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「彼と彼とが、眠るまで。」第三話
第一部 記録/安寧の学園(一)
――イルフォール学園中立国家。
そこは、広大な海の上に浮かぶ、ひとつの四季島だ。島をまるごとひとつ、教育の機関としてもうけた中立の学園国家。次世代を担う子どもたちの生育を目的としたその場所は、出自も貧富も問わない受け皿の広さをもち、孤児から上流階級の子息までが、全寮制の学園で等しくすごす。
基本的な学術や世間一般の教養にくわえ、個々に応じた戦闘訓練や野外活動のほか、各国への職業訓練を実施し、めいめいの国や裕福な上流階級の貴族らが、これに協力している。
魔導文明の発達したこの現代を脅かすものといえば、人魔戦争以前に大陸の覇権をにぎっていた、魔につらなる血族――いわば〈魔族〉と呼ばれる者たちで、しかし、それらの活動は国際的な法令が定められたことにより、ここ数十年とおちついている。
ほかにも、たとえば種族・国家間の小さないさかいなどはあったが、世界的に見れば、ほんのささいな小競りあいのようなもので――純暦一九一四年。時代は、安寧の上にあった。
アイは、十歳を数えるころに本大陸の山村で拾われた孤児だ。その後一年半ほどを学園街西区のイルフォール孤児院で過ごし、純暦一九一○年の春に、めでたくイルフォール学園中等部へ入学。同時に学園寮へ入寮する運びとなった。それから三年間をつつがなく過ごし、この春から高等部へ。
外部生を加えての半年が過ぎた純暦一九一四年の十月初旬。
島国の豊かな緑が紅葉し、教科棟の教室から見える中庭の御神木もまた秋色に変わった季節のことだった。時季外れの入学生、という知らせが、学生アイが平穏にすごしていた教室をざわめかせた。孤児あがりでもない入学生はめずらしく、生徒はすぐさま、くちぐちにその憶測を話しはじめた。その答えは、入学生を見た誰もが、すぐ理解した。
その入学生はひょろりと背の高い男子で、耳輪がうえに向けてピンととがっていた。亜人族だ、というのはすぐに知れた。亜人族は突然変異としても生まれる種で、純人族とちがって、すこし耳がとがっていたり、奇形があったりと、いびつな身体特徴を持つが、それ以外は、純人族とそう変わらない。獣人族のように五感や身体能力が優れているわけでもなければ、水に親しい水泡族のように華やかな容姿をもっているわけでもない。亜人族は、純人族の下位互換と呼ばれていた。ひどく劣っているわけではないが、多くが奇形をもつゆえにやはり嘲笑の的にならざるを得ない、というものだった。
アイは転入生の所作を見て、すぐに彼が上流階級の出であることを理解した。だいぶ庶民慣れした動きをしているが、どことなく、隠しきれない育ちの良さがある。アイは内心、憐憫を彼に向けていた。上流階級は、どこの国も、たいてい亜人族を嫌う。それが血族に出たとなれば、必死になって隠したくもなるのだろう。
案の定。入学生は、「イナサです」とだけ言って、上流階級の象徴ともいえる家名を、けっして口にしなかった。
「じゃあ、イナサさんの席は、そちらね」
担任のスフィネリア魔導教諭――通称、リアちゃん先生が、彼を席にうながす。彼女は魔導教諭でありながら、魔導術を使えない。そのうえまだ三十二歳とずいぶん若かった。自尊心の高い他の魔導教諭は、彼女にあまり良い印象を抱いていない者も多いが、彼女がこうして教壇に立っているのは、その魔導術への並々ならぬ熱心さと行動力を評価されたからに他ならない。真面目な片眼鏡の奥はいつも熱にあふれていて、また、その世話焼きかつ責任感の強い気質のせいか、生徒たちのあいだでは密かにリア姉などと呼ばれているのであった。
時季外れの入学生は、長い足を品よく運び、教室のいちばん奥へ向かった。アイのとなりを通り過ぎるときに、アイはとなりの生徒といつものように軽口をかわしながら、入学生をそれとなく見やった。新しい制服の袖口から、日焼けのない手首がのぞく。彼はそれぞれに黒色の革手袋をはめていた。柔和な横顔に反してどことなく排他的なその黒色が、アイにとってかすかな興味となったことは、言うまでもない。さきほど、彼は自己紹介で、学園で楽しみなことや、運動事が大の苦手だ、などと話しながら、ここぞという時に、上手いことを言って、クラスの笑いをさらっていった。甘くやわらかな翡翠色の瞳はどことなく茫洋としていて、一見無害そうにも見えるが、ただそのままの印象をうけとるのはかなり危ういように思えた。――これが、時季外れの入学生、イナサへ対する最初の印象だった。
スフィネリア教諭が示した扉側の席。そのとなりには、誰も座っていない。それは、本来そこに座っているべき学生がいなかったからだ。
ざわめいたのは、クラスメイトたちだった。
――ねぇ、あそこ大丈夫?
――大丈夫だろ。だいたい欠席してるし。
――でも、昨日も上級生とケンカしたって。
空っぽの席は、学年でも有名な不良生徒、レヴのものだった。多くは欠席しているが、彼がひとたび気まぐれに現れると、クラスメイトたちはその面持ちを変える。いまにも暴れだすのではないか。目をつけられるのではないか。そんなふうにレヴをおそれて肩をこわばらせたり、あるいは辟易としたような視線を向けたりしながら、皆それとなく様子をうかがうのだった。
「ねぇ、アイ。イナサさん、大丈夫かな?」
その声に、周囲の生徒たちの、いくらかは、アイの返答に興味を持ったらしかった。
「ま、大丈夫じゃねぇの? なんとかなるっしょ」
明るいアイの返答に、女生徒らは楽観的すぎでしょー、とけらけら笑い声をあげ、安堵の色を顔に浮かべた。