僕らのお姫様
一月十六日。その日は日本各地で、大雪の日だった。
僕らの住んでいる地域もその例にもれず、早朝から降り出した雪は瞬く間につもり、昼には交通機関をマヒさせるまでに至った。
親友の川瀬と昼食を食べ終えた僕は、二人そろって三コマ目の講義に向かっていた。スキーが趣味で、雪道も走れる車に乗っている僕は、帰りの心配もどこ吹く風だ。
そんな調子で大学の廊下を歩いていると、講義棟の出口で、ふと気になる背中を発見した。
同じサークルの憧れの先輩、蒼井結城さんだった。
僕と川瀬は、二人そろって先輩のことが好きだった。いつも一緒にいるおかげで、お互いの気持ちはすぐに分かった。それから僕たちは、どちらが先輩と付き合うことになっても恨みっこなしという約束を結んで、先輩にアタックを仕掛けていった。
結局、その約束は意味をなさなかった。
つい先日、先輩には彼氏さんができたらしいのだ。
そのことを聞いたときはショックだった。二人して相当落ち込んだ。しかし、だからと言って気持ちがすぐに切り替えられたわけではない。
先輩の好意が自分に向けられることはないと知ってはいても、一緒にいるとなぜかうれしくなってしまう。我ながら早くあきらめて次の恋を探せばいいと思いつつも、僕も川瀬もそれができずにいるから質が悪い。だから、廊下に立つ先輩に声をかけるのも、僕らはやめることができなかった。
「この雪の中、今から帰りですか?」
そう先輩に声をかけると、僕らに気が付いた先輩が笑顔を向けてくる。その先輩の口から、意外な話が飛び出てきた。
今日が誕生日の先輩は、地元にいる彼氏とデートの予定があるのだが、電車が動かず帰れないらしい。
先輩は冗談めかして、「まいっちゃうよね」なんて何でもない雰囲気を装っていたが、その表情から、無理をしているのがすぐに分かった。
「じゃあ、僕の車で送っていきましょうか?」
そんな言葉が、スルスルと僕の口から出ていた。その意味を悟った隣の川瀬が、すぐさま援護射撃を飛ばしてくれる。
「僕らもちょうど、今帰るところだったんで。あ、石本の奴、スキーによく行くんで、車も雪道仕様だから大丈夫ですよ」
そういうと先輩は明らかにホッとした表情になり、僕の車に乗ることを快諾した。三コマ目以降の講義は、もちろんサボり決定だ。
三時間かけて、車は無事、先輩の地元にたどり着いた。途中トラックのスリップ事故で足止めを食らったりするアクシデントも起きたが、別の道を川瀬が調べてくれたおかげで、何とかここまでくることができた。
「二人とも、本当にありがとう。ここまででいいから」
待ち合わせ場所の近くで先輩がそういった。彼女は僕らにまぶしいくらいの笑顔を浮かべて、恋人の待つ場所へと歩いて行った。
歩いていく背中を見送る。その顔が、もう一度こちらを振り返ることをなぜか願い、しかしその望みはかなわず、先輩の姿は道の角を曲がって消えてしまった。
「つか、なんで俺らこんなことしてるんだろ」
先輩の後ろ姿が見えなくなると、僕の口からそんな言葉が漏れた。
「知らねえよ。お前が送るって言いだしたんだろ」
川瀬の言葉に、間違いない、とつぶやいてから、僕たちは静かに笑った。乾いた笑い声が収まると、車の中に沈黙が降りた。
先輩がいなくなったあと、フラれたという明確な実感が急にわいた。告白もしていなかったため、今までどこか曖昧だったその感覚が、今日、去っていく彼女の背中を見て急にリアルになった。そしてそれこそが、僕が先輩を送った理由だった。
僕は先輩との関係に、一区切りつけたかったのだ。
胸が締め付けられる。自分が選んでもらえなかったという、今まで目を背けていた事実に、心が張り裂けそうになった。川瀬がいなければ、泣いてしまってたかもしれない。
でも、後悔はしていなかった。
こうでもしないと僕は、この先に進めない。だから現実をちゃんと見て、受け止め、前へと進むのだ。
助手席の川瀬をちらりと見る。こいつがどんな気持ちで今日、一緒に来たのかわからない。けれど、きっと僕と似たような心境かもしれない。潤んだ目が、そういっている気がした。
「なあ、今日、お前の家で飲まねえ?」
だしぬけに僕が言った。「いいな」と川瀬が相槌を打つ。
「せっかくだ。明日の講義もサボる勢いで、パーッと騒ごう」
僕たちはまた笑いあった。お互いの気持ちを痛いほど知っているからこそ、同じ気分になれた。大学生にだって、飲まなければやっていけない日もある。
飲んで、騒いで、先輩と僕らに乾杯するのだ。そうして、自分の先輩に対する気持ちに、一区切りをつけよう。明日からも、笑顔で過ごしていくために。
僕らのお姫様の幸せを、素直にお祝いできるように。
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