「俯瞰して見るそれぞれの言い分、再審請求抗告審」飯塚事件(10)
※再審請求抗告審は少し視点を変えて、判決文を<検察><弁護><裁判所>の3者の主張を切り分けて考えてみます。あくまで、私が読み解いたように書き直していますので、稚拙な部分に関してはご了承いただきます。不要だと思いますが、さらに<ポヲ>の独り言も記載してみました。
●T田の目撃供述について
<検察>
T田さんは、森林組合の仕事の関係で八丁峠に向かう道を運転しており、2月には女児の失踪した20日以外に12日にも目撃現場付近を通行していました。そして、不審車両を目撃した時に運転していた車は社用車で乗り慣れていました。ということは、この道路を初めて運転する人より運転する注意力は低いもので足り、それは周囲の状況に、より注意を向けることができるということです。さらに、仕事で八丁峠を運転したことがあることは、道路やその付近の状況が普段と違う時は、注意を向け易いということにも結び付くでしょう。
<弁護>
八丁峠に向かう国道を運転することがあるという程度で、過去にどれぐらいの頻度で目撃現場付近を通行したかについてその詳細はわかっていません。2月は、不審車両を目撃したとされる20日以外には12日の1日だけしか通行しておらず、別に目撃現場を頻繁に通行していたわけではありません。また、目撃現場付近はカーブが連続する下り坂であり、社用車はマニュアル車でギアチェンジが頻繁に必要ですが、厳島実験の被験者の運転車両はオートマであり、被験者の方が見たものを記憶しやすいはずです。さらに「走行途中に、対向車線に車が必ず駐車していますので、その車とその前後を注意深く見てください」とあらかじめ教えており、より目撃車両に注意できる状況でした。
<裁判所>
目撃者が運転していたのは下り坂であり、その速度は速くても時速約30km程度でしょう。たとえマニュアル車でも複雑なギアチェンジする必要はないし、基本的にはブレーキペダルやクラッチペダルの運転操作だけで事足りますし、オートマと比べて不審車両に目を向けることが難しいとは言えません。
2月12日と20日以外にも1月20日と24日にも目撃現場付近を運転してるし、それなりに走り慣れていたと判断します。目撃した時は通行車両も少なく、通行の支障となるようなカーブに停車している不審車両を目撃したということは、普段とは違う注意の向けやすさがあるでしょう。実験の被験者に事前にアドバイスがあったとしても、目撃者の目撃条件よりも有利とか不利とかはないと判断します。
<ちょっとだけブラックなポヲ(以下ポヲ)>
オートマであろうがマニュアルであろうが、下りであろうが登りであろうがそんなみみっちいことを掘り下げる必要がどこにあるのでしょうか。1ヶ月に2回しか通らない道を走り慣れていたというのは無理があるし、社用車を乗り慣れていた、と言い切るのにも無理があるでしょう。
厳島実験の結果が示すのは「そんなに沢山のことを人は覚えてられない」ということを言っており、そこを条件の違いに置き換えるのはただの論点のすり替えですよね。
●目撃対象への印象の強さ
<検察>
目撃者は、不審車両を目撃した翌日の夕方に、ラジオのニュースで小学校1年生の女の子が殺害されたこと、その遺体が野鳥の山中に遺棄されていたこと、その遺体発見現場は前日に付近を通行していたことを知りました。その時に目撃した車について、会社で同僚と話をしましたが、目撃した車が殺害事件と関係する可能性があるかもしれないと強く印象に残り、不審車を目撃した記憶を再度思い出すことでより強く記憶に残ったはずです。
<弁護>
目撃した車や不審者の印象の強さは、目撃した時の状況に左右されるはずで、目撃した後のニュースや会話では左右されないはずです。だから、何度も思い出したというエピソードはその時の印象を変化させたりはしないはずです。
<裁判所の判断>
確かに、目撃時点における目撃状況の印象は、後から起こったことによって影響を受けるものではないでしょう。ただし、検察が言いたいのは、目撃した不審車の記憶を強くしたのは、事件のニュースと、同僚と話をしたことからでしょう。
<ポヲ>
記憶の形成はその時の状況に左右される上に、その後の情報にもいくらでも左右されることがわかってます。この話を詰めること自体がナンセンスです。
●目撃対象の記憶を容易にする条件
<検察>
目撃者は、ダブルタイヤの車があることや、ダブルタイヤを持つ車のことについてよく知っていました。
<弁護>
ダブルタイヤ仕様の車についてどれぐらい知っていたかわかりません。雑誌を読んで知っていたそうですが、そのことが記憶をしやすくするという訳ではありません。
<裁判所の判断>
