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「帝国の凋落」と「王様は裸だとやっと言えたマスコミ」(ジャニーズ性加害事件)

 この問題、全然興味もなかったのだが、ある日記者会見の様子を見て相当に気持ち悪くなった。

 ジャニー喜多川氏が所属タレントに性的虐待を行っていたとされる噂はもう随分前からあったらしい。1964年代にはジャニーズ事務所が芸能学校「新芸能学院」での授業料の支払いと性的虐待について、東京地裁にて民事裁判も行われ、猥褻行為について言及されている。その後も氏による性的行為についてはいくつもの暴露本が出版されている。

 2019年に氏が死去し、2023年にイギリスBBCがジャニー喜多川氏による性加害をテーマにした長編ドキュメンタリー「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」を公開してからは世界的な話題となり、ようやく問題が発露した。

 1970年代には氏による性犯罪は芸能界では事実として広く知られていたが、大きな問題になる事はなく、一部の雑誌や出版物のみで語られていた。
 1980年代後半では、雑誌「噂の真相」や元フォーリーブスのメンバーによる告発本などが出版されたが、やはり社会問題として捉えられることはなかった。
 1999年には週刊文春による氏の性加害行為の特集が行われた。ジャニーズ事務所は名誉毀損で文藝春秋を訴えたが、裁判では報じられた性加害行為は真実と認定されている。しかし日本のメディアはそのことについて大きく取り上げていない。
 これまでこのような告発内容は、「ゴシップを使って金儲け」しているとの見方で、芸能界ではタブー視され一部の報道に留まっていたそうだ。

 私はジャニーズのファンでもなんでもないが、いつしかジャニー喜多川氏は普通にホモセクシュアルでペドフィリアだろうとは感じていた。何の関係もない私が感じるぐらいなのだから、芸能界という内部にいた者も普通に知っていることだろうし、当たり前に事務所に所属する方々には周知の事実だろう。
 詳細は知り得ないが、ジャニーズはいつしかテレビ業界に対し、「強い売り手」となっていたようなのだ。無礼を働くと商品を提供してもらえないとなると、「買い手」は慎重にならざるを得ない。
 それほどテレビ業界に対して絶大な影響力を持つ大きな会社に成長させることのできたのは、氏の経営手腕に寄るところもあるだろうが、私にとってはその根源的なエネルギー源は性衝動以外に考えられない。未成年の整った顔貌を持つ所謂「イケメン」を選りすぐり、ショービジネスの第一線に投入できる教育を金儲けの手段だけでなく精力的に集めようとするなど、趣味や興味、好奇心の一環から始まったとしか思えない。少々乱暴に言えばハーレムの形成を行い、優秀な踊り子を貸し出している訳だ。

 私は、ペドフィリアは子供と接するところに絶対に一定数潜伏していると考えている。例えばベビーシッター・保育士・教員・習い事のスクールなど、彼らはあらゆる方法や知識を駆使し未成年に近づこうとする。それは、学校・児童保護施設・保育園や幼稚園・塾や習い事の場で起こり、身近に潜むことで対象を選別しその機会を虎視眈々と狙っている。
 そのため、この報道も、「今更何を言っているのだろう」、「死んだからやっと言えるようになった」と思っていた。



 2023年8月29日、「外部の専門家による再発防止特別チーム」によると、1950年代から2010年半ばまで、デビュー前の13〜15歳の数百人の少年たちに対し、自宅に宿泊させたり、講演先のホテルなどで入浴やマッサージから始まり、性器を弄ぶ、口腔性交、肛門性交といった内容だった。
 調べてみると、これらの内容は姉のメリー喜多川は認識していたが、表向きは全て虚偽だと主張し、隠蔽していたそうだ。他にも調べていると、ジャニーズ事務所に所属しているものは母子家庭が多いという話もあった。これも当たり前の話で、ペドフィリアによる王道のグルーミング方法だ。経済的に困窮しているものや、表立って主張する力のなさそうな大人しい性格のもの、発達障害や精神疾患を抱えるものに対して精力的にグルーミングを行うのはペドフィリアに寄る常套句だ。今更何を言っているの感が強い。
 これらの手法は権力への盲従によるグルーミングだ。2021年にフランスで調査された内容によれば、カトリック教会の聖職者3000人以上は推計21万人の未成年者に性的虐待を行ったとされている。

 わかっていても生きるためには、強いものには逆らいづらいのは当たり前だ。


 私が「気持ち悪いと感じた」のは、あの記者会見の嘘臭さだ。壇上におり、記者からの質問に答えるのは「噂でしか知らなかった」「噂は聞いたことがある」と嘯くジャニーズに所属しているアイドルたちだ。

 この人たちは自分のために「知らないふり」をしてきて、「知らなかった前提」であの壇上に立っている。内部に明るく、例え噂レベルだとしても、おそらく相当に詳しいところまで知っていただろうにだ。もっと言えば、半世紀にもわたり行われていたデビューのための通過儀礼とも言える性的行為は人によってはwin-winであるとも言える。全くメリットのない性行為ではなかったが故にこれまで隠匿されていたのだから。つまりは権力に盲従した狢だ。

 そして、マスコミ側も随分昔からそのことは知っていたはずだ。「知っていたが言えなかった」のか「言いたくなかった」のか「いう必要もなかった」のかは知らないが、氏が死去するやいなやツッコミを始めた。

 これまで想像するに圧力をかけられたり、上司から忠告を受けたりして取り上げなかったのだろう。つまりは空気を読んで忖度し、権力に盲従していたジャーナリズム精神のせの字も知らない人間たちが、急に「正義」を振りかざして壇上の狢を責めはじめた。彼らも狢なのだがやっと「王様は裸」だと言えたのだ。
 要するに、これまで見てみぬフリをしていた同じ穴の狢たちがあの大きな会場に集まってああでもない、こうでもないと言っているのだ。相当に気味が悪い。なんと壮大な茶番なのだろうか。

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