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「偽装された2時間半」後編 名張毒ぶどう酒殺人事件

 後編では混入された農薬と葡萄酒に関わった人物の当日の動きについて考え、真犯人について考察する。

農薬について

 犯行に使用されたのは、有機リン系のテップ(TEPP)剤と発表された。TEPPはテトラエチル・ピロフォスファーテの略で、殺虫剤であり、薄い黄褐色で多少粘り気のある液体の農薬である。有機リン系の殺虫剤としての商品はエヌテップ、日曹テップ、ニチリンなど数種類存在する。当時はニッカリンTの他に三共テップが流通していた。

TEPP剤は様々な種類がある

 原液は皮膚に触れるだけでも中毒を起こし、致死量は体重1キロあたり0.3〜0.5mgで、TEPP剤は有機リン剤の中でも最も毒性が高い(体重60kgであれば炊く前の米一粒でおよそ20mgの致死量となる)水で薄めると急に分解して毒性が失われるため、園芸作物や、葉物、茶、桑などの殺虫剤として使われていた。
 奥西氏が所持していたとされ、犯行に使われていた農薬は「ニッカリンT」というテップ剤だとされた。この農薬を公民館で葡萄酒に混入し、その後その瓶は川に捨てたと供述した。問題の川を潜水夫や海女まで呼んで散々に川を捜索するが結局問題の瓶は見つかっていない。

散々に捜索の様子

 また、問題の葡萄酒は白葡萄酒であった(というか焼酎)「ニッカリンT」は誤飲を防ぐため赤色に着色されており、これを混入するとぶどう酒が赤色に変色してしまうことも明らかになった。自白内容通りだと犯行直前で白葡萄酒は赤葡萄酒に変わってしまうのだ。
 なんのこっちゃ(3回目)

白ぶどうが赤ぶどうに

 さらに、弁護団は提出された証拠の葡萄酒に混入された成分とニッカリンTの成分の違いに気づき再調査を行なっている。第7次鑑定にてニッカリンTには、主成分テップの他に、製造工程で発生した不純物(トリエチルピロホスフェート)が含まれているが、葡萄酒の残りからはその不純物が出ていないことを突き止める。

 検察は当時の分析結果として不純物は加水分解してしまったと説明していたが、当時のテップ剤で不純物が含まれるのはニッカリンTだけであった。弁護団は農化学専門の京都大学教授の宮川恒教授に鑑定を依頼し、トリエチルピロホスフェートは分解速度が遅く、水と混ぜ2日間放置してもほぼ分解されないことが判明した。(名古屋高裁は再審請求を棄却する際にはこれはペンタエチルトリホスフェートであってトリエチルピロホスフェートではないとしたが、ペンタでもオクタでもノナリアでも苦し紛れにしか聞こえない)
 これは、実際に使われた毒物はニッカリンTではなく、別の有機リン系農薬であったということだ。そして、おそらくその農薬は無色透明だった可能性が高い。
 なんのこっちゃ(4回目)

 この事件の物証は調べれば調べるほど事実のありかが怪しくなっていく。何しろ自白を元にして矛盾のない整合性を重視しすぎることで事実を歪曲しているからだ。これでは物証をいくら調べてもゲンナリするだけだ。
 だが少なくとも、これらの物的証拠が示唆するのは農薬を入れたあと、開封がわからないように丁寧に細工がされていたということだ。これらの作業には充分な時間が必要だっただろう。
 充分な時間といえば、奥西氏が自白した内容によると、「奥西氏は公民館で10分ほどの間に農薬を混入した」とあったが、そんな短時間ではおそらく不可能だろう。さらに、公民館の中だと細工の途中で出入りする誰かに見つかる可能性が恐ろしく高い。こういう緊張感の伴う工作は可能な限り1人で静かなところでしたいはずだ。ゆっくり時間をかけて行いたい…時間…
 時間といえば、この事件は関係者たちの時間に関わる供述が最初に供述した3月29日の内容がいつしかガラリと変化する。

