カットマン 6
二月。卓球はシーズンオフとなり、公式戦がほとんどなくなる代わりに、練習試合が各学校間で行われるようになる。直人の学校もその例に漏れず、ブロック大会常連の、県内屈指の実力校と練習試合をすることになった。
練習試合では決まった形式はないものの、強豪校同士、お互いに何度も練習試合をしてきたことがあるため、大まかな流れはいつも決まっている。直人の学校の場合、まずは団体戦を行い、その後は選手同士がお互いに声を掛け合って相手校の選手と個人戦を行う。そして最後の締めとして、もう一度団体戦を行うという流れになる。
練習試合、始まりを告げる団体戦。今回相手は格上ということで、松浦はすこしだけ変わったオーダーを組んだ。ここ最近は五番手以外で起用してこなかった直人を、あえて四番手に起用したのである。
オーダーが発表されると、直人の相手はなんと相手校のエースだった。個人戦で県ベストエイトに入賞したこともある実力者である。
団体戦は概ね予想通りに進んだ。一番手の悠平が相手の一番手に勝利するも、二番手と三番手のダブルスは相手校の勝利。次に負けるとチームが負けという状況で、直人の番が回ってきた。
台に入る前、直人の頭には負けた試合の記憶が渦巻いていた。心臓が早鐘を打っているのがありありとわかる。五番手ではないにしろ、自分が負ければチームが負けるという状況は変わらないのである。
「いいか、とにかく丁寧に、球を入れていくことだけを意識していけ。攻撃は本当にチャンスボールが来た時だけにしろ」
試合に入る直前、松浦の指示を聞いて直人は台についた。二、三球練習したあと、いよいよ試合開始となる。
一ゲーム目は一方的な展開となった。直人が攻撃してこないとみるや、相手は強烈なスマッシュを何度も放ち、打つのが難しい球はしっかりと入れてくるという堅実なスタイルをとってきた。いくら拾ってもミスを出さない相手に、チーム全体に沈んだ雰囲気が漂い始めた。
二ゲーム目も概ね展開は同じとなった。相手が堅実な攻めを展開するのに対し、直人は防戦一方となる。すこし変わったことと言えば、相手のスマッシュに足が追いつき、カットで拾えるようになってきたことくらいである。
それでもスコアは十一対八で相手の勝ち。あと一ゲームを取られたらチームの負けが確定する。高まる緊張とプレッシャーの中でベンチに戻ると、松浦から声をかけられた。
「だんだんとスマッシュは取れるようになってきてるんだ。あとはレシーブさえしっかり返していればそれほど不利な状況じゃない。とにかく、相手のバックハンドサービスが来た時は・・・」
いつもなら返事をしながら話を聞くところを、直人は固まって返事ができなかった。負けた試合の記憶がフラッシュバックしていく。松浦の声がだんだんと聞こえなくなっていった。恐怖で頭が真っ白になり、何も考えられなくなってくる。
不意に、背中を思い切り叩かれ、直人は現実に戻された。
「直人!」
振り返ると、後ろに悠平が立っていた。
「今まで死に物狂いで耐えて来ただろ! ここまできて負けるなよ!」
「悠平・・・」
「どんだけ走った! どんだけ練習した! 秋の試合で負けて三ヶ月間、死に物狂いで拾ってきた球がどれだけあった!」
悠平の言葉に、周りからも次々と声が上がり始める。それは一緒に練習し、走ってきた仲間の声だった。
「こんなところで諦めてんじゃねえぞ!」
「五番手に回したら絶対勝ってやるから!」
「目にもの見せてやれ、直人!」
声はやがて大きな渦となり、直人を取り囲んでいく。
渦はいつしか、レギュラーだけでなくチーム全体を飲み込んでいた。
「いいかお前らぁ!」
その声の上を、さらに大きな松浦の怒鳴り声が響いた。
チームを覆っていた声の渦がすっと引いて、沈黙が訪れる。
「全員でこいつの背中支えて、絶対勝つぞ!」
「おおー!」
チームメイトの叫び声が直人を包んだ。直人の背中を、悠平の手が押す。
「行ってこい、直人」
「はい!」
今にも泣き出しそうになりながら、直人は台へと向かった。
背中にチームメイトの応援を聞きながら、直人は台へと向かう。台につけば、そこはもう一人の世界だった。誰が助けてくれるわけでもない、自分だけが相手と戦う場所。しかし不思議と、孤独は感じなかった。
サーブの構えをとると、あたりはシン、と静まり返った。途端に直人の心が恐怖で押しつぶされそうになるが、かろうじて耐え、ゆっくりとサービスを出した。
繋がれる。拾う。スマッシュ。カット。繋がれる。拾う。繋がれる。拾う・・・。
響く音はピンポン玉の跳ねる音と、靴が体育館の床を噛む音だけ。全員の視線が、意識が、直人たちがプレイしている卓球台に注がれる。
静かな、静かなラリーが続いた。いつ終わるとも知れないラリー、何度目かになる相手のスマッシュが放たれる。しかし、そのスマッシュが台を捉える音はなかった。
転がる球と、一拍の沈黙。
そして。
途端、大歓声が直人の背中を叩いた。
後ろを振り返ると、大勢の仲間が歓声を上げていた。まるで勝利したかのような、大きな声が響き渡る。その声を背中に受け、転がったボールを拾うと、もう一度、直人は台についた。再び静まり返った会場の中、直人がうったサーブの音だけが響く。
何度もスマッシュを打たれた。後ろに下がり、それを無我夢中で拾った。強烈なボールが飛んでくるたび、背中を冷たいものが走った。恐怖はいつもそばにあった。しかし、これ以上は一歩も下がる気にならなかった。仲間のために負けられないという思いが、直人を踏みとどまらせていた。
何度相手の球を返したかわからない。前後左右、走り回って飛びつき回った。無意識にそれを繰り返すうち、やがて相手ががっくりと膝を折ってうなだれた。相手のスマッシュが、ネットに引っかかり台の上を転がっていた。
一瞬何が起こったかわからなかった。そういえば今は何点だったか。審判が持っているスコアボードに目を向けると、ゲームカウントが三対二となり、直人の勝利を告げていた。
大歓声が沸き起こった。直人は何が起きたか分からず、しばらく呆然としている。やがてゆっくりと相手選手が近寄ってきて、こちらに手を差し出した。試合後の、握手をするためである。
「あ、ありがとうございました」
直人は差し出された手を慌てて握り返し、そうしてようやく自分の内側から実感が沸いて来るのを感じた。直人は相手校エースに勝ったのだ。
ベンチに戻った直人を迎えたのは、歓喜に沸く仲間たちだった。直人の頭をかき回したり、背中を叩いたりと熱烈な歓迎を受ける。直人はもみくちゃにされながら、まだ震えている右手で拳を作った。
直人の戦いが一つ、区切りをつけた瞬間だった。
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