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カットマン 4

家に帰り、直人はベッドに倒れ込んだ。

 目を閉じると試合の光景が目に浮かんできた。点を取られた一つ一つのプレーが高速で過ぎ去っていく。試合後、悠平始めチームメイトからはねぎらいの言葉がかけられたが、直人の耳には届かなかった。

 いつもは試合後に厳しく指導をする顧問も、今日はなにも言ってこなかった。解散前のミーティングでは淡々と今日の総評を述べ、直人の試合にはほとんど言及しない。直人に対する気遣いか、それとも見限られたのか。どちらにせよ、心の傷がえぐられるだけだった。

 枕に埋めた目から、熱いものが溢れる。電気もついていない真っ暗な部屋の中で、直人の嗚咽が静かに響く。体を丸め、苦しみに耐えながら、直人は泣いた。

 次の日の放課後、直人は職員室を訪れていた。下校する生徒や部活動に向かう生徒が行き交う中、顧問の松浦を職員室前の廊下で待つ。松浦はすぐ廊下に出てくると、直人を面談室まで誘った。

 初めて入る面談室は殺風景だった。生徒が教師に相談などをする際に利用されるその部屋は、教室の半分ほどの大きさしかなかった。真ん中には長机が二脚と、向かい合うような形でパイプ椅子が置かれている。窓からは秋の風が入ってきて、外の喧騒が遠くに聞こえた。

「好きな方の椅子に座っていいぞ」

松浦が入口を締めながら言った。直人は促されるまま、一つのパイプ椅子に腰掛ける。松浦は部屋の隅に置いてあった扇風機の電源を入れ、直人にも風が当たるよう首振りを調節してから、直人の向かいに腰掛けた。

「それで、話ってなんだ?」

 単刀直入に、松浦は聞いた。部活動の時は常に目を吊り上げ、厳しい表情で生徒を見ている松浦だが、今は幾分穏やかに直人に目を向けている。声のトーンも少し落ち着いていて、部活中の様子を知っている直人にとっては話しやすい雰囲気だった。

「自分をレギュラーから、外して欲しいんです」

「なるほど。それはなんで?」

 ひとつ相槌を打ってから、間髪入れずに松浦は聞いてくる。直人は松浦の目をみてなるべくゆっくりと話した。

「チームに迷惑をかけるので。昨日の試合も、それより前の試合も、勝てる試合はたくさんありました。でも、ここぞという時にどうしても勝てないんです。特に団体戦では、他のメンバーも頑張ってくれているのに、僕だけが勝ち星を上げられない。校内のランキングではレギュラーかもしれませんが、本番の戦績を考えると、他のメンバーにレギュラーとして試合に出てもらったほうがいいと思います」

「なるほどね」

 直人の言葉に、松浦はまた一つ相槌をうった。すこし考える様子をみせてから、おもむろに手元のカバンからルーズリーフとペンを取り出し、机の上に並べた。

「悪いな。この部屋使うと、後で相談内容を報告しなきゃいけないもんで。すこしだけ、メモとらせてもらうな」

 そう言いながら、松浦はルーズリーフに何やら書き込む。本当にメモ書きのようで、直人からはその内容は見えなかった。

「じゃ、結論から言わせてもらおうか」

 紙に何かを書き終えた松浦は、再び直人に視線を向ける。そのまっすぐな目に、直人はすこしだけ貫かれるような感覚を覚えた。

「お前をレギュラーからは外さない。少なくとも、校内ランキングが今のままで外すことはありえない」

 簡潔に、明瞭に松浦の答えが述べられる。すこし気圧される直人に、松浦は続けた。

「校内ランキングはレギュラーを決める上で一番重きを置くって俺は決めてる。そこに校外試合や、戦型なんかの要素を絡めて総合的に判断するが、今のお前の実力ならまずレギュラーを外すことはない」

「でも、団体戦ではほとんど勝てていません」

「強豪のレギュラー相手には、だ。中堅クラスの学校選手相手にはまず負けていない」

 取り付く島もなかった。松浦の言葉は的確で、そこには確固たる信念があった。

「ただし」

 しかしそこで、松浦が言葉をつないだ。直人はまだレギュラーから外れるチャンスがあると思い身を乗り出すが、松浦の口から出てきたのは信じられないものだった。

「部活動を辞めるというなら、俺は止めない」

 その言葉は、最後通牒を言い渡すような口ぶりだった。直人は驚きのあまり、一瞬固まる。そんな直人を知ってか知らずか、松浦はよどみなく言葉をつないでいく。

「チームのために戦って負けるのが嫌なんだろ? でもな、今ここでそれから逃げちゃ後悔するぞ。仮にお前の代わりにレギュラー入りした奴が団体戦で活躍してみろ。それを見たら絶対にお前は悔しい思いをする。だから、もしレギュラーから外れたいなら、すっぱりと部活をやめて、卓球から離れるんだ。そうすれば、少なくとも他人が活躍するのを見る悔しさはなくなると思う。どっちにしろ、後悔はするかもしれんけどな」