証言内容から考えると、ダブルタイヤ仕様の車が存在することや、特徴として後輪タイヤが小さく幅が広いといった具体的内容を知っていたことは明らかです。それらは目撃した不審車がダブルタイヤであったことを記憶する上で有利に働いたと判断します。
<ポヲ>
目撃者の車の仕様についての知識がディーラー並みに詳しかろうが、そもそも紺色ボンゴ者が犯人の車両である確証がどこにもありません。
●厳島第2次実験の目撃条件の設定について
<検察>
被験者を目撃者に似せることは不可能ですから、能力も性格も異なる多くの被験者を用意し、その記憶の成績の分布により供述が確かなのかどうかを検証してもそれが信頼できるものかどうかは疑問です。
<弁護>
心理学的な根拠を持ってどう疑問なのかを検察は説明していません。検察は何を言ってもこの実験では、目撃証言がどう不自然かを示すこと自体に無理がある、というだけです。
<裁判所の判断>
実験の被験者は、目撃者の特異な状況と比べるとその記憶できる印象が全く違うと考えます。さらに、色々な人を集めて実験したところで、その結果に合理的根拠はありませんし、このケースでは再現実験自体が難しいことから、その結果には疑問が残ります。
<ポヲ>
科学的根拠を元にするためにはデータを集め、統計学的に考察するしかありません。その方法を取っているにも関わらず、目撃者の状況と違うため採用できないとなると、目撃者はよほど特異な状況に置かれていたことで再検証ができないと言っていることになります。この状況がそこまで再現性が困難なものには見えませんし、また検証の信用性についてどう疑問なのか全く論拠が存在しません。合理的根拠がないと言っていることに合理的根拠が存在しません。ということは、これは難癖をつけている、ということですね。
●厳島第三次鑑定書について
<弁護>
「タンジェント・ポイント理論」について提出をしました。これは、「カーブを運転する人間の目線は常にカーブの内側に沿って注視し続け」「反対側にあるものへの視線はごく短い時間に終始する」という人間の生理学的な機能のことです。さらに「視線が移動している間は外部情報を認知できず、粗い情報しか把握できない」という「チェンジ・ブラインドネス現象」についても報告を提出しました。この内容からも、目撃者は短時間で多くのことを覚えていられないことがわかります。
<裁判所の判断>
嚴島第3次鑑定書における「タンジェント・ポイント理論」などの視覚科学は、外国の研究論文を引用するものです。これは今回の目撃条件とは違うので、論文の視覚科学が当てはまるものではないと判断します。
ですから、第3次鑑定書をもってしても目撃供述の信用性は揺るぎません。また嚴島・北神鑑定書における実験は、9名の一般成人を実験参加者とし、実験前に参加者に対してカーブでは時速25~30km程度で運転するように指示し、通常通りの運転を行うように指示しただけです。目撃条件と同一条件で行ってはおらず、証言の信用性は揺るぎません。
<ポヲ>
この言い方だと、そもそも外国人と日本人の注意・認知の生理的機能が違うと言っているのでしょうか。人種間での注意力と記憶力の差はないと思っていますが、違うデータが存在するのでしょうか。
そして、カーブの内側を見てしまう生理現象と、反対車線を短時間しか見れない生理現象に抗えるほどのショッキングで恐ろしい出来事がこの時に目撃者に起こったことで目標車両を長時間見続けることができたということになります。
これは人生に何度あるかわからないレベルの印象に残る出来事がこの時にあったと設定されていたことを意味しますが、そのエピソードの内容は「人気のない山で禿げたオッサンと紺色のバンを見た」ということだけです。どこがそこまで状況が特異なのか、論拠を是非お願いしたい。
●K1報告書及びK3報告書について(目撃証言の報告書)
<弁護>
3月9日付けの警察官調書は、その2日前の3月7日に久間氏の車を見に行った警察官が、その車の特徴を誘導しながら事情聴取をしていたおそれがあります。そのため、目撃者の供述調書の信用性は低いと考えられます。
<裁判所の判断>
3月4日の供述調書は問題の警察官による誘導等がされる前の時期に聞かれたもので、その内容と確定判決の時の目撃供述との間に違いがないことから、警察官による誘導は考えられません。
<ポヲ>
これまでに冤罪が疑われる誘導があったらしき調書の内容は、細かい特徴を警察官から説明され、それに「多分そうだと思う」「そうです」などの返答だけで作られ、サインさせられたものが多いです。冤罪が疑われる供述調書などは、警察官が詳細に語った内容に間違いがなければ、それが事実のように書かれ、さも本人が流暢に語ったことのように書かれていることも多い。
