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ポーランドで修行してきたのでサーベル術について改めて書く

以降の内容は https://under-identified.hatenablog.com/entry/2024/09/30/233331 に投稿したものと同一の内容です. どのサービスが一番文書を書きやすいかを調べるために, いくつかのサービスで同一の内容を投稿しています.


はじめに

私は過去にこのような投稿をした.

これらを書いた時点ではネット上に転がってる話をもとに一人で調べていただけだったが, その後複数回ポーランドを訪問して現地で活動している複数の団体からレッスンを受けたので, そこで習ったことを多少反映して更新する.

基本的な前提について

初歩的なことから順に, やや脈絡なく書いておく.

まず, 私が「西洋剣術」と言ったらそれは HEMA を意味する. HEMA は Historical European Martial Arts の略語である. HEMAの訳語は「西洋古武術」とかにしたほうが適切な気がするし, 実際にHEMAには剣以外の武器も扱うジャンルもあるし, 格闘術も含まれる. だがいつのまにか「西洋剣術」という呼称が定着しているので, しばらくはこの用語も使うことにする.

ちなみにヨーロッパに行くとHEMAという小売店をときどき見かけるが, この店とは全く関係ない.

HEMAで最も愛好者が多い分野は中世ドイツの長剣術だと思う. 統計を取ってないので本当かは知らない. だが, 他の時代・地域のHEMAに比べて格段に資料が多く, 研究が進んでいるのは確かである. 14-16世紀に書かれた, 保存状態の良い文献がいくつも現存しており, それぞれの記述の細かな差異からさらに深く分析できる程度には研究が進んでいる. もちろんどれも中世のドイツ語で書かれている. しかし, 現在は英訳がいくつも出版されているため一般愛好者も情報に触れやすい. 私が今年2月にウィーンで参加してきた Dreynevent も, 当時の武術を研究する愛好家(何人かはプロの研究者でもある)が集まるイベントである.

一方で, 私が関心を持ってるもう1つのHEMAのジャンルは「17世紀のポーランドの剣術」であり, こちらは文献があまり残っていない. 具体的には, 現存するポーランド語で書かれた体系だった剣術の文献で最も古いものは19世紀のものである. よって, 「16世紀ドイツのヨアキム゠マイヤーの剣術を学びたい」と言えば, 参照すべきはマイヤーの書いた武術書であり, 迷う余地はない. ドイツのリヒテナウアーの剣術について知りたいのなら, 14世紀の終わりから15世紀頃にかけて彼の門人を称する人間たちによって書かれた武術書を参照すれば良い. それぞれ微妙に記述が異なるが, 「各文献を総合的に参考にしています」といえば問題ないだろう. 一方で「17世紀のポーランドの剣術をやりたい」と言った場合, 最優先でこれを読むべきだ, という文献がない. 後述するように, HEMAとしてポーランドの剣術を実践している人々はいずれも, 複数の断片的な資料から, いくらかの推測による補間を用いて再構成するという方法を採っている1

加えて, ドイツでは「剣術ギルド」が存在し, ギルドの認可を得た者以外は勝手に剣術を披露したり, 教えたりしてはならない, という独占特権が存在したことも, ドイツ剣術の同一性維持に一役買っている. このような特権があったから, 剣術ギルドの関係者が著した武術書であれば, 当時の主流武術であろうと推測できる. 一方で, ポーランドではそのようなギルドが存在したという記録はない. 代わりに, 騎士階級の家庭に生まれた人間は, それぞれ親から剣術の稽古をつけてもらっていたということが示唆されている. そのため, 家庭ごとに教え方が全く異なる可能性すらある.2

一次史料について

上記のように, 17世紀にポーランドで書かれた武術書は見つかっていない. だが, 今回会った武術家はいずれも, 以下のような文献のいずれかを参照している.