 究極の二択だった。このまま苦しみながら勝てない卓球を続けるか、すべてを諦めて卓球をやめるか。目の前の顧問は、決して楽な道など選ばせてはくれなかった。

 しばらく、沈黙が降りた。直人は俯いて、じっと机を見つめる。その口から、ポロリと言葉が漏れた。

「でも僕はもう、チームのために負けたくありません」

「負けないようにサポートするのが、俺の役目だ」

 思わず漏れた本音に、すぐさましっかりとした声が帰ってきた。直人はゆっくりと顔を上げ、目の前の顧問を見つめる。

「全部終わった時にお前が後悔しないように指導するのが俺の仕事だ。だから、もしつづけるんだったら、全力で俺はお前を助ける」

 その言葉が建前でないことはすぐにわかった。普段の厳しい指導態度を見れば一目瞭然だった。

「もしやる気があるなら、明日からまた部活に来い。今日は体育館清掃で部活がないから、一日考える時間はあるしな。ほかに言いたいことはあるか?」

 もう直人に相談事がないと察しながら、一応確認のために付け加えられた言葉だった。直人は首を横に振り、ありがとうございました、とお礼をして席をたつ。松浦も席を立って、戸締まりと扇風機の片付けを始めた。

 片付けを済ましてから、直人と松浦は一緒に面談室を出る。するとそこに、悠平が荷物をもって立っていた。

 「部活、辞めるのか?」

「・・・どうだろうな。でも、部活を続けるならレギュラーからは外さないってさ」

 帰り道、自転車を引きながら悠平と歩いていた。いつもは日が落ちてから帰る帰り道も、今日はまだ日が高い。

「まだインターハイ予選まで半年以上ある。ここから実力上げれる可能性は十分あると思うぜ」

「でも、もうあんな思いはしたくねえんだよ」

 自分のせいでチームが負ける。空を切るラケットと、自分の後ろを転がる球。昨日の光景と、インターハイ予選と、中学の引退試合。大きな三つの試合は、今も悪夢となって直人を苦しめることがあった。

「今までも全力でやってきた。このあともやって、頑張って、その結果ダメだったらと考えたら、怖くてとても立ち向かえねえよ」

 悠平は何も言わない。ただ黙って、直人の横を歩いていた。直人も、ただ自分の気持ちを聞いて欲しいだけで、そこに言葉が欲しいわけではなかった。

 しばらく、無言のまま二人は歩き続けた。いつもは自転車で五分で走る距離を、ゆっくり二十分かけて歩いた。

 無言のまま、やがてふたりが分かれる交差点までたどり着いた。いつもは気軽に挨拶をして分かれる場所で、なんと切り出せばいいかわからないまま、二人はそこで立ち止まる。

「ごめん、最近愚痴聞いてもらってばっかりで。明日までには自分で答え出すわ」

 乾いた笑みを浮かべて、直人はいった。悠平は黙って直人を見つめている。やがて何か一つ決心したように息を吐くと、おもむろにカバンの中を開け、一枚のCDーRを取り出して直人に差し出した。

「中に、俺の好きなアーティストの曲が入ってる。歌詞は、インターネットで検索すればすぐ出てくるから調べてくれ」

 差し出されたCDを、直人は受け取った。どこにでも売っているようなCDーRのケースには、裏側に曲名が手書きで小さく書かれていた。

「俺は少なくとも、引退するまでお前と卓球したいと思ってる。でも、お前の気持ちもわかるから、続けろとは言わない」

「・・・わかった」

 直人の返事を聞いて、悠平は自転車にまたがる。エナメルカバンを肩にかけ、ママチャリの荷台に載せた。

「家に帰ったらCD聞いてくれ。別に感想とかはいらないから。じゃな」

 そう言いおいて、悠平は自転車を漕いでいった。遠ざかる悠平の背中を見送ってから、直人も自転車を漕ぎ出した。

 家に帰ると、着替えもせずに直人はベッドの上に倒れ込んだ。退部か部活続行か、極端な二択に頭が混乱する。何を基準に選択すればいいかもわからないまま、試合の暗い記憶だけが浮かんでは消えた。

 直人はゆっくりと体を起こすと、カバンから悠平にもらったCCーRを取り出した。パソコンの電源をいれ、インターネットで曲名を入力すると、すぐに予測検索で歌詞がヒットした。CDの中身はどうやら日本のロックバンドの曲のようだ。直人はCDをパソコンにいれ、イヤホンを耳につけると、すぐに曲が流れ始めた。

 バラード曲だった。ギターとベースの切なげなメロディーに、ゆっくりとしたドラムがリズムを刻む。それに合わせて、英語の歌詞が優しく流れていた。

 曲を聞きながら、パソコンの歌詞を目で追っていく。失敗した、地獄を見た、それでも時間は止まってくれない。だから前を向いて、明日を光あるものにしよう。やさしく、語りかけるように曲が言っていた。

 静かなギターの音を残して、曲が終わった。イヤホンから音が消える。しばらく呆然としていた直人の耳に、しゃくり上げる声が聞こえた。

 自分の声だった。目からは涙が流れ落ち、膝の上に雫の雨を降らしている。思い出したように、嗚咽が漏れ始めた。

 負けた試合が頭を巡る。恐怖が心を埋め尽くす。その隙間から、中学の頃の恩師と、松浦と、悠平の言葉が差し込んでくる。扱いきれない感情の渦に、直人はただただ泣いた。

どれほど泣いていたかわからない。ゆっくりと涙がでなくなり、息が整い始めると、直人の心は一つの方向へと意思を固め始めていた。頬をぬぐい、涙の跡を拭き取る。ゆっくりと顔を上げ、前を向いた。

 今と違う明日へ。光ある明日にしていくために。

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