もし、すでに警察官に久間バイアスがかかっており、ウェストコーストの特徴、あるいは久間コーストの特徴に基づいてヒアリングを行ったのなら、久間コーストの特徴を兼ね備えた調書ができあがっていた可能性が著しく高そうだ。とにかく、この目撃証言者に詳しく話を聞きたいです。
<弁護>
八丁峠目撃者の初期供述を読むと「車から人が乗り降りしていた」との記載があり、その後の供述とはかなりかけ離れた内容でした。
また3月4日の供述では「紺色ワゴン車で男が乗り降りしていた」と言っていた3月2日の報告書に比べて、ダブルタイヤと特定し、ガラスに何か貼っており、人物の頭が禿げており、髪は長めで分けており、茶色ベストに白っぽいシャツを着ており、急に細かな詳細が語られたように記載されてますが、警察官による誘導は本当になかったのでしょうか。
<裁判所の判断>
3月2日の事情聴取は、T田さんが仕事が忙しかったので詳細な事情聴取まではできなかったようです。一方、同月4日の事情聴取は、T田さんを八丁峠に連れて行った上で聴取をしたので、色々と細かく思い出せたわけで、誘導などはないと判断します。
<ポヲ>
というか、最初(3月2日の供述)は「車で人が乗り降りしていた」と言っていたことに驚愕しております。この乗り降りした人は次の供述で前のめりに転び、ワケハゲさんの称号を得ます。妻の供述が変遷したことは信用性がないのに、この方の変遷が問題ない理由は一体何でしょうか。そのような供述の変遷があるのなら通常、横に立っていたとか、滑って転んだとかも本当に見たのかと疑ってしまいます。さらに、供述に大きな変化があることは、事後情報が混入した可能性を強く示唆しますね。
<弁護>
報告書にあった「ボンゴ車」について捜査機関は、その型式として「ボンゴのWタイヤはマツダで、ボンゴのディーゼル車BA2S8H、BA2S9H、ガソリン車、2V8H、2V9Hとのことであった」とかなり細かく記載されています。これらの型式はいずれも久間さんと同じウエストコーストの型式だけです。ボンゴ車の型式は当時他にも沢山あったのにかなり早い段階でこれをだけを挙げたのは、捜査機関はすでに久間カーを犯行使用車として強く疑った上での聞き取りだったのではないでしょうか。
<裁判所>
確かに、3月4日午後の報告書には、久間さんと同じウエストコーストの型式のみが不審車両として記載されています。しかしこの段階では、被害者の膣内容物などの血液型鑑定やDNA型鑑定の結果は出てませんし、報告書の後に後輪ダブルタイヤの紺色ワンボックスカーの所有者に対するつぶしの捜査が行われていることからすると、捜査機関はまだ久間カーを犯行使用車両として特定していたとまでは考えられません。もし仮に捜査機関が4日に久間カーを犯行使用車両と特定しており、さらに調書の際に目撃者を誘導したというのであれば、その後の3月9日の警察官による取調べの時もすでに「不審車について、マツダのボンゴ車」である登場するはずではないでしょうか。しかしその日の警察官調書では、「トヨタや日産ではない」「後タイヤは確かダブルタイヤであった」というように4日の報告書よりもぼんやりした内容となっています。そのため捜査機関が早い段階で久間カーを犯行に使われた車と特定していたと言うことはできません。
<ポヲ>
血液型鑑定やDNA鑑定の結果が出ていないにも関わらず、ウェストコーストの詳しい情報が流布されたということは、すでに久間氏が重要な容疑者であることを示しているということ以外に考えようがない。
この時はまだ、「(マツダの?)紺色ボンゴ車?」らしきという情報しか目撃者は語っていないにも関わらず、すでにそれは「ウェストコーストまで絞られていた」ことを意味しています。これを「見込み捜査」と呼ばないのであればなんと呼べばいいでしょうか。
<弁護>⭐️
目撃者の勤務先の森林組合の同僚1・2の供述も、証言の信用性を肯定する根拠の一つとしていますが、K3報告書によれば、3月9日よりも前に警察が同僚に接触した形跡はありませんし、最も早い同僚の供述でも、5月28日でした。同僚の事情聴取を担当したのも目撃者を担当した同じ警察官であるため、事後情報が提供され、誘導がされたことが明らかではないでしょうか。さらに2月21日、22日に警察から同僚1に話を聞いた際に共にその場にいた同僚2は、25日の時点で警察官に何も供述していないことからも、そもそも同僚の証言は信用できません。
<裁判所>
確かに、同僚の公判供述と捜査段階における警察官調書との間には変遷があり、「目撃者から聞いた目撃車両が事件とは関係ないと考えた理由」や、「目撃車両の話を聞いた回数」に一貫性がありませんでした。弁護側はこの点を指摘して、捜査官の誘導によって供述内容を変化させたものであり信用できないと主張しています。しかし同僚の証言は「紺色のダブルタイヤのボンゴ車かワゴン車を目撃した」と聞いた部分については首尾一貫しているので、供述すべき内容を示唆、誘導されたようには見えません。
