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患者も医療者も幸せに:私が目指す“でしゃばらない医療”


2025年4月、私が医者になって12年目の春を迎えます。
医者になって駆け出しの研修医の頃、ふとしたきっかけで総合診療科に入局することを決め、家庭医療専門医の資格を無事に取得したのが5年前のこと。
学生時代には全く想像していなかった離島医療の世界に魅了され、いつしか島医者となり、今では主に訪問診療医として患者さんと関わるようになりました。
そんな私が、日々の診療の中で、医療者としてのあり方、そして私という一人の人間としての生き方について、思うことを書き記したいと思います🐋🫧


1.在宅医療で働く医療者たちの現状:何が理想的な姿なのか?

高齢化社会を迎えた日本にとって、病院ではなく自宅や施設で残りの人生の時間を過ごしたいという患者さんを支える訪問診療の需要は、年々増加傾向にあると思います。
特に私は離島・僻地でも訪問診療を行なっているため、そういった地域では、住み慣れた我が家を離れたくないという高齢者の方はより多い傾向にあります。

みなさんが訪問診療で診ている患者さんの疾患でイメージしやすいのは、末期のがん患者さんでしょうか。しかし、それだけではありません。
心疾患や、肺疾患、腎疾患などの慢性疾患を抱えた方や、認知症、そして特にかかっている病気はないけど超高齢で病院に通うのが難しくなった方など、様々です。

訪問診療では、基本的には24時間365日、患者さんや家族と連絡を取り合える状態であることが理想です。
でも、一人の医師が、24時間365日、働き続けることは可能なのでしょうか?
また、そうして働き続けることが、果たして理想の医師像なのでしょうか?

一昔前であれば、そうした地域のお医者さんはいたかもしませんし、『医者の鏡』として患者さんにありがたがられていた時代があったかもしれません。
しかし、今の時代、それは現実的ではないでしょう。

私はこれまで、フリーランスとして幾つかのクリニックで働いてきました。それぞれの職場で『医療と経営の両立の難しさ』を目の当たりにしてきました。
その難しさの一番の理由が、“患者さんのことを大事に思うが故に、医療者たち自身のケアが十分できていないこと”だと、私は思っています。

特に訪問診療で診ている患者さんの容体は、日々変化します。患者さんやご家族が、『先生に来てもらいたい』と言えば、夜中だろうが休みの日だろうが、関係なく駆け付ける。
もちろん患者さんやご家族からすれば、『なんて素晴らしい先生だろう』と思われると思います。
でも、医療者だって人間です。体は一つしかありません。
いくら患者さんのため、と思っても、休むことなく働き続ければ身も心も健全ではいられないでしょう(できる方もいるかもしれませんが、少なくとも私はできないです)。
ただ、在宅医療の現場はまだまだ人が足りません。そうして働き続けなければいけないほど、現場は切迫しています。これが、現状なのです。

伊豆諸島最南端の青ヶ島、カルデラからの景色


2.でしゃばらない医療:舞台の主人公は患者さん自身

私が伊豆大島で外来診療を始めて丸6年、訪問診療を本格的に始めてから丸3年になります。
今は他にも都内で週2、3回程度、訪問診療のクリニックで働いています。

前にも書いた通り、患者さんたちにとって、病院という場所は非日常であり“アウェイ”です。
医療者の中には、病院の中で見る患者さんの姿が当たり前と思ってしまっている人も多いですが、診察室の中で医療者と向き合う患者さんの姿は、よそ行きの姿でしかありません。白衣を着た医師や看護師と話すのは、とても緊張するし、思ったことの半分も話せない、ということもあるでしょう。

訪問診療を始めてから、とても驚いたことがあります。
それは、患者さんたちの“本来の表情や生き様”を目の当たりにしたことです。
病院ではあんなに緊張していた患者さんたちが、自宅で会うととてもリラックスしていて、ご家族やペットとの関わり方、趣味や仕事のことなど
患者さんが生活の中で何を楽しみにして、何を大切にしてきたかが、自然と見えてくるのです。