  1. 1542?, Paulus Hector Mair “Opus Amplissimum de Arte Athletica,” MSS Dresden C.93/C.94, 初期新高ドイツ語

  2. 1570, Joachim Meyer, “Gründtliche Beschreibung der Kunst des Fechtens” (MS A.4°.2, 初期新高ドイツ語) (Forgeng, 2016 の英訳あり)

  3. 1610, Ridolfo Capo Ferro, “Gran Simulacro dell’Arte e dell’Uso della (イタリア語) Scherma,”

    • 1616, Sebastian Heußler, “Neu Kunstlich Fechtbuch” (初期新高ドイツ語, Mauerer (2019) による英訳あり)

  4. 1612, Jakob Sutor von Baden “New Kůnstliches Fechtbuch”

  5. 1611, Michael Hundt, “Ein new Kůnstliches Fechtbuch im Rappier” (初期新高ドイツ語, 新ラテン語)

  6. 1686, Francesco Antonio Marcelli, “Delle regole della Scherma” (イタリア語, 英訳書籍あり)

  7. 1690?–1695?, Jan Chryzostom Pasek “Pamiętniki” (“The Memoirs of Jan Chryzostom z Goslawic Pasek” という題で英訳あり)

  8. 1749, Johann Andreas Schmidt “Gründlich lehrende Fecht-Schule oder Leichte Anweisung, auf Stoß und Hieb sicher zu fechten” (初期新高ドイツ語)

  9. 1761, Anton Friedrich Kahn の著作

  10. 1679, Theodorus Verolinus (Theodori Verolini, 署名がラテン語表記になっている) “Der Kůnstliche Fechter” (新高ドイツ語)

  11. 1830, Michał Starzewski “O Szermierstwie”, (ポーランド語, Daria Izedska による英訳あり)

  12. 1840, Jędrzej Kitowicz, “Opis obyczajów za panowania Augusta III” (ポーランド語, 英語訳あり)

それ以外の文献について

上記の一次史料を参考に再構成した現代の資料もいくつかある. Zabłocki 以外は以降で紹介する各団体のインストラクターが書いたものである.

  • 2001, Wojtech Zabłocki “Szable Swiata”

  • 2014, Richard Marsden “Polish Saber”

  • 2012, Zbigniew Sawicki “Traktat szermierczy o sztuce walki polską szablą husarską. Część druga. W obronie Ewangelii”, 他多数

現代の武術団体について

私の知る範囲で挙げる. もちろん他にも団体はあるが, 特にHEMAを重視している団体に限定すると, こうなる.

Silkfencing

私は今年2月と6月にレッスンを受けた. いずれもイェジ゠ミクラシェフスキ (Jerzy Miklaszewski) 氏によるものである.

彼がトーナメントプレイヤーであるからか, 動作が少し現代フェンシングの動作に似ていた. だが一方で, 背骨を曲げずに, 下半身は常に一直線にし, 攻撃防御を素早く切り替える際には, 膝の屈伸運動のみを使って行え, ということを繰り返し指導された. トーナメントプレイヤーではあるが, 私のこのような動きに対して「それは良くない. 馬に乗ったときにそんなぎこちない動きでは攻撃にならない」と注意していたのが印象に残った.

クラクフにあるジム

最初のレッスンの終わりに「教わったスタイルがスタジェフスキ (Starzewski) の書いているものとぜんぜん違うのはどうして?」 と思い切って聞いてみたところ, 参考にしている武術書についていろいろ教えてくれた. まず, スタジェフスキのスタイルは17世紀当時の剣術よりもドイツのアカデミックフェンシングの影響が強いため, 17世紀的ではないと考えているらしい. つまり, 17世紀のサーベルとは性質が異なる, 比較的軽い剣か, 手元に重心のある扱いやすい剣を想定した戦い方と考えているようだ. では具体的にどの武術書をより重視しているのかと訊くと, 以下を挙げた.

