『いじわるな遺伝子』 読書感想文
はじめに
この記事は、『いじわるな遺伝子: SEX、お金、食べ物の誘惑に勝てないわけ』(テリー バーナム (著), ジェイ フェラン (著), 森内 薫 (翻訳)) の読書感想文です。
概要
ある種の鳥は、巣の外に飛び出た卵を巣の中に戻す習性がある。その際、彼らは常に、一番大きな卵から順に巣に移動させる。
大きな卵ほど、そこから生まれてくる雛が健康である確率は高い。そのことを考えれば、これは合理的な行動だ。
しかしこの戦略には、一つ問題がある。彼らの「大きいほど良い」という判断には上限がない。だから、科学者がメチャクチャ大きな (成鳥よりも大きな) 偽の卵を巣の近くに置いておくと、彼らは巨大な偽の卵を移動させることに夢中になり、本物の卵をほっぽりだしてしまう。
彼らは愚かで哀れに思えるかもしれない。しかし、我々人間にも同じような愚かさがある。
本書では、人間が取りがちな一見愚かな行動を、遺伝子から見た合理性を踏まえて考察し、なぜそのような行動を取ってしまうのか、そしてそのような行動を回避する (させる) にはどうしたら良いのかが紹介される。いくつか抜粋してみよう。
事例紹介
1: お金は貯まらないのに脂肪は貯まる
例えば、「お金をつい使いすぎて貯まらない」「ご飯を食べすぎてしまい脂肪が貯まる」というのは、「いじわるな遺伝子」流のメガネを通してみれば、表裏一体の問題である。
大昔、冷蔵庫のない時代の人間やその他の動物にとって、彼らの富である食料は数日と経たずに腐ってしまうものだった。大きな富を手にしたときに取れる最善の選択は、それを即座に消費し、脂肪という形でエネルギーを貯蓄することだった。
そのような戦略が成功したからこそ生き残った先祖を持つ我々が、消費を止められずお金を貯められないのは仕方のないことなのかもしれない。この戦略をプログラムされた遺伝子を持っているのだから。
この説明は納得がいくものだ。ただ、本書の優れている点は、愚かな行動の原因を遺伝的な要因に求めるだけでなく、理性の力で本能をハックする方法についても紹介してくれるところにある。
消費してしまうのは、そこに富があるからだ。本当に貯蓄をしたければ、富を自分の目に見えない場所、あるいは手の届かない所にさっさと移してしまえばいい。例えば、あえて利便性の悪い銀行に貯蓄をするとか、積立投資用の資金は給料から事前に天引きした上で振り込んでもらうといった対策が考えられる。
食べ過ぎを回避したければ、欲望に惑わされる前に腹を満たしておくか、食べ物に手が届かないようにすればいい。スーパーへ買い物に行く前に、予め低カロリーの食事で腹を満たしておくのだ。もし、既に手元に食べ物があるならば、先んじて廃棄すればいい。著者の一人は、機内食で出るブラウニーに、すぐさまマヨネーズをたっぷりかけてしまうそうだ。こうすれば、胃がムカムカしてきて、とても食べようとは思えなくなるらしい(マヨラーには向いてなさそうな策だが)。
2: 浮気は遺伝子にとって合理的
現代の夫婦の離婚の原因は、どちらかの浮気であることが多い。残念なことに、遺伝子の観点からすると、浮気をすることには一定の合理性がある。
結婚とは、要するに一種の契約である。女性は男性に「あなたの子を産む」ことを約束し、男性は女性に「生まれてくる子供への投資を行う」ことを約束する。女性が出産時に支払う一時的だが莫大なコストと、男性が長期的に支払うコストの見込みが釣り合えば、二人は結婚して子を産むことになる。
だから、約束を反故にしてメリットだけを享受するチャンスがあれば、それになびいてしまうのも無理はない。
男性にとっては、投資を行わずに自分の遺伝子をバラ撒くこと(つまり無責任中出し)は十分合理的な行動だ。一方、女性にとっては、現在のパートナーをカモとしてキープしつつ、より優れた遺伝的性質を持つ遺伝子を受精すること(つまり托卵)も、やはり合理的な行動といえる。
こうした契約違反に対する反応も、男女で異なるようだ。男性は、信頼しているパートナーが別の男と寝ることに強い嫌悪感を抱く。女性は、信頼しているパートナーが別の女と深い情緒的な繋がりを持つことに強い嫌悪感を抱く。
裏切りを味わいたくないのであれば、まずは相手からの信頼を得ることが肝要だ。裏切られるリスクが高まれば、その分先制攻撃を仕掛ける動機も大きくなる。日頃から約束を守ったり、愛情を伝えたりすることが重要になってくる。
あるいは、生まれてくる子供へ引き継がれるべき良い性質をより多く備えた人間を目指すというのも一案だ。健康、性格、社会的な地位など、ある程度自分の力で改善できる要素は多い。自分の遺伝子を含む子供が、優れた投資先である(つまり生存率が高く、多くの孫を残す可能性が高い)と示すことが重要なのだ。
