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「Ace Combat 04」のサイドストーリーとアグスティン・バリオスについて、そして黄色の13が受け継ぐバッハ的精神

TL;DR

  • 「Prelude」と「Session」は、パラグアイの作曲家アグスティン・バリオスの曲が元になっていた。

  • バリオスの人生と作品、特に「La Catedral」と「Una Limosnita Por Amor De Dios」の背景を探ることで、Ace Combat 04の世界観や登場人物の心情をより深く理解できる。

  • Ace Combat 04は、まさに「神は細部に宿る」を体現したゲーム。


はじめに

子供のころ 星が降った夜を 覚えている
I was just a child when the stars fell from the skies.

隕石を撃ち砕くために むやみに大きい大砲が作られ
But I remember how they built a cannon to destroy them.

それをめぐって 戦争が始まったことも
And in turn how that cannon brought war upon us.

戦争など 遠い国の出来事
War was an abstract idea, nothing more than a show on TV.

テレビの中の物語に過ぎなかった
As a child, I only saw it as something that happened in some far away land...

あの夏の終わりの日 ふいに身近に姿を現すまでは
Until that final day of summer...

最近、ドラマ『相棒』を観ていたら、なんだかすごく聞き覚えのある曲が流れてきました。

第8話「操り人形」2021年12月8日(水)|ストーリー|相棒 season20|テレビ朝日

なんと、Ace Combat 04 のサイドストーリーで流れる『Prelude』です!!!

「ああ、相棒制作者の中にも Ace combat 04 が好きなやつがいるんだな!」

20 年越しの新事実

…それで終わるはずでした。

しかし、調べてみると衝撃的なことがわかりました。

サイドストーリーで流れる曲の内、少なくとも『Prelude』『Session』は、ゲームのために書き下ろされた楽曲ではなく、既存の曲 (のアレンジ) だったのです!

『Prelude』は Agustín Barrios(アグスティン・バリオス) の『Preludio Saudade - La Catedral』です。

『Session』もバリオスの『Una Limosnita Por Amor De Dios』であり、ハーモニカのセッションが加わるようアレンジされたものになっています。

サントラには『Una Limosnita Por Amor De Dios』自体も収録されており、これはアレンジではなく原曲に忠実な演奏です。

これまでにおそらく 1000 回以上通しで聞いたはずのアルバムに、なんと 20 年越しの新事実が発覚したのです。この衝撃たるや。

というわけで、これらの楽曲について調べてみました。

LLM に手伝ってもらいつつまとめたものが以下になります (インターネットでググっただけなので、情報の正しさは保証しかねます)。

アグスティン・バリオス:パラグアイが生んだ偉大なギタリスト

アグスティン・バリオス(1885-1944)は、パラグアイ出身の作曲家・ギタリストである。彼は、20 世紀前半に活躍し、300 以上の作品を残した。バリオスは、南米の民俗音楽とヨーロッパのクラシック音楽を融合させた独自の作曲スタイルを確立し、クラシックギター界に多大な影響を与えた人物だ。

バリオスは、1885 年 5 月 5 日にパラグアイのサン・ファン・バウティスタで生まれた。幼少期から音楽に親しみ、特にギターに情熱を注いだ。13 歳でアスンシオン国立大学の音楽科に奨学金を得て入学し、パラグアイ史上最年少の大学生となった。バリオスは、ギターの演奏家としても非凡な才能を発揮した。彼は 40 年間にわたり、南米各地やヨーロッパを巡業し、多くの聴衆を魅了した。また、伝統的なグアラニー族の衣装を身にまとい、「ニツガ・マンゴレ」という芸名で演奏することもあった。

「La Catedral」:バリオスの代表作

「La Catedral」は、1921 年に発表された作品である。当初は 2 つの楽章で構成されていたが、後に「Preludio Saudade(プレリュード・サウダージ)」が加えられ、3 楽章の形式となった。

バリオスの作品の中でも最も有名な曲の 1 つであり、アンドレス・セゴビアをはじめとする多くのギタリストに称賛されている。

  1. Preludio Saudade

  2. Andante Religioso(アンダンテ・レリジオーソ)

  3. Allegro Solemne(アレグロ・ソレムネ)

「Preludio Saudade」は、バリオスが 1938 年にハバナで作曲した楽章である。「サウダージ」とは、ポルトガル語で「ノスタルジックな憧れ」を意味する。

当時、バリオスは健康や経済面、私生活で問題を抱えていた。「前奏曲」には、そうした悲しみや苦悩、よりよい日々への憧れが表現されている。

第 2 楽章の「Andante Religioso」は、大聖堂でオルガニストがバッハのコラールを演奏している様子を表現している。第 3 楽章の「Allegro Solemne」は、大聖堂の静謐な雰囲気から外の喧騒へと戻る情景を描いている。