供述の変化
 葡萄酒を大石宅に運んだ岩村氏の供述は4月19日(事件は3月28日)を境に変化している。当初、午後2時過ぎに届けたとされる葡萄酒到着時間が、「大石章子に清酒2本と葡萄酒1本を渡したのは、3月28日午後5時になることを思い出した」と2時間45分も大石家の到着を遅らせた。供述が変化した理由を、「(事件の衝撃により)頭がおかしくなりまして、記憶等もはっきりわからなかった」と言い始めた。
 林酒店の店員2人も午後2時ごろに酒を売ったという供述から「午後からは時計を1回も見ず、どういう理由かわかりませんがバスが通ったのも見かけず、時間の観念がなかった」や「4時を過ぎていたのではないかと言われると、あるいはそうではないかと思います。一番確実に言えるのは、昼ご飯と晩御飯の間ということです」と急にボンヤリとしはじめた。
 葡萄酒が大石宅に届く時間に関して松男の実の妹、妙子も酒の到着を午後5時5分から10分の間と言っている。これではまるで、大石宅で毒物を混入した時間は全くなかったと言いたいかのようだ。何だか八つ墓村的なムラのノロイの匂いがする。
 さらに、宴会の際に葡萄酒の栓を誰が開けたか、という点も当初は岩村氏が栓を歯で噛んで開けたと本人も、近くにいた参加者も証言したが、4月12日以降供述内容が変わり「清酒であったか、葡萄酒であったか記憶がはっきりしていない」と言い出し、後日「私の開けたのは、酒の瓶であったと思うのが本当であります」と供述を変更し始めた。当初清酒の2本の栓を開けた大石松男もその供述を変え、「彼が開けていなければ私が開けていると思います」と言い出した。
 なお、これらの変化は4月12日に上村郁雄宅に集まった会員の桜井時子、大石松男、北田源一郎、上村静子、吉田靖、岩村隆一と警察官を交えた話し合いの後から顕著となる。住民が集合した後に供述内容が変わるのは和歌山毒物カレー混入事件とそっくりだ。
 私は、4月12日以降に供述内容が変化してからの証言は一切採用しないことを勝手に決めた。供述の変化がどう考えてもなんらかの同調圧力、もしくは誰かを庇うためとしか思えないからだ。冤罪事件の典型として、物証が怪しいだけでなく、証言や証拠の解釈も歪み、不自然でも矛盾がないかにしか焦点が当たらないため、もはやまともな真実への議論にはならないことが多い。そのため、一番最初にあった証拠や証言からしか起こった出来事を類推しないようにする。では、事件直後の情報はどうだったのだろうか。

最初の証言からこのワインの動きを見る
 まず、3月26日に7名の役員が公民館に集まり、28日の総会の準備について打ち合わせをした。その際折り詰め、菓子、酒二升を出すことは決定したが、女子会員用の葡萄酒を出すかどうかについては、打ち合わせに会長である大石松男が欠席しており、会の資金面が不明であったので決定が保留され、その採否は大石に一任された。
 会長大石松男は、総会の準備の話し合いの結果を妻章子から聞かされ、農協から公民館へ支給される助成金があり、それで葡萄酒を購入できることから、その購入を岩村隆一氏に頼んだ。

岩村隆一氏の動き
 大石松男より公民館での三奈の会の役員の改選後の懇親会で飲む清酒2本と葡萄酒1本を買ってきて欲しいと依頼がされた。
28日午後2時ごろ
 組合から三町(330m)ほどにある林酒店で清酒2本と葡萄酒1本を購入する。組合には頼んでいた鶏の飼料も来ており、それを届ける県販売連の小型四輪貨物自動車に同乗し酒3本を持って葛尾に向けて出発する。
(最初の証言では店番をしていた林酒店の椎名君代は、その時間を午後2時30分から午後3時ごろだと証言している)
午後2時30分ごろ
 車が大石宅に到着、玄関に出ていた妻章子に酒を渡す(ソースによっては岩村が大石家に入り表玄関土間の小縁においたとするものもある)渡した後、そのまま小型四輪貨物自動車に乗り、共同倉庫前まで行き、鶏の飼料13袋を下ろし、倉庫前に住む北田宅にそのことを知らせた。その後農協に戻り仕事をする。
午後5時10分
 大石から頼まれていた折り詰めを名張市西田原の食料品兼仕出し弁当屋の山口屋に自転車で取りに行く。折り詰め40個をチキンラーメンの箱に入れて貰う。
(店番の山口みつ子の供述によれば、生モノを渡すため、約束していた午後4時になっても来ず、5時すぎても来なかったと詳しく記憶していた)
 その後、農協に戻って用事を終わらせてから葛尾の公民館に折り詰めを届けた。この時に途中の波多野橋のところで大石松男と一緒になり、公民館に届けている。その際公民館には10人ほどしか集まっていなかった。
 その後岩村は一度家に帰り、再び公民館に行き会に参加した。

