七 二人旅
楓を誘ったその日、翔太は家に帰って急いで荷造りをしていた。旅行の時に使うスポーツバッグを引っ張り出し、中に着替えなどを詰めていく。
山へと行くことに決めた翔太は、楓にいつ行きたいかを尋ねた。山に視線を向けたまま、楓は無表情で答えた。
「できるだけ、すぐに」
「なら、明日の朝出発しよう」
明日は金曜日。学校はあるが、今の翔太にはあまり気にならなかった。見えない力は翔太の背中を押し続け、多少の無茶でも気にならなくなっていた。
山を見つめていた楓は、すこしだけ驚いた顔を翔太に向けたが、やがて無言でしっかりとうなずいた。
それから朝八時に翔太の家の最寄り駅に集合すること、すこし距離が遠いので向こうで宿泊すること、具体的な目的地などを決める。考えてみれば山といっても範囲が広すぎて、具体的な地名を聞いていなかったことを翔太はおもいだした。尋ねたところ、楓は一つの地名を挙げる。かろうじて記憶にあった地名だったため、頭の中で地図を開くと、案の定隣の県にある地名だった。日帰りで行くには朝早くに家を出て、夜中にしか帰ってこれないような場所だった。
ついでに何かあった時のためにお互いの携帯電話の番号も交換した。これで今日家に帰って何か相談しなければならないことが出来ても電話をかけられる。
楓の電話番号とアドレスが翔太のケータイに登録される。翔太のケータイのアドレスに、家族以外の名前が初めて登録された。
そんなやり取りを行い、翔太は家に帰ると急いで荷造りに取り掛かった。親には学校が終わった後友達の家に泊まりに行くと嘘をついて準備を進める。その傍ら、机の上のパソコンで宿泊施設や生き方などを調べる。基本的には電車での移動。楓から予算は聞いていたためそれを考慮して宿泊施設と、使う電車を決める。
予約が空いている宿泊施設を探してみると、民宿が一軒だけ見つかった。前日予約なのでこの際そこは我慢する。民宿なので値段も手ごろだ。
電車も乗り換え時間や路線の一覧が載ったものをプリントアウトする。ついでに宿泊施設近くの地図も検索し、何かあった時のために宿泊施設への連絡先も控えた。
すべての準備を終えたのは、午後の十二時だった。いつもならベッドに入っている時間だが、今は全然眠くない。少しでも寝なければと思いベッドにもぐりこんだが、結局寝つけたのは午前二時を回ったところだった。
翌日、午前七時五十分に翔太が駅に行くと、楓がすでに駅前に立っていた。白のワンピースに、淡いブルーのカーディガンをはおっている。頭にはつば広の帽子をかぶっていた。脇にはキャリーバックが置いてある。
その楓が向かってくる翔太に気づいて、すこし驚いた表情をする。翔太は恥ずかしい思いをしながらも楓に駆け寄る。
「ごめん、待った?」
ゆっくりと、楓が首を横に振る。その間も視線は翔太に問いかけるように注がれていた。
「それじゃ、さっそく行こうかっていいたいんだけど、またちょっと待ってもらえる」
翔太はかばんを持ち直して言う。
「これ、トイレで着替えてくるから」
親に学校に行くと言ってあるため、翔太は制服だったのだ。
翔太が着替え終わり、二人は切符を買って、改札口を通る。ホームにはすこし遅めに出勤する人や大学生などがいて、まだ多少込んでいた。迷子になるというほどではないが、あまりしゃべらない楓はふと気付くと見失ってしまいそうになる。翔太は歩く際、楓が出来るだけ視界に入っているように心がけた。
やがて目的の電車がやってきて、翔太と楓は一緒に電車に乗り込む。ピークの時間帯ほどではないが、それでも電車の中には通勤通学の人が多い。自然翔太は楓の近くに立たざるを得なくなった。楓とこんなに近づくのは初めてで、翔太はどこかドキドキしてしまう。と、電車が出発する際のゆれでバランスを崩した楓が翔太のほうに倒れ掛かってきた。
「っ!」
とっさに吊皮を片手でつかみ、バランスをとって楓を受け止める。揺れはすぐに収まり、楓は何とか自分の足でバランスをとれるようになる。
「…ごめんなさい」
もたれかかっていた身体を起こしながら、楓が誤ってくる。翔太は多少パニックになって視線をそらし、「だ、大丈夫」とだけ答えた。すぐに楓の身体が離れるのを感じる。あまりの緊張に、視線を楓のほうにむけられなかった。
初めて触れた女の子の感触に、心臓は過敏に反応してなかなかおさまってくれない。顔が熱くなり赤くなるのを感じる。まずいと思い何かで顔を隠そうとしたが、そんな都合のよいものがあるわけではない。
少しして、ようやく顔の赤みがおさまってきたころ、楓の反応が気になり、恐る恐る翔太は視線を楓にもどした。しかし、翔太の視線に入ってきたのはこちらを見ず、窓の外をじっと見つめる楓の姿だった。
もう何度目になるかもわからないその視線を追いかけると、そこにはいつも見ている、山があった。これから向かうその山を楓はいつも通りの無表情で見つめている。その横顔からはやはり何も読み取ることはできなかった。
移動中、楓と翔太の間にはほとんどといっていいほど会話がなかった。時たま翔太が行先を教えるために声をかけるだけで、それに楓が淡白に答える。今まで屋上でもそれほど会話が多かったわけではないし、それも別段気にならなかったのだが、いつもと場所が違うことと、二人だけの旅行という特殊な環境が翔太を変な気分にさせていた。
一方の楓はというと、いつも以上に無言だった。翔太が問いかけてもどこか上の空だし、呼びかけても反応が返ってこないということもあった。無視されているのだろうかと翔太は少し不安になったが、旅行が進むにつれてそうではないことが分かってきた。
楓は、いつも以上に視線の先にある山を意識しているのだ。正確には、今自分たちが向かっている場所を、といったほうがいいかもしれない。始終電車の窓から外を眺め、視界に少しでも山が入るように意識しているのがわかってくる。その表情はいつも通り無表情だが、徐々に緊張感しているようだということが雰囲気で分かってきた。その考えが確信に変わったのは、昼食の駅弁を食べているときだった。乗り換えのためにある駅で降りて、ちょうどお昼どきという時間もあり電車を待ちがてら昼食をとることになったのだが、楓はほとんど弁当に手をつけなかったのだ。翔太が具合でも悪いのかと聞いたところ大丈夫だと首を振っていたし、熱を出しているような雰囲気でもなかったので少し安心したのだが、そのとき視線を向けた楓の箸が小刻みに震えているのが分かった。表情も硬いまま、視線はやはりある一定の方向へと向けられる。それはこれから自分たちが向かう、線路の先だった。
楓がどんな思いで線路の先に視線を向けているのか、翔太にはわからない。実はいやなことを強要しているのかもしれないし、楓は本当は行きたくないのかもしれない。それでも、翔太が誘ったとき楓はいいと答え、すぐに出発することも了承した。それは翔太が強要したことではなく、楓が自分で決めたことのはずだ。ならば自分の役目は楓を目的地まで連れていくことのはずである。それは翔太が楓を誘った瞬間から決めていたことだ。
いつもとすこしだけ雰囲気の違う楓を、翔太は目的地まで連れていく。
そして午後二時。目的の駅に二人は到着した。
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