見出し画像

大人こそ子供のマンガやアニメを観た方がいいと私が思う理由

子供の頃に好きだったマンガ・アニメ・特撮ヒーローもの・音楽や映画や本などが、保育園の子供達や自分よりも10歳20歳以上年下の知人を通じて再び目の前にあらわれる。
…みたいなことが最近続いていた。 保育士あるあるかもしれない。

私は自分が「面白そうだな」と思ったら、言った人が35歳であっても22歳であっても12歳であっても、それどころか2歳や3歳であっても、わりとすぐに素直に観てみて面白がったり下手すれば自分がハマってしまう。

それで最近、「銀河鉄道999」「ウルトラセブン」「ONE PIECE 」「世界忍者戦ジライヤ」(他にもいろいろあったけど省…)などを食事中に立て続けに見せてもらったのだけど…

私の感想。 「えっ!これこんな深い話だったんだ!?」

そう。
たかだか幼稚園や小学校だったり中学生や高校生の思春期だった頃に観たって絶対わからなかったであろうことが、大人になった今はいろいろわかるので、受けとるものの深さや刺さるところが昔とは全く違ったとこにびっくりした。

特に、作中の大人たちが抱えたジレンマや苦悩、立場や責任の重さ、世の中の矛盾や不条理という背景と、その中でそのような行動をとらざるを得なかった事情。

そうしたことは、自分が大人になっていろんな経験をし、いろんな年齢や立場を経験してみて、はじめて腑に落ちてわかったことばっかり。
(仕事のことや音楽活動のことをnoteには書いてきたけど、プライベートでは結婚・子育て・離婚だったり、私はそれが自分にとっての普通だったけど実は世の中では全く普通ではなかった生い立ちや恋愛だったり…それらの経験ひっくるめて全部)

びっくりしたというか、一番自分でも意外だった今回一番刺さった台詞が、「ONE  PIECE 」でサンジを育てた元大物海賊の船長の台詞で、

「船長とそうでないやつの違いはな、船長は決断をするということだ」

この船長は、自分と同じ夢を持った幼いサンジの命を助け、彼を生かすために自分は憎まれ役を買って出ながら、とてつもなく厳しい運命を選択することを「決断」した。

大人とは、上に立つ者とは、こういうことだということを、たとえば私が20代の時にこれを観てもわからなかったと思う。

同じことは、孤児になった幼い頃のナミ達を親になって育てた元兵士の女性にもいえて、その女性はナミ達をかばって生かすために自分を犠牲にして守り、壮絶な死を遂げる。

その死の直前、女性に生活の貧しさやお洒落が出来ない不満でひどい言葉を投げつけて喧嘩をしたことへの悔恨を、ナミはおそらく一生痛みとして抱えて生きていくことになるのだけど、ほんとに思春期や20代の頃の私なんて、明らかに幼いナミ側だった。

今はその親代わりの女性の気持ちや立場がわかるし、育ての母を傷つけてしまったことに対するナミの一生消えない悲しみや心の痛みも、ものすごくわかる。
私も同じような状況から、10代の時に実の母を傷つけて泣かせてしまったことがある。

また、時がめぐって、かつてとても仲の良い親子だった自分の娘からひどい言葉を投げつけられることも今年経験し(ただし、娘がそれを言ったのにはそれなりの正当な理由がある。社会の人には私よりも娘の方が好かれるだろうし、生きてく力も私よりもはるかに高い子だ)、そのとき私は、
「母もこんな気持ちだったんだろうな、今の私よりも辛い立場だった母に私もこんなこと言ったんやな。ごめん!お母さん」
と、思っていた。

娘に関しては、私も昔の自分がどうだったかを覚えているから、こちらに非がある以上、今は何を言っても私の言葉は耳に入らないし会話が成立しないので本人には響かないことが、かつての自分と両親との関係を考えたらわかる。
だから、彼女の気のすむようにさせようと思っている。

そこはもはや、船長の心境が入るけど、ほんとに難しい立場に自分はいつのまにか立っていて、幸か不幸か、そのお陰で昔の自分にはわからなかったことが今はいろいろわかる。 
ほんとにこれは、良いのか悪いのか解らないけど、賢くもないし人格者でもない私は、何事も自分が経験してみないと解らなかったのも確か。

そして皮肉なことに、こういう状況なのだけど、仕事では保育園の子供達にはものすごく好かれてしまう。
私にも理由がわからないが、なぜかモテモテである。
今娘が聞いたら、ほんとに鼻白んでシラケるだろうけど、一人一人に真っ向から向き合って(かつて娘にもそうしていたのだけど)真剣に接してもいる。

園の子供達にとってのいい先生が、自分の子供にとってのいい親というわけではないんだな…と、最近は思っていた。

おそらく私は「レミゼラブル」のジャン・バルジャンみたいなタイプの人間なんだろうな。 ジャベル刑事みたいな頭が固い人は苦手だし。

…と、話はマンガからそれたけど、このような人生経験をしたあとなので、いまの私がマンガやアニメや映画を観ると、昔は見えなかったものが見えて聞こえなかった言葉が聞こえる。

まぁ、つまり今これらを大人になった私が観ると、いろんな場面でいろんな人の台詞が刺さること刺さること…!

大人になったら感受性が鈍くなるなんて、あれは嘘だと思う。
大人になってからのほうが経験した立場や年齢・感情のストックが増えた分、わかることが増えてより感覚が鋭敏になってるから、物事を細部まで深く感受しやすくなる気がした。

だから、大人になってからの方がマンガやアニメや映画を観たり、音楽を聴いたりした方がいいと私は思うの。

同じ作品を観ても、昔とは入ってくるものの量や深さが、まるっきり違うから。

そして、正義というのがいかに一方の立場からだけ見たものであるかも解り、立場が違えば、こちらの正義は違う立場のあちらの人には悪になってしまうこともわかる。
だから世の中、戦争も紛争もレイシズムもなくならない。

その中でいろんな立場の人の板挟みになり、いろんな責任を背負って葛藤し続けるのが大人だということも、今なら私にもわかる。
(子供のいる人はその中で子供を育てるし、部下のいる人は部下も育てる)

だから私は、一方の正義から見たもので決めつけるよりも、相手がどんな立ち位置の人か・どんな事情や背景を抱えた人で、なぜそうせざるをえなかったのか?ということを、保育(現職)やベビーシッター(は休業中)の仕事とプライベートでは出来るだけ考えるようにしてる。
なにか事情があって苦しんでる人には特に。

私は私のやり方が全部正しいとは思わないし、すべてが相手のためになるとは限らない。一歩間違えば、依存体質にしてしまう場合もあるだろうし。
娘なんかは「そりゃそうよね、自分がだらしないからね」とか言いそう。

だけど、私は人に対しては、自分はジャベル刑事ではなくジャン・バルジャンでありたいと思ってる。
ジャン・バルジャンのなにが好きかと言うと、あの人は自分の罪や非を認めた上で、それを背負って人の役に立って生きなおそうとしてるじゃない?

そういう強さと、痛みを背負う覚悟と優しさをもった大人になりたいな。

今日書いたことは全部、身近な保育園の子供達や10歳20歳年下の人達との会話に出てきた前述のマンガやアニメを見ていて、思い出したことでした。

ほら、マンガやアニメって深いでしょ? 大人こそ見るべきです。




いいなと思ったら応援しよう!