喜寿

 老人は、若い世代から疎まれるものである。

 そんなことを、年をとるにつれて、身を持って体感することが多くなった。

 若い時分はいろいろなことができた。身の回りのことなど出来て当然。新しいことでも独学で学び、どんどん挑戦していった。退職して老後を迎えても、しばらくはそんな生活が送れていたように思う。それが当たり前だった。

 しかし、齢(よわい)七十を過ぎてから、だんだんと衰えを感じるようになってきた。料理、洗濯、掃除。早くに妻をなくした私はこれらの家事も一人でこなしてきた。もちろん今でもできる部分はある。しかし、どこか抜けているのだ。インスタント麺を作ろうとすると伸びきった麺ができる。息子夫婦が新しく買ってきた洗濯機の、どこに洗剤を入れていいかわからない。整理整頓が苦手になり、部屋は自然と汚れがち。

 そんな私を、同居している息子家族はどこか白い眼で見るようになっていった。自分自身で出来ないから、家族にお願いすることが増える。それが相手にとってはなんでもないことでもお願いするものだから、「そんなことも一人でできないのか?」、という目で見られるのである。かと言って試行錯誤の末、なにか間違ったことをしようものならさらに嫌な顔をされる。そんな顔をするならいっそ何が悪いのか怒って教えてくれればいいものの、こちらに気をつかって怒らないものだから余計にタチが悪い。家での私の居場所は、だんだんとなくなりつつあった。

 そんな私も、今日で七十六歳を迎える。数えで言えば七十七歳となるため、世で言うところの喜寿というやつだ。しかし私の心は喜びとはかけ離れたところにあった。またひとつ年を取ってしまった。それはまるで、またひとつ自分の何かが衰えた証明に思えた。

 自分の部屋の時計をみると、午後六時を指していた。もうすぐ孫娘が食事に呼びに来るころあいだろう。我が家では、私含め家族全員で夕食を取ることになっている。家での居場所がだんだんと少なくなってきている私にとって、家族揃っての食事というのはどうにも居心地が悪かった。最近では、あてがわれた自分の部屋から出ることも少ない。趣味の陶芸と社交ダンス以外の時間はこうしてぼんやりとしていることが多いからボケが進んでいるのではないだろうか。そういう危機感を抱きながらも、家にいてまで活発に活動するほど、体力も気力もなかった。

 コンコン、と扉をノックする音がした。孫娘だ。座っていた座椅子から重い腰をあげ、「今行くよー」と返事をする。いつもならここで遠ざかっていく足音が、今日は遠ざからなかった。少し怪訝に思った矢先、勢いよく扉が開いた。

「おじいちゃん、誕生日おめでとう!」

 そんな言葉とともに、笑顔が飛び込んできた。息子家族四人全員がそこに勢ぞろいし、先頭に立った孫娘と孫息子が花束を持っている。息子夫婦はそのうしろに立って拍手をしていた。全員が、満面の笑顔だった。

 あまりに突然のことに、私は思わず腰を抜かしかけていた。心と頭が状況に追いついていけず、その場でしばらく固まってしまう。その様子が面白かったのか、孫娘が思わず吹き出した。

「やだぁ、おじいちゃん。変な顔してるよー」

「いや、だってなあ、おじいちゃん驚いて・・・」

 混乱する頭で、なんとかそれだけを口にする。そんなしどろもどろな私に、嫁が笑顔で説明をする。

「お誕生日おめでとうございます、お義父さん。喜寿ということで、今日の誕生日は少し驚かせようとサプライズを計画したんですが、もう少しやり方を考えなきゃいけなかったですね。最近忙しくてなかなかきちんとしたものが用意できなかったものですから」

「ああ、いや、それは大丈夫、大丈夫」

 なんとかそう答える。年をとるとこういう時とっさにどう答えていいかもわからなくなるものらしい。

 確かにやり方にはもう少し思いやりがほしい。老人は素早い状況変化には対応出来ないのだ。しかし、それも私を喜ばせようと思ってしてくれたことが彼らの様子から察せられた。そう理解した瞬間、驚かされたことに対する戸惑いも、怒りもそっちのけで、私の心にはじんわりと暖かさが広がっていく。

「せっかくの喜寿のお祝いだから、楽しいほうがいいだろ。今日はこれだけしか用意できなかったけど、今度の週末には正式なお祝いも含めて、家族全員で日帰り温泉にでも行こうと思ってるんだ。確か予定、空いてたよな?」

 息子の言葉に、私は大きく頷く。あまりの感動にうまく言葉が出てこなかった。涙はとっくに枯れていたが、若い頃なら思わず大泣きしていただろう。それほどまでに、今の私は嬉しかった。

「じゃあ、決まりだな。美代も賢治も、ちゃんと予定空けとくんだぞ」

「はーい」

 息子の言葉に、孫ふたりが元気に返事を返す。そんな団欒の風景をみて、久しぶりに私は、家族といることが楽しいと感じた。

 年を取るのも、まだまだ案外、捨てたものではないようだ。

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