第4話 mariage
クレモンスから紹介してもらったナターリアのお母さんの持っている物件は
16区victor-hugo にあった。
初めて訪れた場所だった。凱旋門のあるシャルルドゴールエトワール駅から2番線に乗り換えて一駅。
ヴィクトルユーゴー駅を降りて地上に上がると、Place Victor-Hugo ビクトルユーゴー広場。
中央に噴水のある大きなロータリーで、凱旋門の周りほどではないがたくさんの車がぐるぐる回っている。
広場の周りを歩いてみると、あきらかに住んでいる人たちの雰囲気が他と違う感じがした。
身なりが綺麗で、紳士淑女といった感じ。観光客らしき人はそれほどいなくて、
ここは間違いなく高級住宅街だとわかった。
そして、そういう人たちがたくさん行き交っていて、活気があった。
紹介してもらった物件は広場に面した教会の左となりの通りを50メートルほど入ったところ。
3 rue mesnil
メニル通り3番地
3番地の建物には4つの店舗があり、二つの店舗に売り物件という張り紙が出ている。
ひとつは綺麗めのエピスリーでここはもう営業はしていなかった。
もうひとつはフィリピン系の生活雑貨店、めっちゃピンクの外観でパリらしさのかけらもない。。
すぐにクレモンスに連絡して、どっちかな?と聞くと。
ちょっと待ってと、ナターリアに連絡して聞いてみてくれた。
pink one!
という返事が返ってきた。笑。
こっちか。。工事費は少し高くなりそうだけど、場所は申し分ない。
さて条件と複雑な事情というのはなんだろうと。
ナターリアにコンタクト取ってみる。
家賃は少し高かったが、3倍ほどの広さがあった。
ナターリアはミラノで暮らしているらしく、詳しいことはお母さんである物件オーナーマダムと会って話をして欲しいという。
マダムピションと数日後に会って話を聞くことになった。
ちょっと複雑な話ということで俺の英語では理解できないといけないので
友人に同席してもらうことにした。
当日は物件には入らず、直ぐに建物の上にあるマダムピションの部屋に通された。
ピションさんはとても上品なお金持ちマダムという感じで、部屋は広く豪華でクラシカルなホテルのような雰囲気だった。
フラビュラスを見せて、貸してもらえるようになんとか売り込もうとすると、
マダムは、ウェブサイトで見せてもらったわ、
とても素晴らしい、あなたの店が私たちの建物にできることがとても楽しみだと言ってくれた。
そしてお手伝いさんがコーヒーを持ってきてくれたところで、複雑な事情とやらを話始めた。
はじめは俺にもわかるように、英語で話してくれていたが、
この話は友人とフランス語で話してもらった。
どうやら、フィリピンの生活雑貨店の人たちが契約違反をして、飲食店のようなことを始めたので、
住人たちから苦情がでて、警官などがくる騒ぎになった。
マダムは、契約解除の裁判をしているところなのだという。
今は彼らも物件を売りに出しているが、もうすぐ退去になり、退去になれば営業権の売買なしで、
あなたとの賃貸契約だけで、入ってもらえる。
判決はもうすぐ出る。
しかし、裁判が長引くこともある。
もしあなたが、営業権を買い取る予算があるなら、その額を彼らに伝えることもできる。
という話だった。
なんとなく、追い出されようとしている人たちに、同じ外国人として後ろめたい気持ちがあったが、
勝手に飲食店って無茶苦茶するなぁ。という気持ちもあった。
なにより、アイロニーの花を気に入ってくれる人が入って欲しいといってくれているところで始めたいという気持ちが一番大きかった。
判決を待ちますと伝えてマダムピションの家を後にした。
帰りがけにマダムの家の壁にたくさんかかっている絵画をみて、
余分に広いスペースは、アートギャラリーを併設して、家賃の高い分を補おうと思いついた。
日本からパリに挑戦したい人たちの足がかりにもなるし、パリのいろいろなアーティストたちとも新たな交流が持てるかもしれない。
少し光が見えてきたような気がした。
その後しばらくして、クレモンスと約束していたいとこの結婚式の装花を手伝う日がきた。
クレモンスは、数日前から、何度も連絡してきて、ほんとに手伝ってくれるんだよね?
