「彼と彼とが、眠るまで。」第十話
第一部 記録/安寧の学園(八)
けっきょく一睡もできないまま、アイは翌日の野外訓練をむかえた。
早朝から学園広場へ集合した生徒らは、教員から概要や注意事項の説明を聞き、それぞれの班に調査依頼書が配られた。各班は十分間の打ち合わせと情報共有をおこなったあと、指示された待機場所への移動を開始した。
アイの行動班は、アイをふくめて、レクサス、レヴ、イナサの四人で構成されている。レヴはここではじめてイナサの参加を知ったわけだが、とくに何をいうわけでもなく、ただ不快そうにイナサを睨んだきりだった。
今回、アイの行動班が調査するのは、森の遺跡だった。ひとくちに遺跡といっても、この場合、未探索のものではない。生徒たちが足を踏みいれるのは、すでに調査が終わっていて、安全と判断された場所に、教員たちが「危険を想定した仕掛け」をしている。いってしまえば疑似的なものだ。それらは〈色〉と呼ばれる着色剤であらわされ、付着した場合、負傷したものとして、応急処置や撤退などをしなければならない。時間経過によって色が変わる仕組みで、判断を見誤ったり、応急処置をまちがったりすると、減点対象となる。
かつて、それまで好成績をおさめていた行動班が意気込んでこの演習に望んだ矢先、地震と倒壊を模した〈色〉によって、全身派手な蛍光ピンクになったという話は、いまもなお語られている。
待機地点へ移動しながら、アイは一歩踏み出すごとに、現実感が遠のいてゆくのを感じていた。枝葉のすきまから見えるくもり空は、夜の色を引きずってきたような重い灰色をしていた。
「なぁ、レクサス」
レクサスは歩きながら、なんの気なしにふりむいた。
「あの話、やっぱ聞きまちがいだよ。昨日、夜にサファイアと会ったんだ」
「サファイアと?」
アイがうなずくと、レクサスはとくに疑うようすもなく、「そっか」と納得し「やっぱ、聞きまちがいだったんだぁ」と肩のちからを抜いた。
アイは安堵にゆるんだ彼の一挙一動を見ていることができなかった。
「ちばけとんのか!」
森の待機地点で、それまで黙っていたレヴが、いよいよ声をあげた。
「ちょっと転んだだけだろ、そんな目くじら立てんなって」
アイは二人のあいだに割ってはいった。レヴがアイの襟首をつかんでまくしたてる。
「こねぇボンクラ連れて来よって、おめぇ、貴族に目が眩んだんか!」
「ちがうって。ただの人数あわせだよ。わかってるだろ? お前だって、この訓練に参加したいって言ってたじゃん。どうしても必要だったんだって。ちょっとのあいだだけだから、それが終わるまで辛抱してくれよ」
「まともに歩けよらんやつが、なんかできるんか、ええ?」
レヴの指摘がその場を鋭く制した。彼の指摘はもっともだったからだ。レヴの直観の良さは、これまでのつきあいで知っていたが、――まさかここまでとは。よくよく観察して、はじめてわかるていどの微細な違和感を、レヴはこの短時間で見抜いてしまった。
「え、なに。イナサ、足悪いの?」
レクサスはなんの気なしに訊ねた。
イナサは苦笑した。
「ええ、まぁ」
「なんか、こまったことがあったら言ってね」
レクサスが心配そうに見あげると、イナサは「ありがとうございます」と笑みをかえした。
「人をバカにするのもたいがいにせぇよ」
レヴはアイの襟首をひねるようにして、近づけた。
「ろくに寝とらん顔しよるくせに、へらへら、ちゃらちゃら笑いよって。口では頼りにしとるじゃなんじゃいうて、けっきょく口だけじゃがさ」
「レヴ、もう時間だ」
アイは努めて冷静に告げた。
「腹割って話したいなら、演習が終わった後に殴り合いでもなんでもしてやるよ」
「話にならん。おめぇはいつもそうじゃ」
「この演習でのオレの仕事は、班長として冷静でいることだ。お前といっしょにケンカすることじゃない」
アイはきっぱりと言いきった。
けっきょく、レヴはさんざん文句を言ったあげく「好きにせられ」となかばヤケクソ気味に言いはなち、イナサへ「うっかりおっ死んでも、助けんけぇよ」と吐き捨てた。
人魔戦争の中で魔導のちからが解明されると、人族はそれを自らの手で使用することを考えた。人族のなかでも魔導適性があったのは水泡族と天翼族であり、純人族、亜人族、獣人族には、それほどの適性がなかった。その原因は、個体が保有・制御可能な魔素の量であることがわかり、そこで考えられたのが、魔素を外部から供給する仕組みと制御機構――魔導技術だ。この技術革新が、人族を勝利へと導く鍵となった。
アイがホルスターに下げている魔導拳銃は、比較的新しい魔導技術であり、少量の魔素をこめることによって、弾が自動的に装填・射出される仕組みになっている。軽量だが反動の少ない設計で、アイはこれを愛用していた。