同僚2に対しては、2月25日に警察官が聞込みを行っています。報告書には、「民間に依頼し、野鳥の山林の枝下ろし等の作業をしている」「20日、21日とも作業を依頼しており、従業員はP1、P2、P3である」といった業務内容に関することが書かれていました。K3報告書によれば、この聞込みは、24日に警察官が甘木市商工観光課係長に対して死体遺棄現場及び遺留品投棄現場付近の作業状況について聞いた時のようです。これらは「市役所による作業等はないが、農林事務所、森林組合が作業をしているようだ」との情報を聞いて、話を聞きに行ったという経緯だったようで、自分たちが作業には参加していなかった同僚2が、21日に聞いた不審車両に関する話をしていなかったとしても不自然ではないでしょう。目撃車両については、目撃した場所が被害者両名の遺体発見現場とは違い、事件とは関係ないという話になったので、警察官に対して不審車両の話をしていなくても不自然ではありません。
<ポヲ>
一貫性のない妻の発言は全く信用性がないとして却下されるのに、同僚の発言が変遷するのはまあいいのかと、不思議な気分になります。しかも事後情報はともかく、内容が変遷しているにも関わらず「紺色ボンゴ車」だけが「一貫性がある」と正解としてピックアップできている理由も全くわかりません。
●科警研が実施した鑑定について(HLADQα型)
<弁護>
本田第1次鑑定書にもあった通り、真犯人のHLADQα型は3-3型であって、久間さんの1.3-3型とは違います。
HLADQα型鑑定の方が血液型鑑定よりも少量の資料から検出可能であり、血液型の判定が可能な資料からは、HLADQα型が検出されるはずです。さらに、被害者両名の膣内容等の資料からは真犯人の血液型が検出されています。これはどの資料にも真犯人のHLADQα型が含まれていると判断するのが合理的だと考えられます。また、資料に含まれているHLADQα型は3型のみであるため、真犯人のHLADQα型は3-3型しかありえないと考えられます。久間さんとは型が異なるA田の膣内容から久間さんのHLADQα型は検出されていないため、犯人である可能性はありません。
<裁判所>
HLADQα型の検査キットは、本来単独資料の型の判定用に開発されたもので、判定方法も検出紙上のC(コントロール)に発色があるかないかという二者択一のものです。すべての型それぞれにのみ反応する試薬はなく、資料の混合があった場合には判定不能となる場合が多い(基本的には判定しない)とも指摘されています。そのため、混合資料からはHLADQα型が検出されたとは思えません。
また「血液型の判定が可能な資料からは、HLADQα型が検出されるはずである」と弁護側は述べていますが、ABO式血液型鑑定では赤血球を使用し、MCT118型、HLADQα型等のDNA型鑑定では白血球を使用する資料の違いや、赤血球の数は白血球の約1000倍であるということを考えると、血液型の判定はできても、HLADQα型が検出できないということはあり得るでしょう。さらに、MCT118型の検査を行った後のためHLADQα型の検査を行うときにはすでにDNA量が減少していたのかもしれません。坂井技官及び笠井技官によると、新鮮血ではなく、血痕による鑑定については、HLADQα型の検査の方がMCT118型の検査よりも多くのDNA量が必要であると供述しています。
被害者の膣内容物から1.3型が検出されなかったのも、犯人のDNAがすでに壊れていた可能性があり、1.1型と1.3型もキットの検出感度の違いによりA田の型だけが検出されたとも考えられます。そのため、真犯人のHLADQα型は3-3型であると主張するの本田教授の見解は採用できません。
<ポヲ>
血液型は鑑定でき、MCT118も鑑定できたにも関わらず、ものすごく都合よくHLADQα型だけは検出されなかったという科学的論拠がただの推察の域を越えていません。混合血液向けのキットでないことは、血液型鑑定でも言えることであり、白血球を元にするのはMCT118型でも言えることです。HLADQα型のさらに1.3型だけが検出されない確率と、3-3型が出る確率は一体どちらが高いのでしょうか。
ここで示されている事実は「1.3型が出なかった」ことではなく「3型のみが出た」ことです。にも関わらず、なぜ「久間氏の型が出なかった理由」について一生懸命弁明しているのか意味不明です。
●解離試験において血液凝集反応の強弱の程度を考慮することの誤り(血液型鑑定について)
