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私の「しあわせ」とは何かを、考えた時に。

皆様こんにちは~
新年早々のインド映画鑑賞時に、爆発的威力を装備したウイルスに感染しまったようで、体調がバチくそ悪かったニートです・・・
鼻の奥と咽頭上部あたりにウイルス増殖が始まり、ちょこっと熱が出た後、咽頭→喉→気管支と徐々に下がって今は咳だけになりましたが、恐ろしい色の痰や鼻水が体内から出ておりました。侮るなかれウイルス・・・
皆様も自己免疫をぶち上げて、どうぞお気を付けください・・・

さて、昨年から身近な様々な人から言われたり、各種SNSに溢れていたりする「あなたが幸せだと思うことをやろう!」という言葉について、私にとっての幸せとは何だろう?と考えておりました。
以前の投稿で、その時点での私の答えを記事にしました。
が、幸せな状態ってずっと続くわけではないし、波があったり人によって幸せの形が違うよなぁ、幸せではないときは不幸になるのか?幸せで居続けないとなんか逆にプレッシャーなんだが・・・そんなの無理ゲーでは?
などなど、少し腑に落ちない点があったので、そのまま考え続けてみた結果、一つの答えにたどり着きました。((いぇいっ

それは、漢字表記が「幸せ」 ではなく 「仕合せ」の方がしっくりくる説です。

こちらの「仕合せ」の意味をなんかこう色々なところで検索してみると、「幸せ」とほとんど同じでしたが、私が思っていた「幸せ」にはなかった、

めぐりあわせ、運命

という意味がありました。
そうか、自分にとって良いことも悪いことも、それは自分の成長や未来を生きるために必要な出来事との出会いであり、そうやってゼロではない何かと出会えることが「仕合せ=幸せ」だと考えれば、人生でどんなことに遭遇しても、落ち込みすぎたり、生きることがしんどくなったりはしないし、ちょっと嫌なことがあっても、「なるほど、次回似たようなことと会ったときは、こう対処しよう」と未来の自分の糧になる考え方ができます。
私の幸せは美味しいものを食べることや家族や友達と笑いあうことで、それが幸せだと思えることは間違っていませんが、私は仕合せ説を押す、というかしっくりくるなと、感じました。
そうすると無理にキラキラ幸せそうにしなきゃいけない重さがなくなり、マジで生きているだけで仕合せやん!となるわけなのですね、目から鱗~~

昨年までの5年間、私はいろいろな人との出会いや習い事、事件があり映画が3本ほど撮れそうなほどでした。((インド映画には敵いませんが…照
出会いの度に壁にぶつかっては壁をぶっ壊すハンマーを自作し、比較的物理攻撃で壁を乗り越えて(?)きました。
その度に多くの学びがあり、感情がぐるんぐるん動き、メンタルやフィジカルが強くなっていきました。

私の短い人生経験での意見で恐縮ですが、人間は幹細胞のように元々なんでもできるんだと思います。それが、生まれた家庭環境、親戚、学校、住んでる地域などの仕合せと、その仕合せに出会ったときに、その要素を自分がどう捉えて活かせるかどうかにより、個人の道が決まっていくだけなんだ。
仕合せはそうやっていろいろな経験と出会い学び、人として深みを増すことができる、本当に感謝すべきありがてぇシステムなんだと、やっと腑に落ちたのです。
そして、仕合せを自分の成長に繋げてしまえ!とポジティブに捉えられるかどうかで、人生大きく変わってくる、人生は本当に自分の自己責任である。とも思います。
嫌だったこと、トラウマになるくらい怖かったこと、辛かったこと、楽しかったこと、嬉しかったこと、全てが仕合せ・幸せだと考えると、人生への辛さが緩和されていく。
それを経ることで、死の間際に「たくさん経験し、深みを得ることができた良い人生を送れた。我が人生に一片の悔いなし。」と思い死んで行けるんだと思うし、私はそうやって死んでいきたいです。

私はもう結構一片の悔いなし系女子(爆笑)になれるように全力で生きているのだが、たぶんまだまだなのでもうちょい緩く頑張りたいと思います。
2025年も頑張ってくつもりです~~とりま早急に働きたいっ

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