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カットマン 5

翌日の放課後、直人はいつもどおり体育館へと足を運び、練習に参加した。悠平には昨夜のうちにメールで、部活を続ける意思を伝えている。心の重みは未だになくならず、試合で負けることへの恐怖感も消えない。そんな弱い心を叱咤し、耐えながらの練習参加だった。

 基礎練習を終えると、各個人の課題練習の時間となる。この間に、レギュラー陣は交代で松浦の個別練習を受けることになっていた。順番はランダムだが、この日は一番目に直人が呼ばれた。

「今日からは、今までとメニューを変える。課題練習も全て内容を一新する」

 台に入るやいなや、松浦が厳しい声で宣言した。昨日の面談などなかったかのように厳しく振舞う松浦に、はい、と直人も返事を返す。

「いいか、卓球っていうのは相手より一球でも多く相手コートに球を返せば勝つスポーツだ。それがどんなチャンスボールだろうが、へなちょこボールだろうが、とにかく相手より一球でも返球すれば得点できる」

 この話は高校に入ってすぐ、松浦から聞いたものだった。それがカットマンという戦型の基本的な考え方であることも合わせて説明をされている。

「お前はとにかく、相手に打たれた球をひたすら取れ。どんな球でもいいから、相手より一球でも多く返球しろ。今後しばらくは、攻撃の練習はしなくていい」

 高校のハイレベルなカットマンともなれば守るだけでなく、時には攻める技術も必要になってくる。これまで直人は攻撃中心の課題練習をしてきて、それが試合で決まらず勝てない状態が続いてきていた。

 「その代わり、返ってきた球は死んでも取れ。一回のラリーにつき、三十回返すまでミスは許さん」

 むちゃくちゃな要求である。サービスエースを取られれば、自分は相手のコートに一球も返球できないことさえある。プロの試合でも、一回のラリーで一人の選手が球を打つ回数は多くて十五球前後だろう。その倍の数を、相手がミスするまで返し続けろというのである。

 しかし顧問が言う以上、この部活ではそれが絶対である。無茶だろうがなんだろうが、直人は頷くしかなかった。



 それからの毎日は、直人にとって地獄だった。

 以前は練習に没頭している間、試合で負けたことを考える余裕はなかった。しかし今では、何かのきっかけがあるごとにそのことが頭をかすめた。相手のスマッシュが自分のコートを打ち抜いたり、自分の返球がチャンスボールになる度に、試合の光景が浮かんできた。それらの記憶を閉じ込めようと、直人は必死になった。

 一方練習は、直人のそんな状態にはお構いなしに苛烈を極めた。松浦の指示する練習メニューは、とにかくフットワークを駆使してボールを返球することを徹底させた。あまりの厳しさに、練習後はしばらく動けないこともあった。

 心と体の双方ともボロボロになり、家に帰るとベッドに倒れこむ。日によっては無気力状態に陥り、夕食を食べることすら億劫なこともあった。それでも寝て、起きて、また練習に行く。直人にとっては、ただただ苦しみに耐え続け、目の前の課題に全力で取り組む日々が続いた。

 そんな日々に耐えられたのも、ひとえに悠平の存在が大きかった。

 足腰を鍛えるため、機会を見つけて走るよう松浦に指示された直人に、声をかけたのが悠平だった。

「そんじゃ、いい機会だから俺も一緒に走るわ」

 あっけらかんとそう宣言した悠平と、部活が終わったあとや部活前に走ることが増えた。そんな悠平につられ、レギュラー陣がいつしか一緒に走るようになり、気づけば部活前に走ることが卓球部全体の決まりになっていた。一人では到底継続できなかったであろうことが、悠平のおかげで続けることができたのである。 

 彼から借りたCDの存在も大きかった。家で何もやる気がおきない時でも、悠平に借りた曲を聞けばほんのりと気力が回復した。寝る前や練習前、どうしても気分が沈んでしまう時は、アイポッドにいれた曲を聞き、気持ちを奮い立たせた。

 インターハイ予選までの半年間、いつまで続くかもわからない長いトンネルの中を、もがきながら直人は進んでいった。時には仲間に支えられ、時には一人で苦しみに耐えながら過ごした日々。やがて三ヶ月がたったころ、変化は訪れたのである。

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