アイたちが調査する対象の遺跡は、人魔戦争時代中期に稼働していたとされる廃工場で、水力によって稼働する仕組みだったらしい。地上に残された石造りの建物は、蔓性の植物に覆われ、木漏れ日をさえぎる壁の多くは崩れていた。長いあいだ風雨にさらされ、森と一体化したようなありさまで、ただ寡黙に存在している。調査内容はその地下の探索にあった。
調査は比較的順調に進んだといってもいい。途中、円筒形の構造物に、兵器毒を想定した仕掛けがあったが、それはまっさきにレクサスが危険だと直感で判断し、事なきを得た。もしレクサスの声を信じずに足を踏みいれていれば、それこそ全身が蛍光ピンクになって、学園の笑いものになっていただろう。ほかにも、浸水した足もとで転びかけたイナサをレヴがとっさに支えるという、じつにほほえましい助け合いの場面も見られた。レヴは口でなんだかんだと言っておきながらも他人のことを見捨てられない。そういう人間だった。
「アイ、あったよ!」
連絡用地下通路の奥。レクサスがピンと毛耳を立てて声をあげた。教員があらじめ用意していたコインが光を反照してきらりと光る。アイは周辺をよくよく見てまわり〈色〉の仕掛けがないことを確認してから、レクサスに合図した。コインを取ったレクサスは、尻尾をぶんぶんと振りながら嬉しそうにイナサへ見せた。
「とれたよ!」
「あとはこれを先生に渡して、報告書を提出すればいいんでしたっけ?」
「そそ。コインだけじゃなくって、調査内容も評定に入るから、そこはイナサに協力をお願いしたいわけ」アイは片目でうなずいた。
レヴはそのあいだもずっと、やや離れたところで腕を組むようにして黙っていた。
ふと、レクサスが顔をあげた。
「ね。なんか、変な音しない?」
彼は毛耳をいくらか動かし、辺りを見回す。
「……人の、声みたいな」
「人なんているわけないだろ」
アイはかるく肩をすくめた。
「目的は果たしたんだ。とっとと帰ろうぜ」
「それに、においも」
レクサスは鼻をひくひくと動かしながら、あたりをしきりに。うろうろとさぐりはじめた。
「ここ、ここだよ!」
指さしたのは、一見してわからないように作られた円形の蓋だった。建物の構造などから考えると、暗渠へつながる人孔のようでもあり、アイは眉根を寄せた。そのときに考えていたのは、これが評定に含まれるのかどうか、ということで、同時に、ここはふくまれないだろうとも判断していた。なぜなら、コインが連絡通路にあった時点で、それより地下の探索を、教員は想定していない。
アイがそれを口にするよりはやく、レクサスが蓋をあけてひょいととびこんだ。
「こら待て! うかつにとびこむな」
アイはあわてて、あとを追った。
音をさぐりながら、かまわず進むレクサスへ、アイはここが探索範囲の想定外だと告げた。うしろから遅れてきたレヴと、さらに、つまづきながらついてくるイナサのようすを見ながら、戻ることを提案する。
内部はやはり水路だったが、そのようすは次第に、整然とした人工物から、自然の岩肌へと変わっていった。水の跳ねる音がいくつも聴こえ、足もとが薄く濡れはじめる。岩肌は白い苔と地衣類で覆われるようになり、灰色と白のまだらが、いっそう掻き乱れるようにびっしりと身を詰める。道は道でなくなり、うねうねと蛇行して歩きにくくなる。温度が下がっていく。
「レクサス。だめだ。戻ろう」アイは言った。
どことなく嫌な予感がしていた。それはたんに、滑落の危険など、いくらでもありうる危険を想定していたからではない。本能的に。あるいは経験上。行かないほうがいい、と身体が叫んでいた。暗く、冷たい。ぴちょん、ぴちょん、と音が重なって反響する。薄く張った水を踏む。しずくが肩に落ちる。いくつも、いくつも落ちる。
レクサスは足を止めた。
「聞こえる。なんだろ……助けて、って言ってるのかな」
「そんなの……」
アイは耳をすませた。聞こえるのは、どこか鈍いうなりのような……。
唸り声。
冷たい水の反響とは、まったく異質な鈍い音。アイはその音をよく知っていた。それは、つぶれた咽喉が出す呼吸音と、機能が鈍くなった声帯から出る音だ。
その瞬間。岩の影から、ぬ、と白くなめらかな、しかし、擦れて汚れ爛れたソレが、腕を伸ばした。
「レクサス!」
アイはレクサスの前にとびこみ、ホルスターから魔導拳銃を引きぬいた。銃口を向ける。それは人のように見えたが、全身は白くただれていて、蝋のようになめらかな肌を露出させていた。口の孔がぐあ、とあいて、水なのか、よだれなのかわからない銀糸が引いて、とろりと垂れる。アイは目を見ひらいたまま、一発。二発と、たがわず頭部へ撃ちこんだ。視線をすべらせる。まだ、まだいる。
「アイ、あれなに!」
「退け!」
アイは後退しながら、奥からぞろりと姿をのぞかせたイビツな白を的確に撃ち殺した。アレには痛覚がない。腕や足を打ち抜くのでは意味がない。骨が折れたって襲ってくる。死角から近づいてきた手が、指をさすように向けられる。
――魔女め!
