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連続快楽殺人犯、現在絶賛放牧中。今市事件(二)

 今市事件を調べるにあたり、この栃木・茨城県近辺に於いては過去に類似の事件があったとネットでは囁かれていた。1991年に起こった主婦殺害事件と、1993年の元美容師殺人事事件だ。確かに調べてみると恐ろしいほどの類似点がある。

主婦殺害事件 
 1991年(平成3年)12月26日、茨城県結城郡石下町向石下在住の主婦(53歳)が、自宅台所で首を締められ胸を刺されて死亡しているのを同居している夫が発見した。死因は窒息であるが胸に刺された跡があった。解剖結果によると死亡推定時刻は正午から夕刻にかけてとされている。
 着衣に乱れはなく、室内にも争った跡や物色された形跡はなかった。自宅にあった現金・キャッシュカードは手付かずの状態であった。被害者の主婦は長男が東京に就職してからは、夫と二人暮らしをしていた。
 被害者は後頭部に打撲を受けていたことがわかっており、鈍器は家の中にあったものとされているが、どのような鈍器を使ったかは発表されてない。
 犯行当日の24日午前11時過ぎまでは生存していたことがわかっている。十数年前から5人ほどの友人で開いている新年会について、幹事役の被害者がこの日出席者に連絡をしていたためだ。午前11時ごろ2人に電話をかけ、うち一人は不在だったので、留守番をしていた家族と話をしている。約10分後に連絡先の相手が帰宅し、折り返し電話した時には、すでに電話口に出なかった。おそらく犯人は11時ごろに侵入したと考えられる。
 この主婦には趣味の社交ダンス以外に親しい友人がいなかったため捜査は難航し、現在も犯人は捕まっておらず、すでに時効が成立している。

 結城郡石下町向石下の主婦(53)が自宅台所で首を絞められたうえ、胸を刺されて殺された。(中略)発見された台所以外の部屋には、争った跡や血痕などはないことがわかったが、凶器など有力な手がかりは発見できなかった。これまでの調べでは、胸を刺した凶器は、傷口などから、出刃包丁ほどは幅のない、先の尖った細身の刃物。台所の包丁などを使った形跡がないことから、犯人が自分で持ち込んだのではないかとみている。また、首を絞めた上に胸を刺している事や、数カ所にのぼる胸の傷は、心臓まで達していることなどから、恨みになどによる計画的な犯行の可能性も出てきた。

朝日新聞 1991年12月27日

 ここから出てくる聞き覚えのある先の尖った細身の刃物。おそらくこの犯行も殴る→昏倒させ絞殺→何箇所も刺す、と言うスタイルである。ただし、この犯行が最初の殺人なのか、遺体は現場に残したままにしている。

元美容師全裸殺人・死体遺棄事件
 1993年1月16日、結城郡石下町新石下に住む元美容師(22)女性が殺害され通称「フルーツライン」と名付けられた新治郡八郷町の山林(筑波山麓の峠道)で発見された。
 彼女の首は細い紐のようなもので絞められた跡があった。自宅アパートには争った形跡はなく、被害者は別の場所で殺害され八郷町の山林に運ばれたと考えられている。
 彼女が行方を消したのは1月12日で、午前10時ごろまで石下町内の自動車学校にいたことがわかっている。12日午前9時ごろ、住んでいたアパートから約1キロ離れた石下町営自動車学校で卒業検定試験を受けた。試験は約1時間で終わり(試験には落ちたらしく、すぐに次の日の授業の予約を取っていた)同10時ごろには同自動車学校の教官が目撃しているが、その後の足取りは分かっていない。彼女はトラック運転手の若い男性と同棲していた。

 死体には、頭に2ヶ所の皮下出血、胸部に13ヶ所、首に2ヶ所の刺し傷、右足に1ヶ所の切り傷、首にビニールコードのようなもので絞められた幅1センチ程度の跡があり、うち胸の4ヶ所は心臓に達していた。
 抵抗した形跡がないことから、犯人は谷嶋さんの頭を殴り、首を絞めて意識を失わせた上で、胸などを滅多刺しにしたことなどが考えられる。

朝日新聞 1993年1月17日

 またもや10ヶ所以上に渡る刺殺痕である。女性には着衣がなかったが、ネックレス、左耳のイヤリング、右手中指のリング、右手薬指のリングはそのままであった。この犯人、どうも身元に繋がるものを消すために全裸にしたのではないようだ。

 体内の血液は半分以上が流出しており、遺体を浴槽につけるなどして血痕を洗い流した可能性が指摘されている。これは今市事件と全く同じだ。
 解剖の結果から死亡したのは12日10時半から13日午後16時より前と見られている。

 今でもはっきり覚えているのは、死体がとてもきれいだったことである。血もきれいに拭き取られていて、全身を洗い清められているようであった。(中略)胸と首に十五ヶ所ほどの鋭利な刃物による刺し傷がある。うち、四ヶ所の刺し傷は、心臓に達していて、死因はそれによる失血死だ。凶器は現場に残されていなかったが、推定するところ、幅一〜十五センチ、長さ一〇センチ以上の鋭利なノミ、あるいはヘラのようなもの。肢体には足の裏にもいくつかの傷があったが、これらは鑑定の結果、死亡後に首や胸を刺した凶器とは別のものによる傷だとわかった。
 よく調べると、頭には殴られたような跡もあった。さらに首には細い紐のようなもので締められた跡も見つけることができた。
(中略)不思議なことに、被害者の女性には、抵抗したり争ったような形跡が見られないのはなぜか。

