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【芸術雑談#1】 CUBEとCUBEとCUBE

どうも。いくらと納豆です。
今回は最近観た映画について思ったことを書いてみようと思います。
ネタバレ気にせず書くので、もしこれから観ようと思っている方がいらしたらご注意を!

なぜ「CUBE」をみようと思ったか

私は星野源さんの楽曲が好きです。
「いやぁ、闇もってそうだなぁー」という部分がとても魅力的に感じるのです。
「闇もってる人」って、人間の闇とか負の感情をちゃんと認識した上で存在を認めてくれると言うか。楽天主義の人?って「そんなくよくよ考えないで楽しく生きればいいじゃん!」みたいな感じで闇とか負の感情の存在を消し去ろうとするのが、私には合わなくて。

でも、星野源さんはその「闇」や「負の感情」を認めた上でそれを「プラスに変える力」みたいなのがある気がするんですよね。そんな曲を作れる人ってすごいなと思います。
(最近は「アイデア」と「創造」がとても心に沁みてる。)

そんな星野源さんが最近リリースした「CUBE」
まず、観て欲しい。とりあえず、聴いて欲しい。

冒頭のドラム、キーボードの音、MVの雰囲気…めちゃくちゃかっこいい!
しかも、この中で一番ハッとしたのが菅田将暉さんが出てくるシーン。

「なんなんだ!このゾクゾクする感じ!切ない!怖い!怪しい!」

ちょっとしか出てないのに、全てを持ってくほど私は印象に残ったんですよ。菅田将暉さんの目つき、人をどきどきはらはらさせるような去り際…。
すごい以外の言葉が出ない…。

それ以降、この曲にハマって観たり聴いたりしてたのですが。
でもなぜだか、どうしてもいつもの星野源さんの曲のように、心をグサっとする感覚が得られない。なんだか、写真のピントが合ってないような、パズルのピースがはまってないような。
その心のモヤモヤから、まずは星野源さんの曲を映画館で聴きたいと思い、日本リメイク版「CUBE 一度入ったら、最後」を観にいくことにしました。

日本リメイク版「CUBE 一度入ったら、最後」を観てみた

正直な感想を言うと、「伝えたいことはわかるけど、2時間も必要だったかなぁ。行間は自分で読めばいいのはわかったけど、情報量が少なすぎる。」でした。

あらすじと登場人物

ここがどこなのかも、なぜここに集められたのかも、出口があるのかも、生き残れるのか殺されるのかも、全てがわからない謎のCubeに男女6人が閉じ込められる。

後藤さん(菅田将暉):エンジニア
甲斐さん(杏):団体職員
越智さん(岡田将生):フリーター
宇野くん(田代輝):中学生
井手さん(斎藤工):整備士
安東さん(吉田鋼太郎):会社役員

極限状態の中、はたして6人は脱出することができるのか?
というもの。

感想 - 現代社会の絶望と自分の中の希望

ここからはツッコミを入れたり、「え、どゆこと?」というモヤモヤを書いたり、私はこう思ったんだよを好きなように書いていこうと思います。

井手さんは結局何者だったのだろうか。
登場人物が揃った時点で大体「あー、全員なんか闇抱えてるんだろうなー」っていうのがわかると思うんですよ。後藤さんパニック起こすし、越智さんは指カリカリやるし、宇野くんしゃべらないし、井手さん協調性ないし、安東さん見るからに悪いことしてそうだし。その中で、甲斐さんだけ無機質な感じ。
映画が進んでいくと、その闇がなんなのか少しずつ明らかになるわけです。後藤さんは弟の自殺を止めなかった後悔、越智さんは何をやっても上手くいかない認められない社会に対しての苛立ち、宇野くんは(きっと)虐待をされていて大人が信用できない、安東さんは周りは自分より劣ってると思うわりには美味しいとこは欲しいマウントおじさん。
そんな中、井手さんだけ何をそんなに急いでるのかよくわからないまま死んじゃったんですよ。あれって一体なんだったの?

Cube = 「自分の闇を認識してそれに立ち向かう勇気があれば出れる箱」
オチを堂々と書きますが、最終的には宇野くんは箱から出て、後藤さんは生き残るがContinue、甲斐さんは次のCubeに入れられたグループの引率、というところで映画が終わります。
生き残るか死ぬかの違いは「自分の闇が原因で自分自身を閉じ込めていた檻から出ようとするかどうか」だったのかなと思います。宇野くんは信用できない大人を信じてみることにした。後藤さんはあの時死に物狂いで弟を助ければよかった後悔を繰り返さないように宇野くんを助けた。おそらく、それを甲斐さんがみて出口へ誘導する、みたいな人間更生プログラムみたいなんだよ、きっと。

仮にCubeを出たとしても世界が変わるわけでもなく絶望の世の中が待っている。箱の中でも箱の外でも、結局は何も変わらないんじゃないのか?