記憶の誰かが指をさす。それは目のまえの異形に酷似していた。――ちがう。魔女なんかじゃない。ちがう。ちがうちがう。オレじゃない。わたしのせいじゃない。
ちがう!
(考えるな。思いだすな。殺せ)
アイは引き金をひいた。魔導拳銃の横溝が、こめられた魔素に反応してあわく発光する。自動的に装弾された魔弾を、アイは機械的に撃ちだし、目の前の異形を次から次へと殺していった。そうだ。あれはバケモノだ。真っ白なバケモノ。殺さなければ殺される。
引き金をひく。魔素の弾丸が異形の頭を打ちぬく。指先の神経がとがる。
(脳幹を狙え)
(考えたら手が止まる)
(殺せ)
(ただ殺せ)
――魔女め!
また、誰かが指をさす。アイは否定した。ちがう。ちがうちがう。弾が切れる。弾倉を替える。手もとにすべり落ちた弾倉の重みが、ブレる。息が、できない。白い手が迫る。だめだ。捕まったら殺される。殺されるから、殺さなきゃいけない。なんでもいい。殺さなきゃ。
「アイ!」
目の前にとびこんできたレヴが、白を蹴りとばした。彼はこの狭い場所で長剣が振れないと判断したのだろう。迷うことなくアイの腰から短剣を引きぬいて、異形の首を斬る。ビシャ、と跳ねた赤が、アイの頬にはりついた。手もとを濡らし、とろりと落ちる。人間の体液と脂の感触。生き物の生臭いにおい。影から伸びてきた手が、肩に触れた。人間とは思えない力だ。とっさに魔導拳銃を振りあげる。振り下ろす。振りはらって、また振り下ろす。
(ああ、ああ)
前にもこうやって、人を殺した。
次にアイが目覚めたのは、見慣れた天井だった。いつもとちがうことと言えば、そこは消毒液のにおいに満たされていて、寝台がいくつもならび、白いカーテンの衝立でさえぎられていることだった。医務室だとすぐにわかったのは、アイはしばしば、ここに薬をもらいにくるからだった。
燭台の炎が影を揺らす。窓外は暗く、時刻は深夜をまわっているらしかった。
「お目覚めですか」
すぐわきに座っていたイナサの存在に気がついたアイは、こまったように、へら、と笑った。
「悪ぃ、オレ、もしかしてぶっ倒れた?」
イナサは、レヴとレクサスが白い異形を払いのけ、倒れたアイを抱えてその場を脱し、全員で教師のもとまで戻ったことを説明した。調査報告は、すでにイナサが出してくれたようだ。
「二人は?」
「となりの部屋で仲良く眠っていますよ」
「無事なら、よかった」
アイはちからを抜いて、片腕をひたいに押しつけた。
「……奇病だよ」
「奇病?」
イナサは手元の本を閉じた。
「ああ、白いバケモンになって、痛覚もなんもなくなっちまう。そういうやつ」
身体を起こして、肩をすくめるように笑ってみせる。
「ま、だいたいはその前に死んじまうんだけど。オレの村は、あれで全員死んじまってさ。オレだけ生き残って、学園に拾われた、ってそういう話。おもしれぇのがさ、オレの村って、よくある田舎の風習ってやつ? 恒例の儀式があって、女に生まれたヤツは、初潮を迎える頃と、十五、二十を数えるころに、お清めをしなくちゃなんねぇの。あ、初潮ってわかる?」
イナサは翡翠色の瞳で、記憶をさぐったらしかった。
「いえ」
「初潮ってのは、女が第二次性徴を迎える頃に初めてむかえる月経のこと。月経ってのは、子宮の内膜が剥離する出血のことで、だいたい二十八日周期で、出血は三日から七日間続く。この生理的な循環によって、女の身体は子どもをこしらえることができる、ってわけ」
「あまり想像が」
「まぁ、簡単に言ったら一ヶ月に一週間くらい、股からたくさん血が出るってことだ」