「法医学事件ファイル 変死体・殺人捜査」 筑波大学教授 三澤章吾

 遺体発見現場には靴跡が発見されており、遺体が放置されていた斜面上の3ヶ所で、いずれも遺体から20センチ~1メートルの距離にあった。足跡は遺体の右足と右手の近くにそれぞれ1ヶ所で、遺体近くの斜面にも靴が滑ったような痕があった。いずれも大きさは25~28センチで、靴の底は平らだった。平らな靴底といえば革靴が想像される。また遺体発見現場からは、乗用車と軽トラックのタイヤ跡が数種類見つかっている。
 この事件も手がかりが乏しく、犯人は捕まらなかった。2008年1月13日午前0時に時効を迎えている。
 これも殴る→絞殺→胸を特殊な刃物で刺す、と言う儀式的で几帳面な方法で殺害している。刃物は明らかに思い入れの強いもので殺害現場へ持参している。犯人にとってはこの刃物が必要不可欠なのだろう。ここでも登場する先の細い刃物。
 最初の犯行から進化した点は、街中で物色、拉致し、別の場所で殺害、綺麗に洗い山中に遺棄していると言う点だ。

女子小学生殺人・死体遺棄事件(今市事件)
 事件概要、遺棄状況、遺体の状況など詳しくは以前のものを参照していただきたい。

https://note.com/illuyankas/n/nf85a40dad673

 栃木県今市市に住む小学1年生の女児が下校中に行方不明となり、翌日の12月2日に刺殺体となって山中で発見された。
 ここでも殴られ、「いつもの刃物」らしきもので刺殺されている。

 傷口の形などから、女児は衣服の上から刺された可能性が高いことが栃木・茨城両県警合同捜査本部の調べでわかった。

朝日新聞 2005年12月5日

 傷は鈍器で殴られた際の特徴という。激しく殴りつけられて気絶した後、鋭利な刃物で刺され、殺害された可能性がある。~このうち左側頭部の傷は、鈍器など硬いもので殴られた際にできるという。

朝日新聞 2005年12月6日

 手法が全く変わっておらず、儀式的ですらある。事件のいずれにも性的暴行がなされておらず、刺殺を目的としている。

 一方、遺体の損傷状況から、殺害に使われた刃物は西洋式のナイフとみられるとした。刃物は片刃で、幅は約1.5センチ、長さは十数センチと推測でき、使われたのは1種類という。調べでは、それらの形状を満たしているのは骨すき包丁、ブッチャーナイフ、牛刀、フィッシングナイフ(フィレナイフ)、護身用のスチレットナイフなど。また、和式としては小づかもあげている。

朝日新聞 2006年11月30日

妄想と考察
 彼は愛用している刃物を常に使っている。おそらく手に馴染んだこだわりのある細身の刃物があるのだろう。この刃物は愛用の既製品かもしくは自分で作ったオリジナルの刃物である可能性がある。
 
刺すことを最大の目的としており、全ての事件で性的暴行は伴っていない。今市事件では検出されたミトコンドリアDNAから女性である可能性も示唆されていたが、これら全てが同一犯であれば93年の事件で発見された足のサイズから男性である可能性も考えられる。
 そして、軽自動車もしくは軽トラックを所持している可能性がある。93年事件、今市事件では浴槽などを使いそこで胸を刺し犯行後洗い流している。ゆっくりと甚振っており、性的暴行を加えておらず、死体遺棄までの時間が短い。胸を刺すことに拘っており、性的サディストである可能性が高い。
これらの犯行の類似点は以下である。
・常に同じ凶器を使っている
・殴打し絞殺後に刺殺
・殺害後は興味を持たず性暴行もなく遺棄
・衣類が見つかっていない
・着衣がなくても身元の特定には関心がない
・シャワーなどで流したあとがある
・女性に抵抗の形跡がない
 共通点は「女性」と言うだけで年齢もバラバラだ。53歳、22歳、9歳。対象の年齢にこだわりはないのかもしれない。

このぐらいのサイズ

 91年、93年事件はいずれも石下町にて発生している。犯人は居住地を変えたか、捕まらないように場を変更したのだろうか。91年事件が最も若い犯行で、初めての犯行であったとするならば、「最初は初めてなので色々失敗している」はずだ。「殴って」「首を締めて」「刺す」スタイルはそのままだが、家に押し入って犯行後遺体を洗浄せずに出ていっている。それから考えると遺体の洗浄も彼のファンタジーの儀式の一つかもしれない。
 連続殺人犯であれば「最初の犯行」となる「最初の獲物」は慎重に選ぶはずだ。行動の観察ができ、よく見かけるものだろう。とするならば当時石下町近辺に居住していた可能性が高い。
 そして93年事件から今市事件までは実に12年も月日が経っている。犯人は12年間もファンタジーの遂行を我慢できたのだろうか。この12年の間に再び類似の犯行がないか探してみたが、10ヶ所以上も胸を刺す行為がある犯行はこの近隣では無かった。この12年間の空白には何があったのだろうか。別の犯罪で実刑を受けていた可能性もある。それまでは成人女性を対象としていたのにも関わらず今市事件では小さな女の子になっているため、病気などを患い不自由にでもなっていたのだろうか。真犯人からすれば、今市事件で別の犯人が捕まってくれたため、今後やるとしても類似性がないように振る舞わなければいけない。しかし、これほど手順が偏執的に決められている内容を変えることはできるのだろうか。
 それとも息を潜めてヒトを刺したい衝動と日々戦っているのだろうか。

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