三 部活動
春というのは、部活動においての勧誘の時期である。
学校の掲示板などには新入生歓迎の文字が書かれた勧誘のポスターが貼られ、下校時刻には一人でも多くの新入生を自分の部活動に引っ張っていこうと待ち構える上級生の姿が見える。熱心な部などは、昼の休み時間などに、校内の廊下を部の宣伝をしながら歩くところもあるほどだ。
そんな勧誘の嵐の中、部活動に入らないと決めている翔太は何とか下校しようと毎日四苦八苦していた。一人で歩いている新入生というのは案外声をかけやすいものらしく、油断するとすぐ上級生が寄ってくる。何人かでいれば他の友人とともに強引に逃げ切ることもできるし、いざとなったらだれか一人を犠牲にしてそのすきに逃げるという薄情な戦法をとることもできる。集団でいるのといないのとでは、大きな差があるのだ。
楓はどうしているのだろうかと疑問に思うが、あいにく楓の姿は下校時間に見たことはなかった。学校の中では一度だけ見たことがある。おそらく移動教室のために移動していた最中だったのだろうが、やはりというかなんというか、ひとりぽつんと無表情に歩いていた。
おそらく帰りも一人だろうし、ならば自分と同じように勧誘されているはずなのだが、一体どのようにして上級生をかわしているのかすこし気になった。無表情の楓が、上級生の勧誘をどのようにかわしているのか。いやむしろ、無表情のまま完全に無視でもしているのではないだろうか。それこそ楓らしいと言えばらしいし、容易に想像がつく。それとも、友人を作るために実は積極的に部活動に参加しているのか。
そんなことをぼんやり考えながら下駄箱を出たからだろう。ガッ、っと右腕をいきなりつかまれて、ビクッと翔太は振り返った。
「相田翔太君、であってる?」
そう尋ねてきたのは、セミロングの髪の女子生徒だった。輝いている少し大きめの目が翔太を見つめている。ぱっと見た感じでは整った顔をしておりかわいいと思うのだが、きれいというよりは活発でかわいらしいという印象のほうが強かった。上履きをはいていないため学年はわからなかったが、雰囲気で上級生ということは分かる。まずい、と翔太はとっさに逃げようとした。
「あの、僕ちょっと急いでるんで…」
「卓球の県大会、個人の部ベスト八。間違いないわね?」
翔太の心臓が大きく跳ねる。この学校ではそのことを言ったことはなかったし、それを知っている中学の頃の友人は皆ほかの学校に入学している。どうしてこの人はそのことを…。
「やっぱり、そうみたいね」
にやー、と上級生の顔が変化する。その笑顔にいやな予感を覚えて翔太は再度逃げようとしたが。
「しゃー! 大物ゲット!」
そう叫びながら、上級生は翔太をものすごい力で引っ張っていく。その強引な方法に、翔太はなすすべもなく引きずられていった。
そうして連れてこられたのは体育館で、気付くといつの間にか体操服に着替えさせられていた。自分のを持っていないと言ったら、貸し出し用のがあると、意気揚々と差し出された体操服に無理やり着替えさせられたのだ。体育館シューズまで貸し出されては、用意周到としか言いようがない。
そうして自分の右手には、これも貸し出された卓球ラケットが握られていた。
(なんでこうなっちゃったんだろう)
周りを見回しながら疑問に思う。体育館の四分の一、バスケットコート半分のスペースに卓球台六台が並べられ、そこに新入生と上級生が押し込まれていた。
新入生は端のほうの四台で、適当に球を打っていた。どう見ても初心者まるだしの打ち方をしている者もいれば、しっかりしたフォームで球を打っている者もいる。数は八人ほど。自分のクラスメートもちらほらと見えるが、翔太は彼らと話せるような間柄ではない。向こうもこちらを確認したようだったが、別段話しかけてはこなかった。
少し胸に痛みを覚えながら、翔太は上級生のほうに視線を移す。驚くべきことに、部員数が極端に少ない。全部で、二人? しかも二人とも女子だ。そのうち一人は先ほど自分を連れてきた上級生。もう一人はその上級生よりも背が低い女子の先輩。男子部員の姿は見えなかった。勧誘にでも行っているのだろうかと首をかしげる。女子の先輩二人は練習はせず、何か隅のほうで話をしていた。