3: 世界は遺伝子が思っているほど狭くない
狩猟採集を行っていた時代の人類の遺跡を調べると、多くとも数百人程度の集団で過ごしていたことがわかるらしい。そして、ほとんどすべての人が、同じ集団内で一生を終えていた。
そのような環境下では、他の人からナメられたり、嫌われたりすることは、文字通り致命的だった。だから我々は、例えば高速道路で割り込みをされるとイライラし、場合によっては報復に出ようとする。知り合いと喧嘩をすると、大きく凹んだりする。あるいは、仕事での失敗を過剰に恐れたり、ゴシップ記事に夢中になったりする。
でも、現代社会には、昔とは比べ物にならないくらい多くの人が住んでいる。それに、集団間の移動も遥かに容易だ。割り込みをされたからといって、実際に発生する損害は、目的地への到着が数秒遅れる程度にしかならない。「あいつは強引に割り込んでも黙って譲ってくれるぞ」とまわりに吹聴されることはありえない。
あるいは、自分との距離に関係なく世界中のゴシップを集めることは、集団が小さかった時には合理的だったかもしれない。しかし一生出会うことのないだろう有名人や架空の人物のゴシップに夢中になるのは、全く無意味だ。冒頭で紹介した、巨大な偽卵に騙される鳥を思い出して欲しい。それらは、我々の本能をくすぐる情報のジャンクフードに過ぎず、実際の生活にはほとんど役立たない。
現代では、人間関係のトラブルが生じるリスクは、本能が警告するよりずっと小さい。集団内での地位や名誉を多少失ったところで、それが死に繋がる事は滅多にないし、そもそも属する集団を変更するという手段もある。だから、特に人間関係や仕事においては、本能的な許容度を超えて、リスクをより積極的に受け入れた方がよい。
本能に抗うのではなく、本能をハックするべし
我々が他の動物と決定的に異なるのは、本能に対抗するための十分な理性が備わっていることだ。遺伝的に受け継がれた本能のクセを知り、現代にはそぐわない部分があれば理性の力で本能をハックすることで、より幸福な人生を送れるようになる。
ただし、常に本能に抵抗するべきだという意味ではない。幸福を感じるには、ある程度、本能の欲望を満たしてやる必要がある。
本書の終盤で登場するオデュッセウスとセイレーンの物語は印象深い。オデュッセウスは自らの体をマストに縛り付け、船の進路を制御できない状態で、セイレーンの美しい歌声に耳を傾けた。もし危険を避けることだけが目的なら、他の船員と同じように、単に耳を塞いでしまえばよかったはずだ。
しかしそれでは面白くない。理性を働かせ、行き過ぎた欲望から身を守りつつも、本能がもたらす幸福は存分に味わうべきなのだ。それが、人生をより楽しく生きる術なのだろう。
まとめ
本書『いじわるな遺伝子』には、上述したような数多くの遺伝的な本能と、それに対抗するための策が紹介されている。事例紹介が多く、語り口も軽妙でとても読みやすい。とても面白かった。
著者のテリー・バーナムとジェイ・フェランは、それぞれ生物学者と経済学者という異なる分野の専門家だが、その知見を融合させることで、人間の行動を遺伝子の視点から分かりやすく説明している。現代社会における様々な問題を、進化の過程で形成された本能という観点から捉え直し、それを上手くコントロールするための方法を提案しているのだ。
最近読んだ本で近いテーマのものと比較すると、本書は『利己的な遺伝子』よりは実践的で、『ヤバい経済学』よりは原因にフォーカスを当てたものという印象を受けた。
リチャード・ドーキンスの名著『利己的な遺伝子』は、生物の行動を遺伝子の利己性から説明した画期的な書籍だが、遺伝子の命令に逆らうことを末尾で説きつつも、その具体的な手段については触れていない。それに、内容がやや難解だ。
一方、スティーブン・レビットとスティーブン・ダブナーによる『ヤバい経済学』は、データを基に人間の行動を詳らかにしているが、なぜそのような行動を取るのかという根本的な原因には踏み込んでいない。
『いじわるな遺伝子』は、これらの書籍の間を埋める存在だった。遺伝子という原因に着目しつつ、その分析結果を現代社会で応用するための実践的な方法論を提示しているのだ。
これらの本を読んだことがある方には是非『いじわるな遺伝子』を読んでほしいし、まだどれも読んだことがないという方には、3冊まとめて読むことをオススメしたい。人間という生き物の本質を、そして自分自身を、新しい視点から理解することができるはずだ。