大石松男氏の動き
 彼は三奈の会に参加するまでは農協で仕事をしていた。午後18時ごろ、帰宅し公民館に向かうところで岩村と出会っている。

奥西勝氏の動き
 日中は妻と採石場で働いていた。
午後4時50分ごろ
 葛尾に戻り牛の運動のため、タイヤを引かせて地区内を散歩させる。
午後5時ごろ
 妻の千鶴子が懇親会で出すご飯炊きのため大石家に出かける。
午後5時半ごろ

 牛の運動を終え、奥西勝は大石宅に行き「何か持っていくものはないか」と言うと大石松男の母のカツヨが「この酒を持っていけ」と言うので、表玄関の土間小縁に置いていた酒3本を持って会場に行こうとしたところ、会員の桜井時子も大石宅から来たので、一緒に出る(懇親会の食事を大石宅で準備するため、会員が何人か大石宅にいた)
 奥西勝は公民館に到着し、囲炉裏の前の流し場の足元に酒3本を置いた。その後、会の準備のために囲炉裏の火をつける。
午後7時
 総会が開始する。
午後8時
 宴会が開始される。

 最初の証言内容からすれば、大石宅に酒瓶3本が届いた午後2時30分ごろから午後5時30分ごろまでは空白の時間であったことになる。いつしか証言を変えることによりその2時間半はなかったことにされたのだ。
 午後5時半から公民館に人が集まり始め、準備のための人の出入りがあるのに、一体どうやって奥西氏はその中で農薬を入れたのであろうか。公民館には隠し部屋でもあったのだろうか。いつ、誰が自分の細工中に入ってくるかわからないのにも関わらず、赤く染まる白葡萄酒を見てさぞかしパニックになったに違いない。その中で犯行を成し遂げたなら、ものすごい胆力だ。
 この事件において毒物を混入できたであろう機会は大きく3つある。ひとつは店から大石家までの車内において、大石家室内、公民館内だ。証言は大石家での時間はなかったことに成功した。最初の証言が真であれば、人為的に操作された点、つまり虚偽は「時間」にある。

妄想と考察
 集落は地理的にも限局的で、他の葡萄酒には毒の混入がなかったことからも犯人は住民140人の中に必ず存在するはずで、そして集落の何かに向けて混入された毒物のはずだ。
 ただし毒物の知識もなく、特定の個人を狙っていないのであれば、ちょっとした騒ぎになることを目的としていたのかもしれない。少なくとも、動機は被害女性の誰かに恨みを持つもの、もしくは宴会を快く思ってないものであることは確かだ。毎年女性に葡萄酒が出されたことを知っていたとするならば目標は女性である。
 さらに、封緘紙を丁寧に取り、反対側から栓抜きを使って栓を抜き、農薬を入れ、封緘紙を貼り直す。イーサン・ハントじゃあるまいし、この作業を人の出入りのある公民館の中で隠れ、怪しまれずに10分ほどでできるとはとても思えない。
 葡萄酒に密に関わったとされる3名についても、大石松男は農協にいたために混入自体が不可能だし、岩村隆一が入れるとしたら、届ける際の車中でしかできないことになり、それならば運転手も虚偽の供述をしたことになる。となると消去法で奥西氏となり、妻も愛人も死亡者の中にいたことから強いバイアスがかかったようにも見える。最初の証言から考えると葡萄酒に触れたとされる者たちは思ったよりもスケジュールにそんな暇がないのだ。
 では、誰なのか?
 これらの丁寧な細工をする充分な時間があったのは、午後2時半に大石家に3本の酒が到着してから公民館に運ばれるまでと考えるのが自然だ。慌ただしく宴会の準備をしている中で、一人だけ時間的余裕を持つものがいた。
 そして、この犯行可能な時間はある証言により急に打ち消された。なぜ、その時間を打ち消したのか、それには明確な意図が存在するはずだ。最初の証言が真実で、変化した証言が嘘であれば、最初に嘘をつき始めた人間が最も犯人として怪しい。


