だからそれはクリープハイプ
高校時代、いつも親友と通ったカラオケ。
いつもガラガラだったのに、この前見たら手作り感満載の祝10周年看板が飾ってあったよ。
クリープハイプに興味を持ったのはそこで友達が歌っていた「ただ」。
息継ぎが大変そうな感じも、ビビッときた感じも、勘違いじゃなかったみたい。
そこからどうやってここまで来たのかよく覚えてないんだけど、私の人生にじりじりと入ってきて、便利な世の中だから多分色々見漁って聞き漁って気づいたらこうやって語ってた。
クリープハイプは曲が良い。本当に良い。歌詞をしっかり噛んで味わったのもクリープハイプに出会ってからだ。白米本来の美味さを知るより先に言葉の上手さを知った。自分なりに言葉を大切にできるようになったのも、振り返るとクリープハイプのおかげなのだと思う。
2022年、大阪城野外音楽堂でのクリープハイプの日。
天候が怪しかったのにレインコートを買わずに入場してしまった。
雨に反射する照明が美しくて、冷たい雨が高揚している熱い気持ちに当たって気持ちよかった。
最後、風邪を引かないようにと言って歌ってくれた「大丈夫」。「大丈夫 どんなに雨が降っても あんた濡れてる顔もかわいいから」と歌詞を変えて歌ってくれたことをずっと覚えてる。
雨をこんなにも好きになったのは初めてだった。
いわゆる日常である雨、あの匂い、服が肌にへばりつく感じ、靴が濡れてどんどん靴下まで侵食してくる感じが、非日常であるライブと混ざりあって特別な感覚になる。「帰ったら服を洗濯して靴を乾かさなきゃなあ」とか、あまりにも現実的なことをライブ中に脳の片隅で考えたりする瞬間がなんか可笑しくて、「現実を忘れてこの瞬間を楽しもう」みたいなライブより心地よかった。非日常ではあるけれど、非現実ではなくてちゃんと現実だった。今、生きていて、それを五感で実感しながら大好きな人を見て大好きな曲を聞いている事実がたまらなく嬉しかった。それから日常のふとした瞬間にあの日を思い出して、毎日が少し明るくなった気がする。
良くもないけどどん底みたいに悪くもない私の人生に、ただそばに居てくれるクリープハイプの歌がどうしようもなく合っている。
頑張れとか、君ならできるとか、熱い言葉をかけてくれるわけでもないのに、ただそこに居るだけなのに、居てくれることが本当に嬉しい。
しばらく経って考えてみると知らないうちに背中を押されていて、振り返ってみるとそこには誰もいないんだけど、横を見てみるといつも、大好きな歌がある。
ずっと居続けて、私の心を射続けて。
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