それに対して、それでも箱の外にでるのは、たとえ世界が絶望の世の中だったとしても自分の中に檻から出る「希望」みたいなものが存在して、圧倒的に箱に入る前後では違う人間になっている。

みたいなことを伝えたかったんだろうなーと言うのが、私の感じたことでした。いや、わかるけども。わかるけれども、それを表現するのにそんなにリソース贅沢に使う?というのが正直な感想でした。

でも、これでエンドロールの時に流れる星野源さんの曲がすっと入ってくるかな!と期待したのですが、なぜだ、なぜしっくりこないのだ!!?
ということで、これはカナダオリジナル版「CUBE」を観なければと思ったのです。

カナダオリジナル版「CUBE」を観てみた

「やはり、オリジナルの方が面白かった。」というのが率直な感想です。映画のスピード感とか、それぞれの役のキャラ付け、「そうそう、これこれ」という感じ。日本版とは表現してるものが違って、面白かったです。

あらすじと登場人物

あらすじは日本版とほぼ同じです。
箱に閉じ込められて脱出するために頑張る話。

クエンティン:警察官
ハロウェイ:女医
レブン:女子学生
レン:脱獄犯
ワース:CUBE外壁設計者
カザン:サヴァン青年

オリジナル版はそれぞれがちゃんと自分は何者か話すし、極限状態の中でどんどん人間味溢れてくるので、すっと人となりが理解できました。

感想 - 人間の本性と何かわからない大きな物への無力感

90分と短いこともあり、いい意味での「軽さ」があった映画だったなと思います。私はこう思ったよを好きなように書いてみます。

もともと持っている人間の本性は「天使」なのか「悪魔」なのか
日本リメイク版は「闇に堕ちていった人」みたいな印象を受けるので、もともと白かったものがどんどん汚れていった後天的な「闇」感があるのかなと思っているのですが、カナダオリジナル版は「人のそもそも持っている闇の部分」みたいな先天的な「闇」感があってその違いが面白いなと思いました。
警察官は「自分自身が正義だ」から離れられない、女医は「きっと誰かが仕組んでるんだ」と不満がとまらない、女子学生は「私はただの学生だから」と諦めている、外壁設計者は「無気力」。(脱獄犯のキャラ好きだったな、すぐに死んじゃったけど。)
それぞれが持っていた本性が極限状態により天使になるのか悪魔になるのか…みたいな状況が、「うへぇ…」ってなりますよね。人間誰しも天使にもなりえるし、悪魔にもなりえる。

何かわからない大きなものへの無力感
印象に残っているシーンが外壁設計者が警察官と女医と言い合うシーン。

「陰謀でもなんでもない。上なんかいない。」
「これは忘れ去られた永遠の公共事業。保身と給料のために働いてる。」
「全体の中の一部で目の前のことに集中するばかり、全体のことなんて興味がない。」
「ただの不可抗力。ただ哀れだっただけ。現実を受け入れろ。」

このシーンで感じる「何かわからない大きなものへの無力感」みたいなものが、すごい心をズチャって切り裂いていくのよね。絶望感あるし、当てる先のない怒りがこみ上げてくるし、でも、発散することもできない。報われないですね。
しかも、私自身が全体を俯瞰してみないと動けないタイプの人間なので、すごい心に引っかかったシーンでした。みんなもっと全体に興味持とうよ。

オチも結局生き残って外に出れたのはサヴァン青年のみ。あとちょっとで女学生も逃げれたのに暴走警察官に殺されちゃうし。(あの時の警察官の顔、面白かったなー。)
「何も結果がない」が結論だったのかなと思います。
それが逆に心にきちゃいますよね。

星野源さんの「CUBE」が暴れ出した

日本リメイク版「CUBE」とカナダオリジナル版「CUBE」を見終わり、「よーし、これで星野源さんのCUBEわかるでしょう!」と思って、MVを再度鑑賞。

「源さんの曲が暴れ出したーーーーー!!!」

歌詞も曲もMVも、写真のフォーカスがあったように、どんどん自分の中に流れ込んでくるようになったんですよね。映画「CUBE」を見る前に読んでもよくわからなかったこの記事も、すごい、すごいわかる!笑

聴けば聴くほど形を変えて、私の心をぶん殴ってくるようになりました。
「心のもやもやが解放されないもどかしさ」みたいなのが降り注いできて、嫌になっちゃう…笑
まだまだ当分は私の心をぶん殴り続けてくることでしょう。

ぜひ、星野源さんの「CUBE」を暴れさせたいよって人は、カナダオリジナル版まで映画をみることをオススメします。

おわり。

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