「ラ・カテドラル」の物語性について、興味深い伝説がある。

バリオスは若くして妻を亡くし、その悲しみから「前奏曲」を書いたという説である。彼が成人したばかりの頃、妻の葬儀がモンテビデオの大聖堂で行われ、その場の雰囲気に触発されて三楽章から成るこの曲の構想を持っていた。しかし、完成したときに、極めて個人的な第 1 楽章を曲の一部として共有したくなかったのかもしれない。そうして、残りの 2 つの楽章のみを公開したとも言われている。ただし、これは作品に深みを与える美しい逸話ではあるが、事実かどうかは定かではない。

「Una Limosnita Por Amor De Dios」:バリオスの遺作

「神の愛のために施しを(Una Limosnita Por Amor De Dios)」は、バリオスの晩年、1944 年に作曲された。この曲は、「最後のトレモロ(El Ultimo Tremolo)」とも呼ばれ、バリオスの人生と作品の集大成とも言える重要な作品だ。

「神の愛のために施しを」が作曲されたきっかけには、興味深い逸話がある。

1944 年 5 月、バリオスがエルサルバドルで暮らしていた頃、彼の家の向かいには物乞いが毎朝やってきて、「神の愛のために施しを(Una Limosnita Por Amor De Dios)」と繰り返し唱えていたという。これは、ラテンアメリカの物乞いがよく使う言葉だったようだ。バリオスは、この物乞いの執拗な呼びかけに触発されて、この曲を作曲したと言われている。曲の低音部は、物乞いの繰り返しのフレーズを模倣しているかのように粘り強く、頑固なまでに持続する。一方、メロディは「トレモロ」と呼ばれるクラシックギターの技法を用いて、あたかも音が持続しているかのような錯覚を生み出している。

「神の愛のために施しを」は、バリオスの宗教的な作品の一つとして位置づけられる。曲は主にホ短調を中心に展開するが、終盤ではホ長調に転調する。この長調への転調は、バリオスが死を受け入れ、安らかな心境に至ったことを象徴していると解釈されている。

Ace Combat 04 の考察を深めよう

ああ、なんということだ。

調べれば調べるほど、これらの曲を 04 内で使用したことについての明確な意図が浮かび上がってくる。

なぜバリオスなのか?

サイドストーリーでは、ユージア大陸北西部に位置する独立国家サンサルバシオン (San Salvacion) での出来事が描かれる。

さて、この国のモデルになったのは、現実世界のどこだろうか。名前の響き的に、エルサルバドルの首都、サンサルバドル (San Salvador) だろう。

響きだけでなく、意味もほとんど同じだ。San Salvador はスペイン語で「聖なる救世主」、San Salvacion はスペイン語で「聖なる救済」という意味である。'Salvador' は主に「救い主」という意味で人を指すのに対し、'Salvacion' は「救助」「救済」という行為や状態を表す。'Salvador' は宗教的ニュアンスが強いのに対し、'Salvacion' は一般的な文脈でも使われるらしい。

そして、バリオスが亡くなったのは、サンサルバドルである。

なぜ黄色の 13 は「Una Limosnita Por Amor De Dios」を選んだのか?

サンサルバシオン = サンサルバドル 説を受け入れてみよう。そして、バリオス (あるいはそれに相当する人物) が現実世界同様に活躍し、サンサルバシオンで没したとしよう。

すると、サイドストーリーからより一層のエモ要素が浮かび上がってくる。

サイドストーリー#03 で、黄色の 13 は少年に対して合奏を持ちかける。彼がギターで演奏したのは「Una Limosnita Por Amor De Dios」であり、それは少年の亡き父が好んで弾いていた曲だった。だからこそ、少年はハーモニカでセッションに加わることができた。

サイドストーリーの中で最も印象的な場面だ。一方で、前から疑問に思っていた箇所でもある。

父の仇が、まさに父の好んでいた曲を演奏するなんて、偶然にしては出来すぎじゃないか?あまりにもご都合主義が過ぎるんじゃないか?

…いや、断じて違う! これは偶然ではなく必然だ。

黄色の 13 は、少年が知っている可能性が高いと踏んで、サンサルバシオンの著名な作曲家であるバリオスの楽曲を選択したのだ。

戦争中であっても、黄色の 13 は占領下の地域の文化に対する造詣と敬意を示した。彼の高潔な精神が見出だせるエピソードだ。

あるいは、黄色の 13 は、自身の死が目の前に迫っていることを予感していたのかもしれない。だから、バリオスの晩年の作品を選択したのだ。

なぜ物語は「Preludio Saudade」から始まるのか?

