青春の答え合わせ

KOKAMI@network「朝日のような夕日をつれて2014」観てきました。

17年ぶりか……実のところ、「朝日~」を生で見るのはこれが初めてです。
生まれて初めて第三舞台の「朝日~」を観たのは、確か91年版のビデオ。
当時鴻上さんは、演劇は生ものだからソフト化はしないと頑なに(笑)おっしゃってたんですが、内輪での記録用に撮影されていた物を、当時市民劇団で一緒に活動していた方が、大学の友人を伝手に入手した物でした。

ちなみに生まれて初めて観た第三舞台作品は、同じく裏ルートで回ってきた(笑)「デジャ・ヴュ'86 」、生まれて初めて生で見た第三舞台は、93年の「トランス」でした。

あの日の衝撃を今もまざまざと覚えています。人生で一番心が柔らかいときにざっくりと傷跡を残してくれた作品の一つです。

その「朝日~」の17年ぶり7度目の、おそらく初演当時のキャストにとっては最後の「朝日~」です。

当時の時代の最先端のネタを取り入れて、あの時代の若者が抱えていた孤独や、鬱屈、焦燥、絶望、そういった物を描いた作品でした。私の抱えていた孤独や鬱屈、焦燥、絶望がそこにありました。

そして今、再演に辺り、私もあの時の衝撃を受けてから20年以上が経ちました。あの日の孤独や鬱屈、焦燥、絶望がどう変わったのか。鴻上さんはこの時代にどう描くのか。

一番大きく変わったことは、当時まだ何者にもなれないでいた自分が、今は何かを作り出す何者かになっていると言うことです。あの頃に抱いていた焦燥の一番大きな要因はまさにそこでした。何者かになりたい、何事かを成したいという気持ちと、そうなれないかもしれないという不安と焦燥。今の自分の抱える焦燥や不安とは違う物です。

これからしばらく反芻して、答えを合わせていこうと思います。

作品中に「人は17歳の頃の感性に回帰していく」という台詞がありました。17歳の頃、まさに私は小劇場と出会い、演劇の可能性に驚かされ、夢中になってその世界に浸っていた頃です。あの頃の感性に回帰していく……少し分かる気がします。

今も、物語への尊敬と渇望と、愛憎は変わらないままです。

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