訪問診療では、時に命に関わる重要なお話をする場面があります。
その際に最も大切なのが、患者さん自身のこれまでの人生観・価値観を、家族や医療スタッフとシェアすることで、その人にとって最も良い医療・ケアを選択することです。
(これを、アドバンス・ケア・プランニング/ACPと言います。)

患者さんの人生の主人公は、もちろん患者さん本人です。
患者さんを支えるご家族の存在は大きいですが、それでも、主役は患者さん本人であるべきです。
医療者は、その人生の舞台を支える、いわば黒子のような存在。
医療・ケアについては、もちろんプロフェッショナルとして、患者さんに最も良いと思われる選択肢を提案はしますが、医療者側が患者さんを“説得”したり、too muchな医療を提供することは、私自身は良くないと考えています。

私の理想は、患者さんの生活を全力でサポートはするけれど、
ふとした瞬間には『忘れられるくらい、医療者はさりげない存在でいること』
患者さんが辛い時は、すぐに駆けつけるけれど、
落ち着いている時は、治療のことは忘れて、自分自身のやりたいこと、ご家族との時間を、穏やかに過ごしてほしい。
そうした“でしゃばらない医療”が、私の理想の医療の形です。

伊豆大島の海岸から見えた富士山


3.医療者である前に、一人の人間として生きる

非難される方もいるかもしれませんが、あえて皆さんにお伝えします。
私にとって、患者さんはとても大切だし、医師という仕事にもやりがいを感じています。
でも、私にとって最も優先すべきことは、患者さんでも、仕事でもなく、“私自身の人生”です。
私は、私自身が幸せに生きることが、一番大事だと思っています。
私自身が幸せでなければ、誰かを幸せにすることはできないからです。

コロナ禍で本当に辛く、挫けそうになった時代。
私がかつて救われた恩師の言葉があります。それは、『仕事は自分が幸せに生きるための手段であって、仕事のために生きてはいけない』です。

先ほど、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)について触れました。
患者さんにとってのACPと同じくらい、私たち医療者にとってもACPは必要です。
私は、趣味で社交ダンスを17年間続けています。
仕事以外の時間はほとんどダンスの練習に充てていて、パーティーや競技会に出るたびにもっとこうやって踊れるようになりたいと思い、ダンスは私の生き甲斐です。練習にはちょっとお金もかかるので、それも働く原動力になっています。
時には数日間の休みをとって、南の島の海に出かけ、スキンダイビングをするのも大事な趣味の一つです。
パートナーや仲間と過ごす時間も、自分をリセットするために必要なこと。
そのため、私にとっては週3日の休暇がちょうどよく、現在は週4日で働くように仕事を調整しています。
これが、私の心と体のバランスを保ち方であり、幸せな生き方なのです。
この考え方が今後変わることはないと思いますし、一緒に働く仲間に対しても同じように、『医療者である前に一人の人間として、自分の人生を幸せに生きる』ことを大切にしてもらいたいと、心から思っています。

ダンス競技会で踊る私


4.在宅医療の現場から、幸せの連鎖を繋ぐ

訪問診療はとても奥深く、患者さんからたくさんの学びをいただき、私自身、反省を繰り返しながら日々過ごしています。
先述したように、医療の現場は人が足りず、切迫しているのが現状です。
でも、医師もコメディカルも、みんなが何かを我慢したり、辛い思いをしながら全力疾走する現場は、いつか必ず崩壊すると思います。
一人でも多くの患者さんの支えになりたい。その気持ちはみんな同じですが、自分たちが倒れてしまっては元も子もありません。何がなんでも自分一人が頑張らなければいけない医療は、医療者自身を追い詰めてしまいます。
だからこそ多職種連携の大事な点は、お互いを尊重し、信頼して任せられることだと、私は考えています。

私は、自分たちの幸せがひいては患者さんたちの幸せにつながるような、そんな幸せの連鎖を、在宅医療の現場からこれからも繋げていきたいと思っています。

2024年夏に行った、小浜島の青い海



いつもお読みいただき、ありがとうございます!
Reiko 🐋🌺

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