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遺留品、縄と手拭いについて 狭山事件(六)

荒縄について

 死体の足に巻かれ、遺体と共に埋められた縄の全長は実況見分調書によると、
 全長24.03メートル
 最短は4.8メートル
 最長は6.9メートル であった。
足首と頚部には木綿細引紐が結び付けられており、足首の細引紐から四つに分かれて荒縄が結び付けられていた。

 二審弁護団計測によると全長23.58メートルとされる。
 この荒縄は死体発見現場近くの家に張られていた縄が盗難にあったものを使われたとみられている。紛失した縄の長さは、実況見分によると、
 S宅東側=11.3メートル
 N宅南側=19.87メートル
 合計=31.17メートル
とされ、結びつけられていた長さは計測者によってかなりちぐはぐだ。
 発見された荒縄は長さ1.65m〜3.4mの縄合計9本をそれぞれ5本と4本ずつ結んで2本として使用されたと見られる。しかし、紛失した荒縄の一本の長さは最短でも7mだった。

 真犯人は盗んだ荒縄をいちいち切断し、切断した荒縄をまた結んで2本にするという、不可解な作業を行なった事になる。発見された荒縄は腕力で切断出来る物では無いため、切断するには刃物が必要だった筈だ。
 荒縄は長い2本(各1.65m〜3.4mの荒縄を互いに結んだもの)を二つに折り4本のようにし、その折り元に木綿細引き紐が結びつけられていた。更に細引き紐にはビニール風呂敷の対角線上の切れ端が付いていた。ビニール風呂敷の残りの部分は芋穴で発見された。