雰囲気を見る限り、新入生は適当に球を打っていろということなのだろうが、引っ込み思案の翔太に、すでに球を打っている新入生の輪の中に入っていける勇気はない。かといって、このまま帰るのはおそらく先ほどの先輩がいる限り不可能だ。
途方に暮れていると、背中をたたかれ、すこしびっくりしながらそちらを振り返る。そこには、細目の男子生徒が笑顔で立っていた。
「なあ、君、あいてる?」
その言葉は関西なまりで、そのせいかどこか親しみやすい雰囲気があった。
「ああ、はい。打つ相手がいないっていう意味なら」
「ほな一緒に打たへん?」
そう言って示したのは隅に置いてある台で、まだ誰も使っていない場所だった。
「えっと、いいですけど、あそこ使っていいんですか?」
相手が年上の可能性もあるので一応敬語になる。それを聞いて男子生徒はからからと笑った。
「ああ、敬語にしんでも、俺一年やから。念のため聞くけど、君も一年やろ?」
「ああ、はい。えっと、じゃあ、勝手にあいてる台使ったらまずいんじゃ?」
「かまへんかまへん。さっきあそこにおる先輩は開いてる台は自由につこうていいって言うとったから、問題なしや」
そう笑顔で言いながら、男子生徒は開いている台につく。翔太も少しおどおどしながら台についた。
「ああ、自己紹介がまだやったな。俺、林良平言うねん。よろしく」
「僕は相田翔太」
「翔太か。ありがちな名前で逆に覚えにくそうやなぁ。経験者?」
良平が笑顔で聞いてくる。その笑顔につられ、翔太も少し笑顔になる。
「一応」
「ほな、ラリーくらい出来るって考えてええな」
そう言って、良平がボールを打ってきた。少し緊張しながらも、翔太はボールを返す。
二、三球ほど球を打ったところで、良平が再び口を開いた。
「君、結構うまいなぁ。それ、学校の借りものやろ?」
「うん。でも、先輩の予備のラケットらしいから、そんなに悪いものじゃないよ」
卓球ではラケットひとつでだいぶ打つ感触や球筋が変わる。良平はそのことを言ったのだろう。
「それにしても、人のラケット使ってそれだけ打てるんはすごいと思うで。俺、今自分のラケットつこうとるけど、それでも試合やったら負けそうやわ」
「買いかぶりだよ」
少し照れながら、翔太が答える。正直に言うと、良平も謙遜しながらいい球を打ってきていた。ただのラリーではまだわからないが、フォームを見るだけでもなかなかうまいことが分かる。
「まあ、これから卓球部で一緒に練習していく仲や。よろしくな」
その言葉を聞いて、翔太の体が一瞬こわばる。そのせいで、良平の打った球を思い切りオーバーしてしまった。
「ご、ごめん」
「ええてええて、これくらい練習中いくらでもあることや」
そう言いながら良平が球を拾いに行く。すぐさま帰ってきた良平は、またボールを打ち出す。翔太も半ばつられるようにボールを打ち返し、またラリーが再開された。
「さっき俺がよろしく言うたら、ちょっと緊張したみたいやけど、もしかしたらまだこの部入るとは決めとらんの?」
ラリーをしながら、良平が訪ねてくる。翔太は少し緊張しながらも、うん、と答えた。
「高校では勉強が難しくなるって聞いたから、部活やってる暇ないと思って」
それは本心ではなかったが、そう言っておけば角が立たないことを翔太は知っていた。
「もったいないなぁ。せっかくうまそうやのに。ほな今んところは入らない可能性のほうが高いわけか」
うん、と翔太はまた小さく答えた。残念やな~、と良平はつぶやく。
「俺としては入ってほしいんやけど。卓球うまそうやし、仲間は一人でもいたほうが嬉しいし」
「ごめんね」
良平が心底残念そうだったので、翔太は謝る。
「ああ、謝らんでええねん。そんなん個人のかってやし。入ってほしいいうのは俺のわがままや。俺のわがままで翔太に迷惑かけるわけにはいかん」