  • Ridolfo Capo Ferro

  • Marcelli Francesco Antonio

  • Anton Friedrich Kahn

  • Johann Andreas Schmidt

  • Theodori Verolini

どれも17-18世紀の独伊の文献である. これらに加え, Jan Pasek をはじめとする当時のポーランド人の書いたいくつかの日記等を参考にしているらしい. なお, Heußler に関して, 私は当初サーベルに関する独自の記述があると考えていたが, ミクラシェフスキ氏からは, 記述の多くはそれより古い Capo Ferro の翻訳なのであまり参考にしていない, とコメントを得た. 加えて, ドゥサックも参考にはしているが, マイル (Paulus Hector Mair) やマイヤー (Joachim Meyer) などの文献は古すぎるのであまり参考にしていないという.

6月に再び訪問してレッスンを受けた時は, 紙を斬る練習をした. 紙の切断面から, 斬撃の姿勢に問題がないか確認できるという. 例えば, 切断面に細かい波が走っていれば勢いが足りない, 切れたというより破れた場合は刃が立っておらず, 引っかかっているだけになっている, といったふうに, 切り口から診断できる.

地域によって使用されるサーベルの特性は異なる
入射時に力んでいたため刃筋がやや乱れ、斬り終わりには減速してしまっている
トルコ式のサーベルは鋭く研ぐが重く扱いにくい

Phoenix Society of Historical Swordsmanship

この団体のインストラクターであるリチャード゠マースデン (Richard Marsden) はアリゾナ州のフェニックスでジムを開いている. CombatCon でも毎年ワークショップを開いているようだ. ミクラシェフスキ氏と仲が良いようだが, 彼の著作である Polish Saber の内容は Miklaszweski氏のスタイルではなく, 既存の文献をそのまま紹介する内容だった. 私はまだマースデン氏と面識がないので, 彼のワークショップやレッスンがどういうものなのかは知らない.

Signum Polonicum

今回紹介した4団体の中で一番古いので, サイトデザインも古い. 創始者はズビグニェフ゠サヴィツキ (Zbigniew Sawicki) であり, スタジェフスキ (Starzewski) のマニュアルに則したスタイルであるとしている. 2023年に日本武道学会と合同で IMACSSS; Martial Arts and Combat Sports Scientifics Society の大会が開かれたため, メンバーと会う機会があった. それ以降, 私はこの団体に所属しているということになっている. 創始者とは2度面会したことがあるだけで, 基本的にインストラクターの資格を持っている別の人物から教わっている. 最近はWebカメラを使って現地のレッスンの時間に合わせてオンラインで練習することがよくある.

今回紹介する団体の中では最も型稽古重視?である. 最初はポーランドの伝統に則り, ただの木の棒である palcat を使った形稽古をひたすら行う. ただし, 安全のため, スパーリングの際はゴムチューブで覆った専用のpalcatを使う. この動作には単なる個人の武術というより, 体育の団体行動っぽいものも含まれている. レッスンの開始と終わりに3回くらい礼をするので, 高校生のころまで習っていた少林寺拳法を思い出した. この型にも, 徒歩と馬上戦闘両方で使う動作が含まれているらしい.

練習風景を撮影する余裕がなかったので代わりに馬の画像を掲載しておく

Sztuka Krzyżowa (Cross-Cutting Art)

https://hroarr.com/article/the-sabers-many-travels-the-origins-of-the-cross-cutting-art/

創始者はシェニアフスキ (Sieniawski) 親子で, 今年2月に息子のバルトシュ (Bartosz) 氏から1度だけレッスンを受けた. 最初に「我々が『十字の剣術』を名乗っているのは単に十文字(正確には, X字か)に斬りつけるからだと思っている人が多いみたいだけど, それは間違えだよ」と思わせぶりなことを言われて始まった.

彼が最初に強調したのは, 「力強い斬撃をいつでも出せるようにする」ということだった. そのために, 最初に素振りではなくフットワークの指導を受け, しかも最初からかなり細かい指摘を受けた. 踏ん張りやすいように足を十分に開いて立ち, 前後に移動する際は素早く足を切り替えることを徹底して指導された. フットワークがある程度ものになった時点で初めて, 力強く斬りつける練習が始まった. 相手にとっては常に力強い斬撃に襲われるため, 力を入れて防御しようとする意識が働く. すると, 相手は過剰に力むようになり, フェイントに引っかかりやすくなり, こちらはすかさず軌道を十字に交差させ, 別方向からの攻撃に切り替えて制する, というのが最も基本的な戦術らしい.