<弁護>
解離試験において反応の強さに差が出るのは、検体を検査のために分割した時、検体中に含まれる血液成分量が均一でないためです。各検体において抗原抗体反応物が同じ量なわけは当然なありません。また洗浄しきれなかった抗血清が残るなどの誤差も生じます。それらの理由から、解離試験においては資料に含まれている抗原の量は全く意味を持たないため、定性試験とされているわけです。
また、AB型の血液に解離試験を行った場合でも、A血球による凝集反応とB血球による凝集反応に2倍程度の差が生じることは頻繁にあります。実際に坂井・笠井鑑定の資料のひとつのB型物質の凝集の程度は「±」で、もう一つの資料のB型物質の凝集の程度は「+」となっています。これら資料に含まれるB型物質の量に差があったか、抗原抗体反応物の生成の程度や検体洗浄の程度に差があったとしか考えられません。
<裁判所>
確かに前田回答書にも「1つの鑑定資料から一定量を切り取り、均等に3つに分割してA型活性、B型活性およびH抗原活性の検査を行わざるを得ない…そのため、資料中の付着物の分布(付着状態)が一様でない場合には、その付着物がAB型であっても、分割された資料中の付着物の多寡によって、同じ検査条件の元でも見かけ上A型活性とB型活性の強さが幾分異なる結果が得られることも考慮される必要がある」と書かれており、一般論として否定することはできません。また、坂井・笠井鑑定でB型の凝集の程度に差があったことも認められます。
笠井技官の証言によれば、解離試験では、凝集反応のわずかな強弱の差を判別することができるわけでなく、肉眼で見てはっきり分かる差があった場合に、3+、2+、1+、±、-という5段階で判定を行っているそうです。
坂井・笠井鑑定では、資料のいずれについても、抗A抗体と抗B抗体への凝集反応に差が認められています。さらに血液型鑑定を行った福岡県警察科学捜査研究所の林葉康彦技官も、資料のひとつについて、「A型とB型で強弱があったことをはっきり覚えている。A型の凝集反応の強さを1とすると、B型の凝集反応は3くらいの凝集だった」と述べています。そもそも各資料の検査ごとに偶然の偏りがあったとは考えにくいです。そう考えると、血液型鑑定に影響を及ぼすような血液成分の不均一は生じていないと考えるべきです。
笠井技官は「濃い血液が直接混合したものではなく、被害者の血液と膣液が混じっている状況に他の人の血液が混ざっているという状況であり、血清成分は非常にごく僅かしか含まれていなかった」と証言しており、血液の混合による凝集が起こっていても非常に少ない量であったと考えられています。
また、被害者両名から採取される前はこれらの血液等は不均一な状態であった可能性もありますが、資料は生理的食塩水を浸した脱脂綿で拭き取った液体の状態であり、被害者両名から採取した段階である程度均一化しており、しかも、「資料の一部を切り取る際には、色調や粘度等を見て不均一となっていないかを確認した」と証言しています。この笠井技官の証言は、前記の坂井・笠井鑑定における血液型鑑定の結果とも整合し、信用できます。
また、「解離試験は定性試験である、A血球による凝集反応とB血球による凝集反応に2倍程度の差異が生じることは頻繁にある」との指摘については、解離試験がいわゆる定性試験であったとしても、混合資料について凝集反応の程度の違いに着目してそれぞれの血液型を判定することについて、本田教授も証人尋問において、一般論としては否定はしていません。解離試験の原理から考えれば科学的に合理性がありますし、A、B各血球の凝集反応に2倍程度の差異が頻繁に生じることに関する実験結果や文献等は提出されていません。
なお、坂井・笠井鑑定の資料に、「B型物質の凝集の程度に「±」と「+」との差があり、資料に含まれるB型物質の量に差があったのか、もしくは抗原抗体反応物の生成の程度や検体洗浄の程度に差があったと考えざるを得ない」という点につき、更に検討すると被害者の膣内容物という同一の資料について、B型物質の凝集反応の程度に差があったことは事実であり、資料から取り出した検体ごとにB型物質の量に差があった可能性は否定できません。
笠井技官は、解離試験の結果とクロロホルム・メタノール法による解離試験の結果は、単純にB型の凝集反応の違いを見比べるのではなく、各血液型全体を比較検討して行うものであると証言しています。資料から取り出した検体ごとにB型物質の量等に差があった可能性は否定できませんが、凝集反応の強弱を考慮して血液型鑑定を行った坂井・笠井鑑定が不合理とは言えません。
