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「彼と彼とが、眠るまで。」第五話
第一部 記録/安寧の学園(三)
放課後。図書室へ向かうアイの足を止めたのは、ほかでもないレクサスだった。彼は真っ赤な頭に、ふさふさの毛耳が特徴の獣人族で、アイとは孤児院からのつきあいになる。いつもやたら元気で明るい彼は、孤児院時代からその印象をほとんど変えない。誰に対しても分け隔てなく、すなおな気性。関わる人の笑顔を自然とひきだしてしまうような人懐っこさがある。この数年で多少変わったといえば、背丈がちょっと高くなったとか、声変わりがあったとか、そういう部分だ。
「おれまたフラれたよぉぉぉ」
「フラれたって、お前も懲りないね」
親友レクサスは、端的に言えば、いま恋をしていた。それも、一ヶ月半ほど前に学園の御神木の前で出会ったのだという。それからというもの、レクサスはその想い人とやらへ会うたびに愛を伝えては、こうして玉砕して戻ってくるということをくりかえしている。人類みなトモダチと言わんばかりの彼が、たった一人についてここまで熱心になることは、今までにないことだ。アイはそれをめずらしいと感心するいっぽうで、現実的に、親友の行く末を案じていた。
「お前さ、前も言ったけど、望み薄だと思うぜ?」
「だって好きなんだもんあぁぁぁぁ」
「それより、筆記。試験結果は?」
「ぜんぶムリぃぃぃい」
「お前さぁ」
「勉強きらいだもん。センセ、なに言ってるかわかんない」
「ま、一律の授業体制に問題があるのはわかるけどな」
アイはかるく肩をすくめた。
「言ったろ? 勉強教えてやるって。お前が〈氷の帝王〉サマにお熱なのは知ってるし、それを無理に止めたりはしねぇけどさ。相手は上流階級でしかも同性。他人なんて侮蔑の対象ですが? って言わんばかりのあの態度。やっぱ望み薄だと思うけどなぁ。今日だって玉砕してきたんだろ?」
「アイだって女の子とっかえひっかえじゃん」
「じゃかぁしい。オレは一人一人真剣に向き合ってんの。人聞きの悪いこというなや……まぁ、すぐフラれちゃうんだけどな……みんなやっぱ、もっと身長が高い人が良いとかさぁ。なんかトモダチ以上に見れないとか、なんでって思うじゃん? オレ一ヶ月以上続いたことないんだよ。デートプランだって入念に下調べしてさ、相手の子が楽しめるように組んでさ、相手も楽しかったって。でも最後に、言うんだよ。楽しかったけど、やっぱりなんかちがう。恋愛になりきれないって。だからトモダチにもどろって。え? なに? オレの身長のせい? やっぱり身長なの? 成長期なんだよ将来見越してくれよこんなイケメン見逃すなよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおお!」
「えと、なんか、ごめん?」
レクサスはなんとも要領を得ないようすで、謝った。
けっきょく、おたがいにうだうだと恋が実らない話をし、来月の野外訓練で班員がもう一人足りないのをどうしようだとかそういった話をしながら、アイはレクサスとともに図書館まで足を運んだ。
重厚な扉をくぐると、紙と、紙に染みついたインクを束ねた香りに包まれる。音は壁面を覆う本の群れに吸いこまれて、それまで耳に届いていた雑音が、しん、と聞こえなくなる。静謐。どこまでも、静謐だ。
アイがまず向かったのは、入口すぐの魔導検索機だった。探したい本はまずこのパネルを操作すれば、どのあたりに何があるか見当がつく。
流れでついてきただけのレクサスは暇そうに、うろうろとしはじめた。それを横目に指先でパネルを叩く。あの調子なら追試は確定。であれば、その追試に焦点を当てておけば進級はどうにかなるはずだ。レクサスの学力は、ひかえめに言っても褒められたものではないものの、野外訓練や実技試験における成績は上位に匹敵する。それは彼が獣人族であるがゆえに、といってもいい。純人族とは比べものにならないほど発達した五感が備わっていることにくわえ、さらにレクサスは、そういった感覚――直感的な器用さ、とでも言うべきか――にとりわけ優れていた。ちゃんと勉強こそすれば、それこそ総合順位だって上位に躍り出るだろうが、どうにもレクサスはそのことに、てんで興味がないらしかった。
アイはさらにパネルを操作した。
次の試験にも備えて、人魔戦争は押さえておくべきだろう。となれば、人族と魔族についても、それぞれおさらいしておいたほうが良さそうだ。
所要三分。検索を終えたアイは、検索機から離れ、すっかり暇をもて余しているレクサスへ声をかけようとした。そのおりに、レクサスの表情は、一転した。
「サファイア!」