木綿細引紐(足側)
ビニール風呂敷

荒縄盗難に関する証言(公判調書より)
証人 EN氏 主婦
証人 :狭山事件の年の4月中頃に、隣が建築中だったので、家の花壇を大工さんが踏みつけたりしないように、縄囲いをした。縄は、大工さんが使う材木を繋いであった荒縄が敷地に捨ててあったので、廃物利用した。
検察官:そういう縄はずっとその後四月の下旬、あるいは四月中頃から四月下旬頃作られて、ずっとその状態が続いておったんですか。
証人 :ええ、そのまま何事もなく。
検察官:なくなったということに気がつかれたのはいつ頃です。
証人 :縄がなくなったっていうのを気がついたのは、ちょうど五月一日がメーデーでございまして、それで覚えてるんですけど、メーデーの明くる日に、一日か二日の朝に、なかったのに気がついたように覚えています。
検察官:どういう機会に気がつかれたんですか。
証人 :家の雨戸を明ける所はちょうど南に面しておりまして、そこを明けるといやおうなしに縄と言いますか、花壇と言いますか、庭全体が見えるわけなんです。で、私毎朝雨戸を明けるとお花をふっと見るのが習慣になっておりまして、その時にまだその黒ずんでない白い縄も目にはいります。そんなことから、あら、ないっていうことに気がついたんです。
検察官:お宅でこの縄がなくなったということを警察の方にお話したのはどういうきっかけからなんですか。
証人 :それは、私も日にちははっきり覚えてないんですけど、新聞でこの事件を読みまして、そしてその新聞に荒縄という字が出ておりました。それが妙に心につかえてましてね。それでまさかと思ったんですけど、あまりにもきれいに消えてなくなっているのと、非常に心にひっかかりまして、まあご参考までにと思ってお話したんでございます。
検察官:警察の方が聞込みにでも来られた。
証人 :ええ、もう聞込みは大分私の所は近所でございましたので一日に何度でも来られましたし。
検察官:と、いつ頃そういうふうな話をされたんですか。
証人 :新聞を見た明くる日ですね、四日か五日、日にちをはっきり覚えてないんですが。
検察官:お宅の近所で死体が発見されたということはすぐわかりましたか。
証人 :ええ、もうそれは大変な騒ぎだったですし、ヘリコプターも大分飛んでおりました。ご近所の方からもすぐ耳にはいってまいりました。
検察官:花壇の縄がなくなったというのは五月一日の朝だということは間違いないんですね。
証人 :ええ、それはメーデーのことで、はっきり覚えているんです。
検察官:それは、五月一日のメーデーの日に戸をしめたというのは何時頃なんですか。
証人 :六時前後かと思いますが。
検察官:夜の六時頃。
証人 :はい。
弁護人:何度も来たというのは縄のことばかりですか。
証人 :ええ、そうです。もう縄のことばかりしつこいほどに、同じ刑事さんじゃないんですけど、もうあらゆる刑事さんがそのことで聞きに来ました。
弁護人:何回位来ました。
証人 :そうですねえ、私が入院して、分娩して入院している時病院にも来ると言ったそうですけど、その時はもう主人が断ったそうです。それからその家を売りましてはじまのほうへ行ったんですけど、はじまのほうへも私が一度か二度、主人が一度呼び出されて現場まで行って縄のことで入間川の家にいる時は一日に二度も三度も、その別な刑事さんが来て縄のことを聞いて行かれましたね。
入間川に居た頃、雑種の、どちらかと言えば小さい犬を飼っていた。
弁護人:その犬のことで警察の人に聞かれたことはないですか。
証人 :ええ、この犬、吠えませんでしたかって、そのいく日か忘れましたけど、いく日の晩にこの犬吠えませんでしたかって聞かれたんですけれど、全然そんなことはその当座でも覚えてないんですよ。犬の吠えた声は聞いたことないんです。で、それはそのように申し上げました。
弁護人:今の犬の話ですけど、それはどこかからもらわれた犬ですか。
証人 :主人が覚えてると思うんですけど。私はわかりませんねぇ。何々君の家からもらって来たというのは、聞いたことあるんですけど。
弁護人:ご主人の知り合いの家からもらって来たという感じですか。
証人 :いいえ、お友達なんです。
弁護人:入間川にいらっしゃるお友達。
証人 :いいえ、違います。
弁護人:入間川以外からもらって来たんですね。
証人 :ええ、そうです。
弁護人:浦和の検事さんに見せられた縄の量というのは、この七号と八号位ですか。
証人 :そうですね。
弁護人:その時に、あなたが見覚えないというこの細引も浦和の検事さんは見せましたか。
証人 :ええ、そのようについてましたですね。
弁護人:その時に、これについて見覚えがないかとは聞かれましたか。
証人 :ええ、聞かれました。
弁護人:あなたはやはり見覚えがないと答えましたか。
証人 :はい。
弁護人:昭和三十八年の五月の一日のメーデーの日、午後六時頃雨戸をしめたというんですが、外の天候はどうだったですか。
証人 :雨が降ってたんじゃなかったかしら、雨が降ってたように思いますけど。
弁護人:沢山ですか。
証人 :いいえ、しとしとしとしと、そんな降り方です。
裁判官:それからさっき犬を飼ってて、犬の吠えたのは聞いてないと、その当時はね。
証人 :ええ。
裁判官:というんですが、その犬は知らない人でも来れば吠える犬なんですか。
証人 :いいえ、普段から、昼間でもだれが来ても吠えないんです。

 荒縄については5月1日の18時から5月2日の朝までの間に盗難にあったことは間違いなさそうだ。この荒縄が死体遺棄に使用するために使われたとするならば、2日の朝までに被害者は殺害されていたことは確実となる。
 なぜわざわざ荒縄を切って結び直したのだろうか。盗む際に切って盗んだものの使う際には短いことに気づいたということだろうか。細引紐の先には最初はビニール風呂敷が輪になってつけられていたと考えられている。意図的に切ったか、何かの拍子で切れたかだろうが、遺体の運搬のために使ったが切れてしまったため荒縄をつけたのだろうか。ビニール風呂敷の切れた先は棒とともに芋穴に捨てられていた。縄が4つに分かれているのは、引っ張る人間が4人いたか、両手に持って引っ張るためか。そう考えると遺体の遺棄に関わった人物は2人以上4人以下となる。

