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卒論奮闘記 ①

今年3月で大学を卒業しているはずだった私は、
卒業論文が提出できず、留年している。

卒業に必要な単位は取り終えており、あとは卒業論文の提出のみ。

卒論に取り掛かり始めたのは確か去年の2月。
そのときから私は薄々勘づいていた。
私はきっと卒論を書ききれない、と。
先生になにか言われたわけではなく、
めでたく卒業している自分の姿が一ミリもイメージできなかったのである。

自分の思い込みフィルターがかかっていたからか、
納得いくように研究を進めることができず、
進捗報告も毎回適当にやり過ごしていた。

ただでさえ卒論に時間を割かないといけないのに、
何の目的もなくペルーに行ったり、
大学からの助成金でイベントを開催してみたり、
と他のことに色々手を出して、本業を疎かにしていた。

11月になり、いよいよ書かなければならないときになった。
しかし、私は逃げてばかりだった。
卒論を書くことは自分の生活を投げうってまで遂行すべきことなのか、
と卒論からの逃避を正当化するような謎の持論を立てていた。
これは今でも少し思っているが、大学に入学したからには、
卒業することが義務であると言い聞かせている。
そもそもそこまで逃げたい人は大学なんか入ろうと思わないのだろう。

そのまま時だけが過ぎていき、1月突入。
ここまでくると、自分が書いていないことにどれだけ耐えられるか、
という耐久レースになってきた。
頭の片隅につねに卒論の二文字を置きながら、
体は直観に従っていつも違うことをしていた。

いよいよ先生からも提出を催促されたが、出せるものは何もなく、
提出期限の5日前くらいに留年する旨を連絡した。

私はいつも自分で自分を諦めている。

提出期限の時間は気が付いたら過ぎていた。
一緒に頑張っていたはずの友達は、皆やりきったようだった。
口頭試問、発表会、追いコン、卒業式
あとは追い出すだけの行事が淡々と行われていったが、
そこに私は卒業できない卒業生、という中途半端な存在として参加した。

今でも40%くらいはみんなと卒業したかったな、と思っている。

4月になって、4年生続行である。
授業をとることもなく、卒論を書くしかない状況である。
先生にもとりあえず書いて、一度出しなさい、と言われた。
もう私は卒論の内容に飽きている部分があった。
すぐに書いてしまわなかった私が悪いのは重々承知である。
そこを立て直す必要があったが、根底では興味は失っていなかった。

また、卒論に手を付けられない理由を考えてみると、
私はやはり、自分の生活>卒論、の考えが捨てきれていなかったのである。
その時の私は日常生活でやりたいことがたくさんあった。
やりたいこと、というのは、他の人からすればどうでもいいことだが、
掃除や模様替え、衣替え、不用品の処分、などである。
これらを完遂してしまわないことには、卒論に心が向かわなかった。

5月中旬の今、そのやりたかったことたちを一通りやりきった。
卒論に面と向かう準備ができた。
そうはいっても、今までさんざん逃げてきたことに真っ向から挑める
自信があまりない。勢い余って、また挫折しそう。

だから、今から卒論を書きあげるまでの過程をここに報告することにした。

今の私は、卒論を書きあげた自分の姿がなんとなくイメージできている。





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