ちゃんと覚えてるよね?とイマイチ言葉の通じていない、なんでもいいよOKという男が心配そうだった。
朝クレモンスが、滞在先のオデオンのアパートの前まで車で迎えに来てくれた。
いざランジスへ。
クレモンスの弟のグレゴリーは日本でも名前の知られている、パリの有名店ラルチザンフローリストのオーナー。
クレモンスも10年ほど前にはランジスのなかにあるテナントを借りて旅行者を相手にブーケを作って販売したり
パリ市内のホテル数件と契約をして花を活けていたりしたらしい。
ランジスまでの車中でいろいろと詳しく話を聞いてみる。
この結婚式の花嫁はクレモンスのいとこであるヴェルジニの娘だという。
クレモンスとグレゴリーが小さい頃はヴェルジニが車にのせあちこちに連れて行ってくれたんだとか。
ヴェルジニは離婚してから一人で花嫁であるリリを育てたとか、グレゴリーは自分の仕事が忙しくて今回手伝ってくれないとか、
徐々にいろんなことがなんとなくわかってきた。
クレモンスは、花の仕事をしていただけあってか、俺の気分をすごくよく読み取ることができる。
おれが適当な返事をしていてもすぐに見抜いて、わかるような英語で説明してくれる。
これはなぜかはわからないけど、たくさんの友達ができた今でも、クレモンスが一番苦労なく英語で話ができる。
みんなにぜひそのコツを教えてあげて欲しい。
さて、そうこう言っている間にランジスに到着。
クレモンスは10年ぶりのランジスだったようだが、知り合いがたくさんいて、いろいろな人と再会を喜び合っていた。
予算を聞いて、イメージを聞いて、必要な花をピックしていく。
初のパリでの大きな仕事。たくさん花が買えるのは楽しい。
綺麗な紫陽花とバラを中心にグラミネや葉っぱをたくさん買った。
郊外の式場だということで、多分周りの山で木を切ったりできるだろうと、大きな枝物なんかは現地調達にしようと話をした。
器も必要だったので、ヴェルジニも車で荷物をのせに来てくれた。
ヴェルジニは話に聞いてた通りのノリのいい感じのお母さんで、とても歓迎してくれていた。
荷物を積み込んでいざ式場に向かう。前日の今日準備をして、明日が式当日、明後日も家族だけのブランチのようなものを式場でするらしい。
ヴェルジニの車の後ろについてはフォンテーヌブローのほうに車はむかっていっているようだった。途中急に舗装されていない脇道へ入ったと思うと
広大な敷地が見え、お城が見えてきた。
よくわかっていなかったが、うわさに聞いていた郊外の城を借りての結婚式だった。
貴族たちは、先祖からこういう城を受け継いでいくものの、昔のような収入はないので、維持していくために
ホテルにしたり、こういうイベント時に貸し出しをしたりしているらしく、
結婚式がよく行われるとは聞いていた。
城の庭のほうに入っていくと大きな白いイベント用のテントが張られていて、そこが会場になるようだ。
前日のその日は、ごくごく親しい親族や新郎新婦の友人だけが来て、準備を手伝っていた。
日本のようなかしこまったり、時間に区切られまくっている雰囲気ではなくてみなワイワイと楽しんでいて
映画でみるような世界だった。
テントのなかにテーブルを用意して、クレモンス、ヴェルジニ、リリの親友のソレンが手伝ってくれるというので
みなにカタコトで指示をだして、準備を進めていく。
これに関しては言葉もなにも困ることはなく、いつものように仕事ができる。
クレモンスにはおれがつくった見本を見て同じものをつくってもらい、
ヴェルジニに下処理などのサポートについてもらい、ソレンにはおれの素材の下処理のサポートしてもらって
4人でテーブルの装飾を仕上げた。
はじめは誰だこの日本人という雰囲気だった人たちもはじめに束ねた見本のブーケを見た途端、�アツシお腹空いてない?
飲み物のむ?と急に親切になったのが面白かった。
ゲストテーブルとメインテーブルを仕上げて、教会の椅子につける花をつくったところで、
前日の準備は終わりにして、今日の宿となるクレモンスのパートナーの別荘にいくことになった。
翌朝は昼までに少し離れたところにある教会の装花を終わらせて、夕方から披露宴だ。
披露宴にはどうやらおれも招待してくれるらしかった。
クレモンスの車で一時間ほどさらに南に車を走らせた田舎町、田園風景が広がる中にあわられた外壁の前で
着いたわ。とクレモンスがいった。
おじさんが出てきて門を開けてくれると、そこにも立派なお屋敷があった。
数日前に、クレモンスが見せてくれたプールや庭や建物の写真は式場ではなくて、どうやらこの別荘だったようだ。
車で屋敷の近くまで行くと、たくさんの犬たちと、屋敷の主人であるジルが
ピアース・ブロスナンをやさしくした感じで出てきた。。
ジルはよく来たねとクレモンスと一緒に改装したというセンスよすぎるお屋敷を案内してくれ、ぐるっと一周まわった庭に
キャンドルや花を飾った夕食のテーブルセッティングをしてくれていた。
これをおもてなしと呼ばずになんと呼ぶのだろう。
料理は屋敷を管理して野菜などを育てているギーがしてくれているとようだった。
