"緊急ではないが重要な仕事"の意味
多くの人々が常に忙しさに追われる毎日。
皆様今日もお疲れ様です。
最近は”遺書。”と題した意味深なタイトルで自身の子供達に向けて何章か書いていましたが、一旦そちらをストップして、通常のテイストで書いていきたいと思います。
またお付き合いいただけたら幸いです。
さて本題。
すでにご存知の方も多いかもしれませんが、仕事は大きくわけて下記の4つに分類されます。
①緊急で重要な仕事
②緊急ではないが重要な仕事
②緊急だが重要ではない仕事
④緊急でも重要でもない仕事
皆さんはどれに当てはまるでしょうか?
とりあえず④の認識で仕事してる人ってまずいないですよね。
多くの人は①(緊急で重要な("だと思い込んでいる")仕事)に忙殺されているのではないかと思います。
かくいう私も気づけば、「緊急で重要な("だと思い込んでいる")仕事」につい翻弄されてしまうことがあります。
でも実は、少し時が過ぎると「①緊急で重要な仕事」だったはずが、実は「④緊急でも重要でもない仕事」になったりすることがあります。
例えば、上司から急遽明日までに資料を準備せよ!という依頼があって、徹夜で大急ぎで資料作ったら翌日やっぱり必要なかった🙏みたいな。
そもそも「緊急」てなんでしょう?
「緊急」の定義は相手との関係性や環境、時間、本人の感覚などえてして曖昧な文脈の中にあり、実は大したものではない。ということも往々にしてあります。
もちろん、「人が倒れた!救急車!」みたいなことは別としてですが、仕事において「緊急」と思われていることの多くはさして緊急ではなかったりしたりしなかったり。
そんな、「緊急で重要な("だと思い込んでいる")仕事」で大切なものを見失っていませんか?
ということをご自身に問うてみてください。
僕は、②緊急ではないが重要な仕事 をいつも意識して仕事をしています。
もちろん、日々のタスクをこなしながらではありますが。
例えば関係者とのコミュニケーション形成だったり、大きな絵を描いて人生の筋道を想像してみたり、俯瞰的に物事を観て長期的な戦略を考えたり・・・etc
「緊急で重要な("だと思い込んでいる")仕事」をしている人たちから見ると、遊んでいるように見えるのかもしれません。
でも僕はこうやって記事を遺したり、海で心を整えたり、それらをSNSでシェアしたり、そんな緊急ではないが重要な仕事をいつもやっています。
文字や図や表がビチビチに詰まったパワポ資料作ってませんか?
タスク増やしてカオスになってません?
会議のための会議にバタバタしてたりしません?
でもね、創造は余白から生まれるんです。