弁護側は「クロロホルム・メタノール法は、血液・体液混合資料から血液部分をより特定して検出できるという仮説に基づいているのであって、解離試験として行うことが真に有効か否かが実証された一般的な方法ではなく、独創的仮説に基づく極めて特殊な方法にすぎない」と主張していますが、笠井意見書添付の「クロロホルムメタノール混液処理による微量汚染血痕の血液型検査法」と題する論文では、実験に基づきその有効性が明らかとされています。
<ポヲ>
凝集反応の強さ云々について散々言っていますが、あくまで技官の主観的観察結果であり、どれだけ経験値があろうが、それに客観性は全くありません。さらに資料が同じだけの量であるかは、定量検査でしか計測できません。そもそも、反応の強さは血液成分の量に依存するのは当たり前の話で、その量も不明です。何なら混合資料かも判明しておらず、さらにそこに本当に抗原抗体がどれほど含まれているかは不明としか言えず、それをどう問答しても事実は定かではありません。
それを犯人につながる有力な証拠としては使えません。強弱があろうが、量がどうであろうが、そこに何の科学的根拠もありません。
●犯人の血液型はAB型という本田鑑定書等の指摘を原決定が排斥した誤り
<弁護>
混合資料であることを明らかにする方法としては、肉眼ないし顕微鏡で凝集反応の有無を確認する方法と「裏試験」と呼ばれる血清を用いての抗A抗体及び抗B抗体の有無を調べる方法があります。
科捜研鑑定では、被害者B山の遺体付近の木の枝から採取された資料について、抗A・抗B血清との反応が認められたことから、AB型との判定をし、A型とB型の混合の可能性と、AB型の可能性があるとしていますが、同鑑定書には凝集反応の詳細についての報告はありません。
坂井・笠井鑑定では凝集反応の目視は実施していないとされていますが、血液型判定に習熟しているはずの人らが凝集反応の目視を省略したとはとても考えられません。
A型とB型の混合による強い凝集反応が確認されなかったがゆえに、解離試験による結果から、強引にA型とB型の混合と解釈したにすぎません。
<裁判所>
笠井意見書によれば「裏試験を実施するためには、被検資料の血清を必要とし、通常、血痕化した現場資料からは血清成分を回収することは困難であり、新鮮な資料であれば若干の血清成分を回収することが可能な場合も考えられる」とあります。坂井・笠井鑑定の現場資料の一部の資料は乾燥した微量な斑痕資料であって血清の回収ができないため、裏試験が可能な資料ではありませんでした。
また「生理的食塩水を含ませた脱脂綿で拭き取ったものであり、血清成分が含まれていたとしてもごく微量であり、しかも生理的食塩水で希釈されているため、裏試験が可能な資料とはいえない」とありました。笠井技官は、資料に関して「通常、血液がたくさんあると、もっとどす黒い赤のような色調を示すが、これらは明るい赤であったので血液量はそんなに多くないと判断した、被害者両名の膣液と血液が混ざっているような状況に、その他の人の血液が混ざっているような状況であって、しかもそれを希釈した状況で採取したから、血清成分はごく僅かしか含まれていなかった」と証言しています。
その証言は、坂井・笠井鑑定の外観検査における資料の「淡赤色」「淡褐色」「赤褐色」との色調と整合しますし、外観検査を行うにあたって実際に各資料を観察した経験を踏まえて証言されたものであって、信用できるというべきでしょう。そうすると、一部の資料について、裏試験が可能な資料ではなかったという笠井技官らの判断が不合理なものということはできません。
また、笠井回答書によれば、一般的に、血液型が異なる新鮮な血液が混合した場合、片方の血液の血清中の抗体が他方の血液の血球表面上の抗原と結合して凝集反応が起こりますが、同時に血液自体の凝固反応が生じるため、肉眼ないし通常の顕微鏡により凝集反応の有無を判別することは困難です。
笠井回答書によれば、資料は枝に付着した血痕であり、血液自体の凝固反応が肉眼により観察され、顕微鏡による観察においても、血痕(凝固血液)以外には膣液由来と考えられる付着物がわずかに観察されるだけであったというのであり、凝集反応の有無を観察するには不適切な資料といえます。
また、生理的食塩水で湿らせた脱脂綿で被害者両名から採取した資料であり、浮遊細胞の状態ではなく、淡い赤色ないし褐色の液体であり、色調から血液が少量しか含まれていないと推測され、さらに生理的食塩水で希釈されていたことから、血液自体の凝固反応の観察と、混合した血液による凝集反応の観察を行うには不適切な資料といえます。
<ポヲ>
裏試験で確認もされていないにも関わらずAB型が排除されB型とされた理由に科学的根拠がありません。さらに血清成分がごく僅かだと自分たちで行っているのに、血液型鑑定の結果が果たして真であるか証明できるでしょうか?