木綿細引紐についての証言(公判調書より)
証人 MY氏 大工
証人 :狭山事件当時は隣の家を建設していた。荒縄は東側に張った全部がなくなっていた。長さは五間位(約9メートル)西側は半分位残っていた(約4.5メートル)5月1日は休みだったから、現場には行かなかった。当時職人は毎月1日と15日が休みだった。
検察官:警察の人は何回位来て聞いております。
証人:もう何回て、まあ数回ですね。もう覚えていませんけど、毎日のようにもう午前午後と当時は聞かれました。
検察官:なくなっていることは事実なんですね。
証人:ええ、その時に言われて調べてみたらなるほどなくなってるということに気がついたわけです。
(中略)
検察官:縄をですね。警察の人が来たか、あるいは検察庁の人が来て見せられたことがありますか。こういう縄に心あたりがないかということで。
証人:その後あります。何か縄と言ってもまあ細いロープですか。縄跳びのロープみたいなものを知らないかということを聞かれたことがあります。
検察官:それで。
証人:まあその縄はうちで使った覚えがないし、持って行くような必要もないし、まあわからないということで。
検察官:ロープみたいなものはね。
証人:ええ。
検察官:それから。
証人:その縄についてはまあ全然記憶がないし、あるいはまあその後我々が行ってる関係の業者は瓦屋ですから、まあ瓦屋さんが持って行ったんじゃないかというようなことで返事しましたけどね。まあそのロープについてはその位しかわかりませんね。
(中略)
弁護人:その今ご覧になったロープのようなものは、あなたは全然見覚えがないわけですね。
証人:そうです。
弁護人:その後だれかから、そのロープがどこにあるといったようなことを聞いたことはありますか。
証人:そういうことはないです。
弁護人:あなた自身瓦屋さんと言ったか、だれかが持って行ったかもわからんということを言ったわけでしょう。
証人:ええ、これは見せられた時に、私はそういう縄を持って行かないし、行く必要もないから、瓦屋さんに聞いたら弁当でもバイクの後につけて行ったかもわからないし、瓦屋さんに聞かないとわからないし、私はそういうロープを持って行ったことはないということを言いました。
弁護人:あなた自身はその瓦屋さんに聞いてみましたか。
証人:そういう話があって聞きに行ったんじゃないかということを言ったけれども、いろいろまあ聞かれたということはあとで話を聞いております。
弁護人:瓦屋さんは自分が持って行ったというふうに言ってましたか。
証人:いや、おれもそういう縄は使わないから知らないと言ってました。
 木綿細引紐について自白では、倒してあった梯子の付近にあったとなっている。荒縄が貼られていた住居近辺には無かった事が証言によって確認されている。
 捜査で荒縄、細引き紐の実況見分をした昭和38年6月30日付調書と、7月2日付の調書では、証人は公判同様に細引き紐はその現場には無かったと述べていた。

 この細引紐については警察は梯子についていたものとしているが、証言からはそのようなものはなかったとしている。この紐はどこからのものかはっきりしていない。加害者側が持っていた私物の可能性が高い。
 足首と頚部に巻かれていた細引紐だが、遺体頚部には死後または生前この紐で圧迫された痕跡は残っていない。荒縄と接続されていたかどうかは不明である。また、遺体足首にも吊るされていたような痕はなかった。これら紐の状況についてはまた再考察していく。

手拭いについて
 手拭いは被害者の手を後ろ手に縛る際に使用された。この手拭いは、狭山市の「峯」と呼ばれる地区にある五十子と言う米屋が昭和38年の年賀に得意先に配った染め抜きのある手拭いである。

手拭い

 五十子米屋からの手拭いの行方については捜査によると、
 160軒に配布 うち5軒に2本配布、
 合計165本を配布したとされ、
 155本を任意領置した、とある。
 警察の捜査によると、狭山事件の犯行に使用された手拭いは狭山市内五十子米店から昭和38年正月の挨拶用に得意先に配布されたもので配布数は165本、捜査の結果、未回収が7本とされた。この7本のうちの1本が犯行に使われたものと考えられている。この7本を更に捜査した結果、うち3本の行方が判明したので、犯行に使用されたのは残り4本の中にあるとされたが、結局誰のものかはわかっていない。
 ある家では1本と申告しているのだが、手拭い配布数の捜査報告書があり、そこには2本と書かれていた。各家に何本で合計165本という手拭いの配分数全体像が今ひとつはっきりしていないところもあり、結局未回収の7本のうち4本が「記憶なし」「行方不明」というところで捜査は終わっている。
 しかし2013年の調査では捜査段階で手拭いを回収した際の任意提出書に27もの欠番がある事が判明している。即ち165本が配布された事になっているが、少なくともそれ以外に27本が配布或いは回収された可能性がある。これでは4本の中に犯人がいるとは言い難く、全貌はうやむやでかなり笊な捜査しかしていないことはわかった。
 犯人に肉薄出来そうな遺留品だったが、現在公開されている情報から辿って犯人に行き着くのは困難だと思われる。少なくとも狭山市内での犯行ということしかわからない。

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