「痛いんですか?」
「人によるけどな。あとは月経が起こる前に、腰痛や乳房の緊満感。頭痛とか吐き気があるって子もいるかな。あとは情緒不安定とか、けっこういろいろ起こるし……オレの場合は、毎度薬を服用してるよ。痛くて動けなくなるからさ」
アイは下腹部をなでた。
「で、オレの村には、女の腹には悪いもんが宿るって言い伝えがあってね。それを清めなくちゃ、その女は魔女になって、しまいには村が滅びるんだと」
「そのための……儀式?」
イナサは不思議そうな顔をしていた。
「そ。けど内情はただの乱交だよ。年頃の女を孕ませて子孫繁栄。よくできた仕組みだろ? 社会的な立場が弱くなるようにしながら、女を都合よく飼いならして組み敷くための風習さ。――オレも本当は受けなきゃいけなかったんだけど、怖くて逃げた。そしたら、村に奇病が蔓延して、みんな死んじまった。いや、殺したんだ。殺さなきゃ、殺されちまうから。アイツら、おっかしいんだよ。腕がつぶれても、脚がダメになっても、這いずってくる。頭をつぶさなきゃならない。椅子でも、なんでも使って、何回も振り下ろしたよ。最初はただ必死に殴ってただけだったけど、三人目くらいからかな。要領がわかってさ。頭蓋を割る音とか、血と脂で濡れる感触がいまでもずっと残ってて」
「アイ。顔色が悪い」
イナサの指摘に、アイはハッとした。息をはいて、吸って、またはいた。「ごめん」ひたいを押さえて、頭を振る。ややあって寝台から降りると、アイは大きく身体をのばし、冗談めかして笑った。
「二人に声かけて、寮に戻ろうぜ」
上着に袖を通し、荷物を背負って医務室を出る。
暗い廊下へ出ると、細い灯りが一筋だけこぼれていた。となりの部屋だ。ドアノブに手をかけようとしたとき、ふと声が聞こえて、アイはその手をとめた。
「レヴ、あのね」
レクサスの声だった。
「アイはさ、おれたちが思ってるよりも、たぶん、ずっと、考えてて」
「そねぇなこと、わかっとる」
今度はレヴの声が聞こえた。
「アイツが俺よりずっと頭ええことも、まわりばぁ見て合わせよんのも、知っとる。じゃけぇ、アイツが無理して笑うんが、嫌なんじゃ。気ぃ遣うっとんじゃ、つかわせとんじゃ、って。アイツにとって、俺ァそねぇもんかって、思うと、やるせねぇ。どうしてやりゃええんか、わからんのんじゃ。アイツの笑みが本物なんか、たまによう分からんなる」
「大丈夫だよ」
レクサスは言った。
「アイは、かっこつけだからさ。弱みとか、あんま言わない。けど、強いわけじゃないんだ。だからね、ちゃんと、頼れる人の……アイは、アイが信じられるって思った人じゃないと、近くに行こうとしなくて。大事なこと言わないから、おれもたまに、心配になるけど。でもね。アイはね、レヴのことが、すっごく大切だと、おれ思うんだ」
「だそうですよ、アイ」イナサは声をひそめた。
「ったくさー。声かける機会、逃がしたし」アイは向かいの壁に背をあずけて、自分の両肩に首をうずめるように、襟もとへくちを隠した。
「恥ずいことばっか言いやがって。このあと、どんな顔して会えばいいかわかんなくなるじゃん」
となりにイナサがならぶ。
「いいですね。トモダチ、って」
「うっせぇ。外野みたいな顔しやがって」
「ただの人数合わせ、でしょう?」
イナサは朗々と言った。アイはなにも答えなかった。
「泣いてるんです?」
「こっち向いたら拳銃でドタマ散らすからな。黙ってそこで壁になってろ」
「はいはい」
イナサはこちらを向かないまま、苦笑したらしかった。