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Who am I... episode1

もう少し後に書こうかな・・・と思っていた自己紹介

やっぱり「この人誰?」が分かって読むのとそうでないとは私が読む立場なら違うと思うから渡米準備記事よりまず私について書いていこうかと・・


とはいえ、40年を超える人生簡単には語れないけどw

よかったらお付き合いください

1)幼少期から大人になるまで

日本の自然豊かな田舎町の次女として生まれ

これ!!と言って

特技も好きなことも夢中になることも無いけど、それなりに幸せに生きてきた。

勉強も運動も人並み。

何か吐出した特技や才能があるわけでもなく

「普通」という言葉が一番ピッタリの人生^^


例えば、アイドルに夢中になる友達とか羨ましかったり

小学生の頃は「リボン」とか「なかよし」とか漫画雑誌があってそれも漫画が読みたいからでもなくみんなが飼ってるから買わないと・・・ってな感じで手にしてたタイプw


そう!この頃からきっと私は

「人と違うこと」に異常に恐怖があって

「みんなと一緒」ということに妙に安心感があった

それが正解だと思っていた本当に自分がわからないタイプでした


それでも、例えば学級委員とか部活のキャプテンとか才能があるわけじゃないのになってしまう感じもあって・・・

心のどこかに、「目立ちたがり」の私がいたんです。

でも、そんなの一切あるわけ無い!!って心底信じてたこじれた少女

地元の中学、地元の普通科の高校、そして地元の短大へと進む

なーーーーんも面白いみのない


2)短大から社会人に

幼い頃から従姉妹とか子供が子供を面倒みるの最たる人だった私は

自然と、「保育士」になりたいと思うようになってそのために大学に行きたいと言ったけど、我が家ってちょっと変わってて

「勉強しなさい」と一切言われない家。

それどころか

「あなた、勉強嫌いなんだし、大学なんていかずに働いたほうがお金も

稼げて楽しいから働きなよ。勉強できたってしょうがない」っていう母親でした。

私は2年違いの姉がいて、その姉がいわゆる超絶頭の良い人で

塾に行くでもなく、普通に学年トップだったりね。

だから余計、「頭悪い人は大学行くより良い道がある」的な。

でも、どうしても「保育士になりたい」と懇願して何とか短大に

いかせてもらった。

ここで!!

初めて、その人並みとか「当たり前」の道から外れたのが

就職の時。

その大学の9割が当たり前に保育士になるのに

私は自動車関連の会社の営業事務に就職したという(笑)


人と違うこと・・・

この選択が怖かったなー

3)社会に出て

OLになった私は何と!1年で退職することに。

1番は、ずっと座っていること、言われたことを淡々とこなすことが本当につまらない、私には合わなかった。

そして、実はある日、当時まだまだ遊び盛りの私は週末にクラブに行ったり朝帰りも当たり前だった頃、クラブの帰りの車で何か私おかしい・・

顔に不思議な違和感・・・

友達に「私の顔なんか変じゃ無い?」と聞いても

「そお?」ぐらいの反応。

そして、帰宅して翌朝目覚めた時には顔が半分動かなくなってた

顔面神経麻痺

朝帰りの娘に腹を立ててる母には無視され。

仕事を午前中休んで病院に行くと、すぐに入院となった

日に日に右側半分が硬直して動かなくなる自分の顔

動かないだけじゃなくて、支えられてた神経が麻痺するわけだから

冗談抜きで、福笑いのように眉毛は下がり、左右の顔が全くバランスを失いとてもじゃないけど直視できない・・・恐怖に震えたよね。

「このまま戻らなかったら?」

近所に、同じ病気になって後遺症で顔が曲がってしまったおばちゃんがいて。すぐにその人の顔が浮かんだ。


もう人生終わった・・・

死にたい。


本気でそう思ったのがこの時が初めて。

20才。見た目が全てのようなこの時期にとても受け入れられなくて

当時付き合ってた彼にも「絶対に会いに来ないで!!」と挙句の果てに

「別れたい」って一方的にw

それぐらいショックで恐怖なこと。

退院してからも、毎日サウナに通って顔を動かし

家では、「あたりめ」を買ってきて噛み続け

母も、あの手この手と針治療から謎の民間療法まで

「良い」と言われることはお金も問わず何でも情報を集めてやらせてくれた。これには今でも本当に感謝なんだよね。


おかげで、ほとんど後遺症もなく何とか今までやってきてて

それでも発症から10年ぐらいはどうしても右側の違和感が気になって。

今でも笑うと左右は違うけど、他人から言わせれば言われないとわからない

レベル程度。

この20年以上、再発したか?というのが3回。

その都度震えたけど、今ではね。

そんな体験をしたこともあって

嫌な仕事を、つまらないと言いながらやる人生はダメだ!

ってこの頃初めて感じて

やっぱり、「保育士」やりたい

1年ズレて、保育士の道へと戻りました。

保育士として働いたのはそれでも結果3年。

やっぱり子供好きだったし楽しかったしやりがいもあった

でも、何かが物足りない・・・


それが明確に何かはこの時は分からなかったけど

そんなことを感じ始めた頃


やりたいことが見つかってしまった><


・・・ということで

案の定長ーーーくなってしまいましたが

本当に、普通のそして何か特技も才能も秀でたものも全くない

でも、それなりに幸せだし、別に不満もなく

みんなと一緒が一番と思って

「普通とか人なみが一番」って真剣に思っていた


それが私という人でした

そんな私がどうなっていくのか・・・

よかったらつづきもまた読んで頂けたら嬉しいです♡



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