 ここからは、あくまで私の妄想、推理であることをご了承頂きたい。現在この事件の関係者がどれほどご存命であるかも私はわからないし、故人の尊厳を傷つける意図も、誰か個人を中傷をする意図もない。ただの妄想だ。
 私は、群れから外れた動きをする蟻を見つけるのが好きだ。集団とは違う不自然な動きをするヒトには明確に他とは違う意図があるからだ。新たな餌場を見つけるために普通の働き蟻とは違った遺伝子プログラミングをされているのかもしれない、はたまたただの突然変異種なのかもしれないが、マイノリティには明確な目的があって集団から外れることが多い。
 ではその群れから外れる動きを始めにしたのは誰か。

 この事件では、関係者たちは実にしばしば「突然」何かを思い出したり、勘違いに気付いたり、あるいは記憶を失ったり取り戻したりする。この三人の証言変更はあまりに唐突であった。そして岩村隆一の証言に「妙子」なる女が現れたのも、やはり突然である。それまでの証言によれば、ぶどう酒を渡した相手は章子一人だった。ところが、実はその時に妙子が側にいて、その妙子と話し合った結果、自分の思い違いに気がついた、というのである。

「名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者」江川紹子著 岩波書店 2011年

 葡萄酒の到着時間を午後5時ごろの到着と最初に言い始めたのは妙子だ。
 さらに、第一審判決文には以下のようにある。

 同文では右両調書の中でぶどう酒授受の時刻を五時一〇分であると説明しているが、当裁判所の証人尋問の際には、その時刻を忘れたとも言い、又五時のサイレンを聞く前であったとも言い供述内容が支離滅裂である。

(殺人、殺人未遂被告事件、津地裁昭39・12・23判決、無罪)

 同文とは4月11日と4月18日の調書である。
 妙子は大石松男の実の妹で、同じ名張市の比奈知の飯島家に嫁いでいた。初めての出産を実家でするため、事件当日の3月28日、姑の飯島ぬいに付き添われて里帰りしていた。
 妙子は、岩村が酒3本を届けた際に章子と一緒におり、酒を受け取ったと証言している。身重だったためなのか、事件後すぐの事情聴取の記録がなく、検察が裁判所に提出した最初の調書は4月11日となっており、それ以前の調書は存在の有無すら明らかにされていない。この人、事件当日に大石家にいただけでなく、章子と共に葡萄酒を受け取ったかなり重要な人物なのにも関わらずだ。
 妙子の当日の供述内容は、要約すると
 「名張の観光タクシーで姑とともに葛尾地区に2時40分ごろに着き、大石宅で姑を母と接待し、1時間ほどして姑を章子と4時ごろから送り、帰ってきてから5時ごろに家の前で章子といるところに車が来て一升瓶を受け取った」
 というものである。これらの内容を妙子に言われ、その後岩村は葡萄酒のお届け時刻を2時半からお届け時刻5時に証言内容を変化させた。
 この証言は当初午後2時半ごろに到着したとされる大石家にあった葡萄酒の2時間半を否定する証言であり、この証言から岩村ほか葛尾住人はその時間を曖昧にし始めた。最初の証言が真実というなら、妙子は明らかに嘘をついている。妙子の証言が真実とするならば、関係者全員が嘘をついている事になる。実は村ぐるみの大量殺人計画だったのだろうか(ちなみに、和歌山毒物カレー混入事件では、事件当時の記憶を失ったものがいる。果たして共通点なのであろうか)
 妙子の証言からすれば、岩村が葡萄酒を大石家に届けたのは午後5時ごろ、だが当初妙子以外の者たちの証言は岩村は山口屋に折り詰めを取りに行っているはずだ。生き別れた一卵性双生児の双子かドッペルゲンガーでもない限り違う場所に同時に同じ人間が存在することは不可能だ。
 折り詰めを岩村に渡した時刻を5時過ぎだと言ったのはそれを売った山口屋の店番の女性で、本人以外の証言である。妙子の言う時間を証明できる章子は葡萄酒により死亡しており不明だ。この妙子の証言から事件関係者は大幅に証言の修正を迫られたのだ。
 嘘をつき始めたのは妙子で、毒を入れる時間を持っていたのも妙子で、毒を入れるための細工ができる環境にいたのも妙子だ。
 動機は出来心のレベルだろう。さしずめ、初産で実家に帰ったのに懇親会の準備をしていて面白くなかったというところだろうか。一升瓶に4〜5ccしか農薬は入れなかったのだろうが、こんな量で人が死ぬとは思っていなかったのだろう。
 ともかく、地区内で「虚偽を開始」したのはこの人だ。

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