実際, スパーリングを兼ねた防御練習でも, 彼は容赦なく斬りつけてきたので, 最後のほうは手が痺れて辛かった. というかこれを防具なしでやるのはちょっとおかしい.

練習部屋
一人練習用の器具

このようなスタイルのため, 他と比べてインファイトの傾向があり, 反りが強い, 裏刃のあるサーベルに向いた戦い方であろう. 反りが強いサーベルは当時のトルコによく見られるので, ミクラシェフスキ氏が「彼のスタイルは私と比べてより中東の影響を受けている」と評していたのも, この辺が関係しているのかもしれない.

さらに知りたければ, 彼らが公開しているオンライン教材を買うか, 直接コンタクトを取って教えてもらうのが良いだろう.

その他の断片的な情報

moulinette (ムリネ) について

結局これ何なのか? 私もまだ良くわからないが, 今は「回転を余計にすることで威力を上げる」という説明は眉唾だと考えている. (昔コロコロコミックでやってたK-1の漫画で、拳を回転させて打ち込む, という似たような話が出てきたが, 当時からできるのか? と思っていた) ミクラシェフスキ氏であれば, 攻撃し終わった際に仕切り直さずにすぐ別の攻撃を行うために手元で剣を回転させてすばやく攻撃前の姿勢に戻る動作をこう呼んでおり, SP では攻撃前に一回転空振りさせてから斬りつける動作をこう呼んでいた. 後者は威力を上げるというより, タイミングをずらすフェイントの一種のように思える.

「試し斬り」について

ゲーム Hellish Quart では先日のアップデートでストーリーモードが追加され, その中で, 粘土の塊を切断するミニゲームが登場した. これは当時のポーランドでも実際になされていたことで, Zrodzeni do Szabli でも言及されている. ミクラシェフスキ氏からも, 当時そういうことをしていたという話を聞いた. 粘土の試し斬りは, 元はオスマントルコか, あるいはもっと遡ってキプチャクの風習だったらしい. さらにそれ以外にも, 真鍮や鋳鉄など, 比較的脆い金属で作られた錠前あるいはドアノブのようなものを切断するという腕試しも流行していたらしい.

現在はHEMA業界でも巻藁斬りが普及しつつあるが, 安上がりな水入りペットボトルを使う事も多い. 水で満たすと弾力が発生するので人体の感触に似る……らしい. ミネラルウォーターのような薄いペットボトルならばあまり練習しなくても切断できるようになるが, コーラ用ペットボトルのような分厚く取っ掛かりのないものは難易度が高い. Signum Polonicum では, 「研ぎ澄ました剣でペットボトルを切っても自慢にならない. なまくらの剣でも切れるようにしないと一人前ではない」と言われて刃こぼれした剣で斬る練習をさせられた…


1: 唯一の原典があれば全てに関して断言できる, という考えもまたナイーヴに過ぎる. 実は, 2年ほど前にマイヤーの未発見の武術書が新たに見つかっており, 既知の武術書にはない記述が含まれていた. リヒテナウアーに関しても, 現存する写本は原本ではなく, 書記が誤って書写したものであるという仮説が唱えられている. さらに, 文書を読んだだけでは武術は身につかないから, 史料研究や練習を通して当時の文献の記述の意図を噛み砕くプロセスが必要である. 人間はコンピュータではないので, 完全なマニュアルを読みさえすれば完璧に再現できるということははないし, 練習を積み重ねても完全に一致することはまずないだろう.

2: そもそも, ギルドの構成員の多くは市民階級なので, ドイツであっても騎士階級とは異なる武術を実践していた可能性がある.

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