なんなら、血液は他の血液と混ざると凝集反応を起こします。すでに反応が起こった後の血液はそもそも判定できません。
<弁護側>
「ABO式血液型鑑定が可能となる程度の赤血球を含む血液は存在するが、MCT118型鑑定が可能となる程度の白血球は存在しなかった場合には、資料(2)及び資料(3)には、被害者B山由来のMCT118型は検出されないという事態もあり得る」との説明について、血液は何らかの病的な状況が生じない限り、赤血球の量と白血球の量が保たれており、赤血球を含みつつ、白血球を含まない血液というのは通常考えられません。MCT118型鑑定はPCR増幅によって極めて微量の資料に対しても反応するはずではないでしょうか。
<裁判所>
被害者A田は、道路から投げ捨てられたような状態で、パンツを脱がされて下半身が露出した状態で遺棄されていました。資料は、犯行翌日の2月21日、被害者A田の膣内容物及び膣周辺付着物を生理的食塩水を含ませた脱脂綿で拭き取ったものであって、そもそも新鮮な血液そのものではありません。
このような資料の採取過程や採取状況に加え、前述したABO式血液型鑑定とDNA型鑑定の検査部位の違いを考慮すれば、A型の血液が、検査可能な程度の赤血球を含みつつ、検査可能な程度の白血球は含まないものであったことも考えられるものと評価できます。
なお、帝京大学医学部法医学教室石山昱夫教授によるミトコンドリアDNA型鑑定で、「被害者B山由来のものと考えて矛盾しないDNA型が資料で検出されており、久間氏のミトコンドリアDNA型が検出されていないことを全く無視した暴論である」と主張しています。確定判決のとおり、坂井・笠井鑑定と比べて石山鑑定における資料は微量であり、その状態も著しく劣悪なものであったと考えられることからすれば、石山鑑定の段階では既にこれらの資料には犯人のDNAが存在しなかった可能性も考えられます。
<ポヲ>
うん、だからね、そんなことが可能性として言えるならDNAも劣悪だし、そもそも核が取れなかった可能性も大いにあるのに、なぜMCT118では完璧に取れたことになってるんですか?もはや膣液の混入で血液そのものですらないなら、血液型判定も信用のおけるものとはできないはずです。
血液型鑑定の分の赤血球はあったけど、DNA型用の白血球は含まなかったとすれば、DNA型鑑定全てが信用のおけないものとなるのでは?
●被害者両名と犯人との血液の混合比について、血液型鑑定とDNA型鑑定の結果に矛盾があるとの点についての判断の誤り
<弁護側>
坂井・笠井鑑定における強い反応、弱い反応に意味があるとの見解が正しいとすれば、抗B抗体により強い反応を示した資料には、犯人由来の血液の量がA型である被害者B山の血液を上回って存在することになるはずです。
しかし、資料のMCT118型は、犯人由来となるはずのバンドが被害者B山由来のバンドより濃いバンドとしては検出されていません。しかし赤血球と違い白血球という血液中の別の部位を使用しますから、このような結果が生じることもあり得るとしてその信用性を排除していますが、それは非科学的ではないですか?
