11歳息子と初のふたり旅(Ho Chi Minh①)
バリ島発オリジナルバッグsisiの生島です。
とても素晴らしい旅でした!
私はこういう素晴らしい経験を適切に表現し、出来る限り短いボリュームで皆さんに伝えるすべを知るべきだ、と思っています...
今回こそは1回だけで伝える、と思うものの、載せる写真を選ぶ段階で「あぁ、無理だ」と諦め、タイトルに「①」を今回も入れました。すでに自分に負けた感が...
とかなんとか書いたりして「前置き」が長くなっていく訳です。
さぁ、本筋に!
実は、前にも「ホーチミンでsisiイベントしまーす☺️」とお知らせしていましたが、実は場所が変更になりました。そう、皆さんも気にしていらっしゃる今の病気の関係で、大きなイベントを自粛しましょう、というベトナム政府からのお達しの為に私が「参加させていただく予定だったイベント」がキャンセルとなったのです。
「元々は息子とふたり旅の予定だったし大丈夫ですよ」と主催のベトナム在住法人向け無料情報誌Vetterの方にもお話ししていたのですが、単独の小規模なものなら大丈夫なのでは?ということで、なんとsisi単独で今回イベントさせていただくこととなりました!
この時期に、とタイムリーなエッセンシャルオイルブレンドの「抗菌スプレー」作りのワークショップを。実は作業自体は5分で終わってしまうこれ、30分の枠を取っていまして、私のしゃべり、で25分!
私との時間が「初体験」のホーチミンの女性の皆様の苦笑から爆笑、いや、ずっと苦笑??のこの時間、とっても面白かったです☺️
アルコールやお水を小さなボトルにガラスの普通の瓶やミネラルウォーターのボトル(最初はグラス)から入れようとすると、参加の皆様 驚かれたようでした。私は「驚かれたことに驚いた」のですが、確かに普通こういうワークショップではこういうのを使ってるかも💦
11歳息子は果たして役立ったのか??
キッズコーナーで大人しく携帯ゲームをし(今回特別に2種入れてあげました。*期間限定)、美味しいランチをパクパク(この会場の @scarab saigonさんでは気に入って「唐揚げランチ」を下見の時と合計2回食べておりました。) この後「抹茶パフェ」もおやつに...
搬入の時、お洋服をかけたり並べたり、もお手伝い。接客を、というわけに行きませんでしたが「もう帰りたい〜」とか最悪言っちゃうのかな?と思っていましたが、頑張っておりました。
今回すっかりお世話になったホーチミン在住歴15年のS女史と共に「お疲れ様」写真。
実は15年前に母と来たことがあるホーチミン、その時 印象的だったのはたくさんのバイクと「ベトナム料理の美味しさ」でした。そんなにたくさん油を使ってる印象がなく、辛みもほとんどなく、野菜やハーブをたっぷり使った「和え物」などがあるバランスがとっても良い「高度なお料理」という印象でした。 その時に街角で1度だけ母とパクついて驚いたローカルフードが「バインミー」でした。
実は「バインミー」とは「パン」の総称だとか。
今回私たちは朝食にこのバインミーサンドを食べ続けました!
これはちょっとしっかりしたチェーン展開してる屋台。夕方にのみ開くお店でした。(ここのは食べてません。)
ほぼ毎朝食食べ続けた息子。
こんな感じで歩道傍に朝から、そして夕方から移動式屋台で出ています。おしゃれな専門店(路面店)もあります。お値段は外国人価格もあるかもしれませんが、VND20,000-25,000(100円から125円ほど)でした。お野菜や大好きなコリアンダーもたっぷりで嬉しい☺️ さっきの人様のブログでもご紹介されていたように色々な種類があるバインミーサンド。在住S女史の「卵が入った『オプラ』が好き❤️」には私も激しく賛同致します!イベントの搬入しながら食べた「バインミーオプラ」、そして同じお店で買って空港へ向かう車内で食べたもの、美味しかったなぁ。
オプラさんとは関係あるんでしょうか?
フランスの統治下時代の影響があるのでしょうね、このバゲットサンドは。ちなみに「フランスに占領されててよかったね、おかげで食べ物が美味しい」なんて意見が、ベトナムに限らず聞くことがありますが、結果として市民が取り入れ、たくましく自分たちの文化にしていったことに対する尊敬はあれど、やはり外の力による「占領」を当人(ベトナムの人)以外が軽く口にするのはやはり気持ちがいいものではないな、と思ってしまいます。
インドネシアも、確かにコロニアルスタイルの建築物を素敵だ、と思うことはあっても「オランダに占領されててよかったね」とか、「オランダからの独立を助けた日本にインドネシアの人たちは感謝してるんだよね」なんてのは、私は口が裂けても、それもインドネシアの人の前では決して言えないと思っています。
実際 話を聞いてみるとインドネシアでは老人だけに限らず若い人たちにも「私たちは日本の占領下でひどいことをされてきたことを学校の授業でしっかりやっています。日本ではインドネシアで日本軍が強制した様々なことを習いましたか?」聞かれたことがあります。
みなさん、ありますか?覚えてますか?
その頃、日本軍は現地の人たちにCAHAYA ASIA(アジアの光(輝き))と日本を無理やり呼ばせていたことがあるそうです。恥ずかしい歴史ですね。
今もその認識で東南アジアで威張ってる人は居ませんか?恥ずべきことです。 以前、父の知人(当時70才ぐらいの方か)と話す機会があり、「この前ベトナムに行ってきた。あんな何もない国で唯一食べ物だけはマシだった。フランスの植民地になってて本当に良かった」と言いました。 彼はいい学校を出て、有名な会社で定年まで働き、奥様と悠々自適に生活し、孫も何人もいて、日本画を趣味で描き、「父のちょっとした憧れ」的な人だったそうですが、頭はたいたろか、と思いました、正直。
実際、苦笑する奥様の隣で(奥様にも本当に同情する。こういうおやじの面倒を何十年も看てきたのだろう)「は?意味わかんないすね、あんななんもない、ってあなたは何をご覧になってきたのですか?植民地になって良かった、とかどういうつもりでおっしゃってるのか...」と前のめりで💢丸出しで話し出した私を横にいた私の母が「まぁまぁまぁ、あんた、ちょっとこっち」と引っ張っていったのですが。
年寄りだから、父のお世話になったとかなんとか、の人だったから良かったですよ。これが、知らんその辺のおっさんなら 私と会ったことを一生後悔させてやるぐらい...
ホーチミンはとっても良いところでした。
ホーチミンの人はたくましく、元気で、そして真面目そう。
インドネシアが不真面目、ということでは決してない...いや、決してとは言えないけれど、延々と「冗談を言い続けてる国民性」というようなことを聞いては「そんなに?」と思っていましたが、ベトナムで人々を見ると「確かにインドネシア人はくだけてるな」と思いました。
ベトナム人にいうと怒る、とのことですが、「中国」の影響を多く受けている。どこかで「中華系の人は外の人間に対しては冷たいが、うちに入るととっても優しいよ」と。そういう感じでしょうか?今回、地元の人とそこまで打ち解ける機会が無かったので、次はもっともっと懐に入ってみたいな!と思っています。
美味しかったバインフラン(プリン)。
本当はあと2回ぐらい食べたかった!
アンドン市場、というところの地下。乾物に大興奮!
隙あらば寝かせる!?
街角の活気ある食堂、美味しかった!
ここ見たい!と息子が入った小さな「バッジ」のお店。
中はトロフィーや旗のお店でした。
続いて②では、また別の視点からホーチミンの話をしてみたいと思っています😁
続く↓
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