その言葉を聞いて、翔太はすこし胸の奥が暖かくなるのがわかる。その言葉だけで、良平がどんな人柄なのか少しわかった気がした。
「まあ、それでもここで知り合ったのも何かの縁や。学校とかであったらよろしくな」
「…うん」
そんな言葉でその会話が途切れようとしたときだった。
「なら、仮入部期間だけでも毎日来てくれるのはだめ?」
いきなり声をかけられて、翔太が今度はボールをネットに掛ける。振り返ると、後ろに先ほどの女子生徒の先輩が建っていた。
「部長の私としては、中学生で県下ベストエイトに入る実力の持ち主には入ってもらいたいんだけど」
「県下ベストエイト?」
良平が驚いて声を上げる。翔太は少し恥ずかしい思いをしながらも、それが事実であることを首肯した。それと同時に、自分を引っ張ってきた人が部長であることに少し驚く。
「まあ、無理に入れるのは私もいやだから。やる気がないのに入ってもらっても練習の邪魔になるだけだし」
「無理やりここに引っ張ってきた人の発言としては矛盾してない?」
そう突っ込みを入れたのは、いつの間にいたのか、部長の後ろに立っていた女子生徒だった。細身だが、背が低く、すらっとした印象は受けない。身長はおそらく百五十センチほどしかないだろう。どこか無邪気な雰囲気のある顔はかわいいという正直な印象を持たせる。ロングの髪を結んでポニーテールにし、運動をするうえで邪魔にならないようにしているようだった。
「こんにちは。志村麻紀です。副部長やってます。よろしくね」
いきなりの闖入者に驚いている翔太と良平に、笑顔で自己紹介をしてくる。翔太たちは何と答えていいのあ戸惑いつつ、とりあえず「よろしくお願いします」というのにとどめた。
「ま、無理やり引っ張ってきたのはこの部活を体験してもらうためだからオーケーなのよ。それじゃ、ちょうどころ合いだし一年生を集めようかな」
そう言って部長は一年生に集合をかけ、一か所に集める。顧問も他の先輩もいないのだがいいのかと翔太はなかば気にしていたが、安奈は気にした様子もなく堂々と話し始めた。
「はじめまして、一年生のみなさん! この部活の部長をしている二年生の大海安奈よ。驚いているかもしれないけど、我が部は今深刻な部員不足で私と副部長しか部員がいないの」
一年生の間から驚きのざわめきが上がる。翔太も思わず隣の良平と顔を見合わせる。部員二人など、信じられなかったのだ。
「そのため部員は一人でも多いほうがいいわ。特に男子諸君にはぜひ入ってほしいと思ってる。まだ今は仮入部期間だけど、どんどん参加してください」
そこで部長は後ろに下がり、今度は副部長の麻紀が前に出る。
「はじめまして。副部長の志村麻紀です。みたところ今の段階では男子の数が多そうなんで喜んでます。勿論、女子部員も歓迎するから、友達も誘ってどんどん来てください」
無邪気で明るい声に、その場にいた男子が半分うっとりする。それを半ばあきれて見ながら、翔太は頭の中で入部について考えていた。
高校に入ったら部活には入らないでおこうと思っていた。自分などが入っても上手く溶け込める自身がないし、友人もできないのであれば部活動は苦しい場所となるだけだ。ここに来るまではそう考えていたのだが、今は少し考えが変わってきている。顔をあげると、気のよさそうな先輩がたっており、隣を見る笑顔の良平が立っている。ここでなら、大丈夫な気がするのだ。
何より、久しぶりにラケットを握ってボールを打ったら、からだが疼いてしまったのも事実だった。
「いやー、面白そうな先輩やな。ガチで卓球やろうと思うとったけど、卓球以外の意味でも部活来るのが楽しみになりそうや」
「そうだね」
良平のひとりごとのような言葉に、翔太の口が思わず動く。良平が少し驚いてこちらを振り返ってきて、翔太はなんだか恥ずかしくなりうつむいた。
「おお、なんや、入部する気になったんか?」
「…まだ微妙」
そう答えたが、翔太の顔は思わず笑顔になっていた。
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