男時と女時を知る
こんにちは、だいきです。
最近、毎日のようにnoteの記事を更新していますが(今日更新したら13日連続!)、久々に書くことが何もない・・・!
という状態になっています(笑)
こういう時って無理しないことが大事で、
世阿弥が言うように、人生には男時と女時があります。
男時とは、何をやっても上手くいく調子の良い時期です。
陰と陽で言えば、陽に当たる時期ですね。
この時期には、自分の考えやこうなってほしいといった願望が簡単に叶ってしまうので、人生イージーモードだなと感じるかもしれません。
ただ、こういう時こそ油断はできなくて、
人生ずーっと男時という人はいません。
男時があれば、調子の悪い女時だってあります。
なので、男時の時期は、この後に来る女時のために準備をしておく必要があります。
女時は、男時とは逆で、何をやっても上手くいかない不調の時期です。
何のやる気も起きなかったり、
やる気はあってもタイミングが悪くてできなかったり、、
何かと調子が狂う時期なのです。
ですが、女時の方がチャンスで、
今までやってなかったことに挑戦できて、
自分の可能性を広げてくれる時期でもあります。
このnoteも、
今までだったら、イラやコミュニティに関わること、
畑仕事や野菜についての話だけでしたが、
書くことが思いつかなくなったいま、
新しいテーマで記事を書いています(男時と女時について)。
それは、何としてでも毎日更新すると決めて、
そのためには、どんなトピックであれ、
書けることを書いていく必要があるからです。
なので、トピックが無ければ、
必死に探すしかない。
女時は、必死さが大事なんです。
何をやっても上手くいかないなら、何もしないではなく、
それでも、あえて新しいことにチャレンジしてみよう!
自分の限界を突破してみよう!
という気持ちで挑むと、新しい自分に出会うきっかけが作られます。
世阿弥は、「花は心、種は態」と言いました。
態とはかたち、すがたのことですが、
まずは、種の段階で自分を変態していくことで、
いずれは心に花が咲くというのです。
まずは、自分を変態し続けることが大事で、
こころの養生は後からついてくるものなのです。
この考え方は、異質のように思いますが、
端的に言えば、考えるよりもまず動けという意味でしょう。
必死に考えて、何もできなくなるよりは、
まずはやってみて、あとで成否を考えたら良いのです。
こうして、つらうらと書いている間に、
気付いたら1000文字を超えました。
花は心というのは、やっていくうちに深まっていくもので、
植物の成り立ちもそうですが、
種から始まり、芽が出て、身体が大きくなって実をつけて、
それから花が咲いて、一生を終えていきます。
最後に、心が花のように美しく満たされていたら良くて、
最初から花を目指さなくても良いのです。
自然の摂理に沿って、まずは種からすくすく成長していくと、
そのうちに美しい花を咲かせるようになります。
種も、一つだけ蒔いても芽が出るかわかりませんし、
鳥に食べられてしまうかもしれません。
種は沢山蒔いて、その中から取捨選択していく方が理に適っています。
なので、種は態で、色んなことに挑戦してみる。
気付いたら、心は花の境地に到達していた、、、
そんな一生にしていきたいですね。
それでは、この辺で。