近くの肉屋からいい肉を仕入れてくれたようだ。
野菜やフルーツはすべて庭で彼がつくっているものだという。
犬たちは食事中ずっとまわりにおとなしくすわっていて、絵に描いたような幸せなディナーだった。
クレモンスとジルは、アツシの泊まる部屋ついて前日にケンカをしたという話をしていた。
ジルは、離れがシャワーも風呂も気兼ねなく使えるし快適だといったが、
クレモンスは、アツシは特別なゲストだから離れじゃだめだと言ったらしい。
どっちがいい?と聞くので、気を使わない離れがいいと言った。
離れも綺麗に改装されていて、3つのベッドルームどれをつかってもいいといってくれ、風呂とシャワーが二つあった。
なんて素敵な生活なんだろう。
自然の美しいところに、人を招いて喜んでもらう。
土や木がくれるパワーというのがある。そういうのがものすごく感じられる場所だった。
その夜は泥のように眠って、翌朝、ジルと敷地の森に木を切りに行った。
カタコトだけどいろいろな話をした。
ジルは、この辺りは戦争があったから、アツシの泊まっている離れにはドイツ兵の幽霊が出たいう人もいたんだよ。と言った。
oh my god! I can't speak also German. というとウケていた。
カタコト英語でも笑いがとれるようになってきたぜと手応えをつかんだ一瞬だった。
帰ってきて、3人でギーの用意してくれた朝食を食べて、教会の装花に向かう。
いい枝があったので、教会の花もなかなかいい感じに仕上がった。
その後、披露宴会場に戻っての花のセッティング。いい感じ。悲しいかな空間というのは何より大事な要素だ。
いくら花をがんばっても空間が冴えないと生かすことはできない。
おれがパリにきたかった理由の大きな一つだ。
ジルの屋敷に戻ってまたギーの用意してくれた昼食を食べた。ほんとうに滋養味というのかパワーがあってうまい野菜と肉たち。
クレモンスが連日の引っ越しの準備などで疲れているので教会での式には参加せずに披露宴まで昼寝することにした。
夕方目が覚めて、ジャケットを羽織って屋敷へいくとかっこいい二人が登場。
車にのって披露宴会場につくとたくさんの人がきていた。こどもたちもドレスアップしていてかわいい。
ちゃんとアツシタニグチと席次表にも書かれている。
たくさんの人が声をかけてくれて花を褒めてくれた。
その度にクレモンスが誰だか紹介してくれるんだけど、元旦那とか元奥さんとかエックスがやたらと飛び交っていてフランスらしさを感じた。
フランスの披露宴で感じたことは、プロの司会みたいな人はいなくても、わきあいあいといい雰囲気でパーティは進んでいくということ。
親族のスピーチなんかも同じようにあるけども、�みなとても自然で形式ばった雰囲気がないということ。
子供達は子供達だけのテーブルにすわって大人のようにしているということ。
とにかく長く、つぎからつぎへと料理が出てきて、踊ったり、深夜まで続く長丁場だということ。
もちろん子供達もこの日ばかりは夜遅くまで飛び跳ねて一緒にパーティを楽しむ。
それにしても急に現れたアジア人にみんな友達のように接してくれて温かさを感じた1日だった。
まだみんな踊っていたが、クレモンスの体調もあまりよくないので、ジルと3人で1時頃に帰ろうということになった。
屋敷について、ジルがアツシなにかもう少し飲んでいくかい?と聞いてくれたけど、ううん、もう充分ハッピーだから寝るよと言って
二人にビズをして、ふらふらと離れにもどった。
湯船につかったあと一番景色がいい部屋のベッドに横になったけど楽しかったいろいろな場面が頭を巡ってなかなか眠れなかった。
披露宴の最中。ヴェルジニの弟、リリの叔父さんがスピーチをした。
もちろんフランス語だから、なにも聞き取れなかった。
でも、クレモンスからヴェルジニのことを聞いていたし、
前日からみなと一緒に準備をしていて、彼が話していることがなんとなくわかった。
中盤から聞いている人たち全員の空気が変わって、話終わったあと会場中が感動に包まれたことを肌で感じた。
リリは泣きながら、叔父さんにキスをして、そのあとヴェルジニとも抱き合った。
言葉がわかっていない俺にも伝わるくらいのスピーチだった。
フランスでも日本でも同じように幸せで特別な1日というものがあって
その日には花を飾る。
花屋の仕事は誰かのそんな1日に立ち会うことができる。
その日をより美しく彩ることができる。
それがたとえ言葉の通じない異国でも。
この仕事を選んでよかったなぁとしみじみ思いながら、
ドイツ兵が出てこないうちに早く眠ろうと思って目を閉じた。。
この夢のような結婚式の週末にひとつの嬉しいメッセージが届いていた。
ナターリアからだ。
フィリピンの人たちの弁護士は2週間以内に鍵を返して出て行くといっている。
はやければ今月中に私たちは契約の話をするために会う必要がある。
あなたに会えるのを楽しみにしているわ。
ナターリア
すべてがうまく進み始めたように思えた週末だった。
à suivre