サウダージ (Saudade) は、過ぎ去ったものを懐かしむ気持ちで、「郷愁」に似ているが、それに二度と出会うことはないだろうという諦めや宿命を含意している

少年は、家族と過ごした日々に対してサウダージを抱いている。そんな場面で、この曲が使われるのはやはり必然だ。

バリオス、バッハ、「むなしかった戦争」

バリオスはバッハを敬愛していた。La Catedral は、バロック様式であり、ほぼバッハに対するオマージュ的な作品である。それに、彼はかつて「バッハはいかに私たちを永遠の世界へと引き上げてくれることか」と述べたことがある…らしい。

さて、最近バッハに関するたいへん興味深い記述をインターネットで見つけた。

このあたりを見て、私は。 ベトベンさんらとはまた異なる、たぐいなき崇高さをきわめたJ・S・バッハさんの音楽の有する、ある根本的な偉大さ……ということに想いいたったんですよね。 すなわち、それは。バッハさんによる音楽のどこをどう叩いても、そこに暴力への衝動をあおるようなものは、何もない──ということです!

そして。べつにディスってないですけれど、しかしモーツさんやベトベンさんらの音楽には、そうした平和の尊さに目ざめさせるような効用が、絶無でもないにしろ、やや薄いとか……。そうであるのかも、知れません。

これほどまでにバッハの良さを上手く言語化した文章がこれまでにあっただろうか。

そして、妄想するならば、バリオスがバッハを愛したのも、きっとそのような理由によるものだったのだろう。

ブラジルの新聞、ジョルナル・ド・レシフェは、 1931 年 1 月 5 日に、宗教に関するバリオスの考えや意見を記したインタビューを掲載しました。 「厳しい宗教教育を受けたにもかかわらず、私の原始的な汎神論は、哲学的概念の中で最も人間的で合理的な神智学の方向に私を導きました。私は自然の不変の法則を信じています。そして、人類と善はすべての存在の倫理的目的として私の精神に浸透しています。」

04 のサイドストーリーは、少年が過去を振り返るという形で淡々と進行する。「淡々」と感じる理由は、彼は客観的な事実しか記さないからだ。家族が亡くなって悲しいとか、街が解放されて嬉しいといった、彼の主観的な感情についての記述はほとんど存在しない。

唯一、彼の見解のようなものがわかるのが、最後のサイドストーリーの以下の記述だ。

あのむなしかった戦争の最後に あなたのような好敵手と巡り会えたのは-
I know it must have brought him unexpected joy to have an opponent like you,

彼には 望外の喜びだったに違いない-
at the end of that meaningless war.

せめてそう信じたいものだと-
At least that's what I want to believe.

それを確かめる相手は 彼を墜としたあなたしか残らない
Only you...the pilot who shot him down,

だから こうして あなたへの手紙を--
can confirm this. And so I write to you...

彼にとって、我々プレイヤーが達成したことのほとんど全ては、むなしい (meaningless) ものだった。

きっとバリオスも、彼の存命時に起きた 2 つの世界大戦やその他の血なまぐさい出来事について、同じ見解を持っていただろう。

そしておそらく、黄色の13も。バリオスがバッハの音楽を、その思想を含めて愛したように。

さいごに

というわけで、「相棒」をきっかけに調べた結果とそれに対する感想を書き散らしてきました。最後の方は冷奴が過ぎた感がありますね。

04 は私が最も好きなゲーム/物語/音楽です。シリーズの他の作品も好きですが、最高傑作は間違いなく 04 です。

この記事を書くにあたって改めてサイドストーリーやプレイ動画を見返しました。やっぱり私は、この全てが淡々と進んでいく様がたまらなく好きで、心地よく感じます。

そして、パッと見は淡白なつくりながらも、よく目を凝らせばあらゆる所に制作者の意図が潜んでいる。04 はまさに、「神は細部に宿る」を体現したようなゲームです。

細部に宿りすぎていて、バリオスさん周りの意図に気づくまで 20 年もかかってしまったわけですが…


そういえば、04における「現在」っていつなんでしょうね。つまり、04の「リアルタイムプレイ」をするとして、その適切なタイミングはいつになるのでしょうか。

私は、大陸戦争からしばらく経った後なんじゃないかなと思います。

少年からの手紙を受け取ったプレイヤーが、手紙を読み進めながら、当時就いていた任務のことを回想している…

04のストーリー構造は、そんな作りなんじゃないかなと思いました。

だとすれば、04をいつプレイしたとしても、常にそれは「リアルタイムプレイ」になるわけです。プレイヤーが「NEW GAME」(と難易度)を選択することは、郵便受けを開き、少年からの手紙を手に取ることに相当している…そんな気がします。

そうして我々は、"Saudade" ――「郷愁」に似ているが、それに二度と出会うことはないだろうという諦めや宿命――と共に、メビウス1としての過去を振り返るわけです。この構造が、04を何度でもプレイしたくなる巧妙な仕掛けになっているのかもしれません。

久しぶりに PS2 を引っ張り出しましょうか。私のコピーはディスクが破損しているのか、最後のサイドストーリーが再生されなくなってしまったので、新しく 04 を買わないといけないかもしれません。

20年という時間の長さを痛感します。

I have so far to go


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