<裁判所>
前述したABO式血液型鑑定と、MCT118型鑑定の検査部位の違いから考えればに、血液型鑑定における凝集反応の強弱と、MCT118型鑑定におけるバンドの濃さが完全に一致していないことが非科学的などとはいえません。
<ポヲ>
考えうる可能性(妄想に近い)について述べているだけで、一致していないことに対してなんの科学的論拠もありません。
●MCT118型鑑定について
<弁護>
本田鑑定書等においては、久間さんの正確なMCT118型は18-30型でした。
坂井・笠井鑑定の結果から解釈できる型は、実は犯人が何人いたかとするかによって異なり、鑑定の結果からは真犯人の型を16-26型であるとは確定できないはずです。なのにもかかわらず、坂井・笠井鑑定については証拠能力を認めており、久間さんと真犯人とのMCT118型が一致する可能性があることに証明力が高いとみなされている理由がわかりません。
<裁判所>
デンシトメトリーで読み取った分析記録からすると、久間さんの上位バンドは26型と判定するのが相当といえる数値でした。当時の判断としては型判定に疑問の余地はなく、目視によってバンドを確定しようとする本田教授の手法は的を得ていません。
確かに、バンドの位置を確定するのに、デンシトグラムを用いる方法は例外的と言われてはいます。しかし、坂井・笠井鑑定は平成4年に実施されましたが、科警研のデンシトグラムの作成年月日は平成7年12月4日で、鑑定の後に作成されたものにすぎません。坂井・笠井鑑定のバンド位置の判定も、目視によって行われています。
本田教授が「バンドの位置を確定するのに、デンシトグラムを用いる方がむしろ例外的」と言った点については、本田教授自身がMCT118型鑑定を行う場合の方法について述べているにすぎませんし、本田教授は「厳しい読みを要求されるような古い資料で、肉眼的に判断できないけれども、わずかな違いまで検出したいという難しい資料に関してはデンシトグラムを使う」との内容を証言しており、これは「デンシトグラムを用いた方がMCT118型鑑定をより正確に行うことができる」ことを前提としています。
そのため、デンシトメトリーを用いてデンシトグラムを出力し、その数値でバンドの位置、移動度を正確に判定しようとした坂井・笠井鑑定の手法に疑念を抱かせるものではありません。
ポヲ
え?あれ目視だったの!?あのぼんやりバンドを目で見て判定してたの!?と言うところにまず驚愕いたしました。
それは是非100人の学者さんにどういう結果になるか目視してみて欲しいです。さらにこれも論点のすり替えで、弁護側が言っているのは「型が違う」という点なのですが、「デンシトメトリーで見たから26でいいしょ」という何とも軽い結果で終わっています。マジ大丈夫?
<弁護>
坂井・笠井鑑定に改ざんがあるとの主張について裁判所は「坂井・笠井鑑定のネガフィルム自体は保存されており、確定第1審においても、証拠として提出され、笠井技官に対する尋問でも使用されているなど、坂井技官らに改ざんの意図があったとは窺えない」と言っていますが、坂井技官らは坂井・笠井鑑定のネガフィルム上のX-Yバンドの存在を認識しており、X-Yバンドを隠ぺいすることで、そのバンドがアレルバンドか否かを第三者が検証する機会を失わせたことに問題があります。
さらに、坂井・笠井鑑定のネガフィルムは笠井技官の尋問当日になって裁判所に提出され、弁護人において数分しかその内容を確認する時間がないまま、その日のうちに科警研によって持ち帰られています。裁判所に保管されないまま、X-Yバンドに対する説明についても、笠井技官に対する反対尋問において弁護人に指摘されて初めて行っていることからすれば、坂井技官らに改ざんの意図があったことは明らかです。
<裁判所>
坂井・笠井鑑定のネガフィルム自体は保存されており、確定第1審においても証拠として提出され、笠井技官に対する尋問でも使用されていることからも、坂井技官らに改ざんの意図があったとは窺えません。
ポヲ
ちゃうちゃう、そこちゃう。人を死刑にするための証拠写真ををなぜ先に勝手に切り取っとるんじゃ。しかもそれをなぜ先に言わんのじゃ。突っ込まれない以上は言わない、ということは隠している証拠じゃ。
裁判所に提出はされており、尋問でも使われたことが隠蔽の意図がない判断の理由としていますが、意図的に積極的に提出しなかったのは事実です。
●全て総合して
裁判所
MCT118型鑑定を除いて再度検討を行っても、久間さんが犯人であると「合理的な疑いを超えた高度の立証がなされている」と判断します。
これらのエピソードは、いずれも単独では久間さんを犯人と断定することができませんが、それぞれが独立した証拠によって認められており、久間さんが犯人であることが「重層的に絞り込まれて」います。
・犯人使用車と事件本人車との同一性。
・T田の不審車両の目撃供述による犯人使用車の車種等の特定が被害者両名の着衣に付着していた繊維の鑑定結果と符合している。
・事件本人車との車種等における同一性。
・事件本人車から検出された血痕及び尿痕の特徴等が事件本人車と犯人使用車との同一性に結び付いている。
これらの事実全てが起こせうる存在を考えると、久間さんが犯人であることについて「合理的な疑いを超えた高度の立証」がされています。この結論は、MCT118型の結果がどうであっても左右はされません。
※再審抗告分の中には他にもいくつかの論議がなされているが、前回紹介した内容を重複するものに関しては省いた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?