものだ。なにしろ「思う」が連発しており、印象的で記憶に残りやすいエピソードではなかったことがよくわかる。よくこんなレベルで林死刑囚が来たのが0時20分だと確定できたものだ。
そして調べていたら動機に関する検察の主張を見つけることができた。検察の考える犯行の動機は「氷を集めに行かされて」怒り、砒素を入れたんだそうだ。
こんなレベルで砒素を入れたのなら、近所の人は軒並み中毒者だろう。流石にこんなこじつけでは無理があったらしく、裁判所はこの事実を認定していない。
また、どうにかして林死刑囚の首にタオルを巻き付けたかったらしく、以下のような記述もある。
もうどうやってもタオルを持たせるために一度帰った事にしたいらしい。タオルを持ってきてるのにわざわざTシャツで汗を拭かない、と言いたいらしいが個人的には、もうどっちでもいい。
何だか調べるほど矛盾が出てきてすでにお腹いっぱいなのだが、まだまだある。49%の砒素が紙コップに入れると75%になるというマジックを行うためには以下のような操作が必要だそうだ。
犯人はよほどの毒物マニアで、入れる砒素の純度が気になって仕方なかったのだろうか。「Asは70%ないといやなの!」というひと手間を惜しまないこだわりのテロリストだったのだろう。これではカッとなっても一度自宅のラボに帰らないと精製できない。何にしろ投入まで手間がかかりすぎる。
一応低濃度の金属の濃度をどうやって高純度化するのか調べたが、溶融塩電解精製やら高真空溶解やら水素プラズマアーク溶解やら専門的であまりに大掛かりな設備が必要なためアホらしくなってやめた。結局、散々調べても検察側の不思議な価値観のみに沿った理論の展開で溢れていたことはよく理解できた。
そして、この地区、実は結構事件が起きている。治安が悪い地域なのか、地理的に呪われているのかは分からないが、いくつかの殺人事件が起こっている。これらはカレー事件の犯人と結び付けられることもあるが、ほぼ関係ないケースが多い。
1988年6月22日 女子高生刺殺事件
早朝5時半ごろ、夏祭り会場から東に250メートルの市道で新聞配達をしていた県立高校の女子生徒が頭から血を流して死んでいるのを配達途中の同僚が発見する。
刃物で全て真後ろから首や肩、耳を刺されて即死状態で発見された。幅6mの道の端に仰向けで、白いシャツとチェック柄のスカート姿で着衣に乱れはなかった。自転車にも交通事故の形跡はなかった。物証は血の付いた犯人の足跡、24~25cmのみ。犯人が見つからないまま、2003年に時効を迎えている。この犯人、男性だとするとかなり足が小さい。女性の可能性もある。
1993年3月31日 タクシー運転手殺害事件
路上に停まっていたタクシーの車内に、血塗れの男性が2人倒れていた。タクシー強盗に殺害された運転手と、運転手と揉み合った際に重傷を負った強盗だった。
1997年11月21日 母親殺し事件
用水路で60代女性の絞殺遺体が発見されている。母親から「600万円の借金を抱え、返せないから強盗に襲われたように見せかけ保険金で返して欲しい」と頼まれ長女は軽ワゴンの中で紐で首を絞め、用水路に放置した。
1997年12月18日 姉殺し事件
60代の男性が60代の姉を殴り殺す。
2000年1月8日 絞殺事件
和歌山市湊の貸倉庫内で死後2~3ヶ月経過した状態で男性が発見される。県警は首を絞められた疑いがあることなどから殺人事件として捜査しているが、犯人は捕まっていない。
もし園部がデトロイトのような犯罪多発地域だとすれば、近隣に不穏な空気はなかったのだろうか。
何やら飲食店のトラブルが浮かび上がってきたが、このような噂のレベルの話は早急に事件と結びつけるとバイアスがかかりやすいので、このような住民の話があるという程度にとどめておきたい。
では、毒物の濃度を変えることのできる魔術師「砒素使い」について少しだけ考えてみたい。
砒素の致死量は0.1gほどである。「耳かき一杯」の比喩はそれほど誇張した表現ではなく、少量で死に至らしめることが可能な毒物である。砒素に携わる人間であればその危険性は十二分に理解しているだろう。林死刑囚の夫は砒素の危険性を理解しており、身を持ってその効果を見せたはずだが、それにも関わらず大量の亜砒酸を投入させるとは、余程の怒りだった設定だ。
カレーに含まれていた砒素はおよそ135g、恐ろしい量である。ゆうに夏祭りに参加した人間全員を2回以上殺害できるレベルで、無駄に多すぎる。
毒物について多少の知識がある人間なら、犯行が判明しないよう可能な限り最低量を使用していきたいはずだ。
毒物は過剰すぎると自分に被害が及ぶ可能性も高く、体にも付着する可能性が高いからだ。この犯人はここまでの効果がある危険性の高い毒物と本当に知っていたのだろうか?何しろ扱いが雑なのだ。
そして、なぜ砒素を選んだのか。一般人が知る機会のある毒物といえば「青酸カリ」「フグ毒」「トリカブト」だ。ただし、砒素もシアン化合物(青酸カリ)も「毒物」でありそれほど簡単に家庭に置けるものではない。もう一つメジャーな毒物で家庭に置ける毒物と言えば「農薬」である。真犯人が「農薬」を使ったと勘違いしているなら...その過剰な量も不自然ではない。
そして紙コップの使用については、祭りの会場であれば同型の紙コップを持っていれば怪しまれないため、その選択は理解できる。しかし、完全犯罪を狙うならばそれをその場で捨てるようなことはしないだろう。燃やしたり、見つからないところにひっそり捨てたり、埋めればいい。その紙コップを会場で捨てるということは、よほど急いでいたか、見つかりそうになったのか、逆に目立ったのだろうか。
もしかしてこの真犯人、少しお腹を壊すとか、食中毒になるとかその程度で投入したのではないだろうか。なぜなら量もデタラメな上、あまりにも行動が安直すぎるのだ。
この祭りは出店もなく、花火が上がったりするようなものでもない。地元の自治会のもので、全く知らない外部の人間が参加したらすぐにわかるだろう。真の無差別殺人犯でなければ、何らかの理由がある犯行だ。では、鍋に毒物を入れることで誰が迷惑するだろうか、誰に呪いをかけれるだろうか。一つは、カレーを作った人間、もう一つは、カレーを配布した人間、他にも鍋を貸した店、計画した自治会に直接的打撃を加えることができる。もしくは、祭り自体を嫌っていたかだ。
LA POSEさん、いつも記事をご紹介いただきありがとうございます。