まず、彼の横顔が、ぱっと明るくなった。毛耳がピンと立ちあがり、赤い尻尾が振りきれんばかりに大きく揺れた。次の瞬間にはもうレクサスはとびだしていて、まっすぐに想い人へ向かっていた。彼は迷わず、サファイアに抱きついた。
わたしがこれについて補足しておくのであれば、おそらく、これはもはや運命というものに他ならない。レクサスという人物は、そのあっけらかんとした気性のなかで、実に芯のある男だったということも、記しておくべきだろう。それほどに彼は実直であったし、誰よりも人を愛することを知り、そしてそれを貫くだけの矜持をもった男だった。
わたしは、それをじつに羨ましく思い、また、ひどく憧れてもいた。
さて、レクサスが迷わずとびこんだ相手こそ、この学園でもっとも恐れられる生徒――イルフォール学園高等部二年。〈氷の帝王〉こと、サファイア=クォンフィート・フォン・コランダム。その人だ。
彼は学園に莫大な資金提供をしているスウィル公帝国を出身とした上流階級の生まれだ。いつも身に着けている金色の美しい指輪は、〈魔導抑制具〉であり、彼自身がもって生まれた魔導力の高さを示している。それはただ、ふつうよりもちょっと優れているだとか、そういった話ではない。彼は抑制具をつけていても、校庭ひとつを氷柱で埋めつくしてしまえるほどのちからを持っている。とびぬけた魔導力と精度の高さ。それが〈氷の帝王〉と呼ばれるゆえんだった。
サファイアは切れ長の瞳をレクサスの赤色へ向けた。冷ややかな眼差しだった。溶けるように美しい薄氷の髪が、さらりと肩を流れ、それがひとたびなびくと、誰もがその影に浮かぶ深海の色に息を呑む。同時に、彼の眼光のあまりの鋭さと冷たさに射貫かれ、みな一様に言葉を失った。彼は自らが得意とする〈氷〉の魔導術と同じように、心を凍てつかせ、いつも周囲の人間を見放しているような、ひどく冷たい瞳をしているのだった。
アイは正直なところ、あの〈氷の帝王〉のどこにレクサスが惹かれたのかが、不思議でならなかった。彼が視線を動かすたびに。彼のその儚げな咽喉から他者への不信と拒絶が極めて短く、かつ冷酷に発せられるたび、アイは寿命の縮むような思いがしてならなかった。聞くまでもなく、サファイアという人物は、他人をひどく嫌い、さらには憎んでいる。
案の定、サファイアはとびついてきたレクサスに対して、「帰りなさい。迷惑です」とレクサスを押し返した。だがレクサスは「せっかく会えたんだから、いーじゃん。ね?」と笑いかける。このまばゆい笑みを見て、彼がさきほどまでフラれたとさんざん泣いていたなんて誰が信じるだろう。親友はどうやら想い人にまた会えたことがよほど嬉しかったらしい。それこそ、フラれたショックを忘れて、よろこびがあふれてしまうほどには。
レクサスの横顔を見つめながら、アイは内心、苦悩していた。それは、レクサスの恋について自分が親友としてどのような態度をとるべきか、ということだ。
親友としてゆいいつの良き理解者となるか。あるいは、いばらの道へとびこまんとする彼を止めるか――。第一に、身分がちがう。相手は上流階級で、それも魔導術士家系の一人息子だ。対してレクサスは孤児であり、身分的な後ろ盾もなにもない。出自や地位の旨味が、ひとつもないわけだ。さらにいってしまえば、彼らは同性だ。上流階級の人間が男色に興じる、という噂は聞いたことがあるが、それがどのていど真を帯びているかと言われれば眉唾ものであるし、そもそもサファイアにそういった好色があるようにも思えなかった。仮に、万一に気に入られたとして――、果たして身分違いの、同性の恋が成就したとして。そこから先の将来を望めるだろうか。アイにはそれがどうにも、絶望的に思えた。
「サファイアさん」
スフィネリア魔導教諭の声が聞こえて、アイは図書館の入り口を見やった。彼女は、サファイアの姿を見ると、片眼鏡の奥を光らせた。
「放課後すぐ進路指導室に来なさいと言ったでしょう」
「冬期職業訓練の話ですか」サファイアは言った。
「わかっているなら、よろしい」
教諭は目じりをゆるめサファイアに近寄ると、抱えていた書類をいくらか彼へ手渡そうとした。
「父様の書簡は蹴っておいてください」
「またそういう」
「どのみち不要でしょう」
「それは……ともかく、そういう物言いは、おやめなさい」
スフィネリア教諭は、言葉を濁しながら、サファイアを叱責した。
「失礼。少々気が立っておりました」
「そんな、いいのよ」教諭はサファイアの肩に手を置いて微笑んだ。「それじゃあすぐ来てくださいね」
教諭は、ほかの生徒たちへ視線を向けると、やわらかく腰を折った。お騒がせしました、と言わんばかりの表情で、まるで子どもの世話を焼く母親か、あるいは弟の不遜を詫びる姉のようでもあった。ただ一度、彼女が顔をあげたとき。レクサスを見つめる片眼鏡越しの瞳が、針のように鋭い眼光を帯びた。