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恐怖の味噌汁

それは、九月も下旬にさしかかるというのに夜間の気温が高く、蒸し暑く寝苦しい今朝のような日だった。

今からもう20年以上も前の事だ。


もしもここが田舎だったならば秋の昆虫が音をたてているような季節。都会からそれほど遠くないこの地域の住宅地では夜になっても虫の音は聞こえない。

僕は寝苦しさからか早朝に目が覚めてしまった。いつもの土曜日ならおそらく10時、いや昼過ぎに目覚めることもあるような寝過ごしやすい時期であるにもかかわらず、その日は午前の早い時間でも布団を湿らせるほど汗が吹き出ていた。

麦茶でも飲もう、そう思って台所に向かうと、こちらに背を向けて母が朝食を作っていた。二口コンロに置かれた鍋からほのかに香る味噌汁の匂いが僕の食欲を沸き立てた。冷蔵庫から麦茶の入った容器を取り出して大きめのグラスに注ぐ。

「オカン、米ある?味噌汁と、何か、漬物とかでご飯食べよかな、ガス、一個空いとんやったら目玉焼き作ってもええ?」

幼少期は両親を"パパ" "ママ"と呼ぶように育てられたのだが、反抗期真っ盛りの僕の母親への呼び名は関西ではよく使われる"オカン"である。ちなみに父親は"オトン"だ。

僕が母にそう言うと、母は

「待って」

と一言だけ発した。


その瞬間、僕の背筋が氷柱のように凍りついた。

ゾクゾクと悪寒がして、蒸し暑さからくる汗は一瞬にして冷や汗に変わった。

僕は言葉を発することができなかった。

頭の中がぐるぐるとこんがらがる、僕が今見ている母親は、確かに母親なのだが母親ではない気がしたのだ。

頭の中は、母親じゃない!こいつ誰だ?!とか考えるわけではなく、パニック状態に陥っている頭のCPUは背筋が凍っていることを先に処理しているため

"オカン!悪寒!オカン見て悪寒!オカンじゃなくて悪寒?オカンは悪寒?オカンがしてゾクゾクする怖い!じゃなかった悪寒や悪寒、いやそれより悪寒は?じゃなくてオカンは?いやもう悪寒オカン悪寒オカン悪寒!やめて悪寒!悪寒ってよく出来た言葉やんなぁ、いやオカン!"

と、まともな処理を行えず、支離滅裂を通り越した思考回路の迷宮を数秒さまよっていた。

確信していることは、こいつは母親のように見えるが"母親ではない全く別のなにか"だということだった。

その様子に背中越しに気づいたその、"オカンのようなもの"は手を止めて僕に言う。



「なんで"待って"だけでわかったん?」




僕は遂に恐怖で叫び出しそうになっていた。


すると、背後から階段を降りてくる音がした。

木造住宅の我が家の階段は老朽化も進み、人が降りてくる時はミシミシと音がする。

すぐにその音が父親の降りてくる音だと思って安堵した。

だが違った。

階段を降りてくる音がドミシッ、ドミシッ、と音がする。背の高い父親が降りてくる階段の音は、ミシミシという木が軋む音とドンという足音が混じって、"ドミシッ"と音がする。その後で父親の足音だと認識する。

一般的な住宅の階段数は13〜14段である。階下に近づくにつれて大きくなる音は、確かに父親の足音なのだが、その音は階段の段数、13回を過ぎても、14回を過ぎても一向に止まらない。

ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、

ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、

ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、

ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、ドミシッ、

階段の前にガラス扉があるのだが、すりガラス越しに人が溢れてくるのがわかる。どんどん人が降りてくるが扉を開けようとせず人が溜まっていく。

こんがらがった頭の中で"オトンまみれやん、いや、この場合はオトンだらけか、いやもう、まみれでもだらけでもなんでもええけど"

と、脳内のパニックと恐怖で少しおかしくなり、少し笑えてきた。顔は完全にニヤついていた。

あかん!逃げなあかん!

そう思って我に返った僕は一目散に玄関に走り、夏から出しっぱなしだったビーチサンダルに足を投げ入れて外に出ようとした。履くのにもたついていると背後から声がした。


「今まで気づいた子供、2、3人やのに」



玄関のドアを開けて外に駆け出すと、もう既に日はかなり出ていた。

車が通るほどの道路まで走った。道路に出ると町は一般的な土曜日の早朝の顔をしていた。

僕はとにかく母親と父親が出かける時間まで時間を潰そうと思った。

確かにあれは母親ではなかったのだが、母親であったし、父親ではあったが父親はたくさんいた。頭では全く理解できない。

"母親はこの後祖母のお見舞いに病院へ行くはずだし、父親はあの時間に起きるならゴルフだ。父親がゴルフに行くから母親は朝食を作っていたわけだし、父親はおそらく05時30分には家を出る。母親はおそらく病院の面会時間である9時には出かけるはずだから、余裕を持って僕は10時ごろ家に帰ったほうが良いな"


そう考える事も、さっきの体験が偽物の母親と父親なら意味を成さないのに、そうやって現実の日常と照らし合わせて恐怖心を鈍化させる事しかできなかった。


10時までは本当に長く感じた。僕は公園に行ったり、コンビニで立ち読みするなどして時間を潰した。


10時になって家に帰ると、家には誰もいなかった。

何かの気のせいだった、そうに違いない、と自分に言い聞かせて、僕は出しっぱなしだったグラスに注がれた麦茶を飲んだ。

台所の鍋には母親が作った味噌汁があり、玄関にいつも置いてあるゴルフバッグは無かった。

緊張と恐怖、早朝に目覚めて数時間彷徨った眠気と疲れもあって、僕はそのまま和室の畳の上で気を失うように眠りに落ちた。



「おい!イク!イク!」

父親の大きな声で起こされた。


「んー?オトンおかえり、ゴルフ?早かったなぁ」


「おまえイクやな?いや、こいつはイクやわ、うん、イクやわ」

「どうしたんオトン、え?!なに?!怖い怖い怖い!え?!もしかしてなんかあった朝?!」

「あったあった!びびったわパパ。おまえもか?」


その日の早朝、父は僕よりも少し後に目を覚ましていた。

父は自室で身支度を済ませて、出かけようと一階に降りてきた父はダイニングテーブルに添えられた椅子に腰掛けて麦茶を飲んでいる僕の背中を見たらしい。奥には母が台所で朝食を作っていたようだ。

「ママぁ、すぐ出るから朝メシ要らんって言うたやろ、ああ、イクが食うんか」

そう言って食器棚からグラスを出して僕の横から麦茶の容器を取り、麦茶を注いだ。


「おはよう父さん」


「ん?はいおはようさん、行ってくるどぉ」


と言って玄関のゴルフバッグを手に取った時に、父は違和感に気づいた。

僕は立ち上がって玄関に背を向けて冷蔵庫に麦茶の容器を戻そうとしていた。らしい。

父親は背を向けた僕に言った。


「おまえ、誰や?」


そう言うと冷蔵庫の扉をゆっくりと閉めながら僕は言ったらしい。



「間違えた、"オトン"やったな」




「パパなぁ、ゴルフバッグ持ってすぐ家出たわ、ゴルフ遅れそうやったし、怖かったし、イクが"お父さん"って言うわけないやんけ!オトンやんけ最近!昔は"パパ"やったんやどぉ!あんときかわいかったんやどぉ!って頭の中で言いながら駐車場までバッグ担いで走って逃げたんや」

「いや、それでそのまま家出てゴルフ行くオトンが俺は怖いわ。おれらほったらかしやん、あかんやろ」

「ええやんけそんなん。ママは?」

「そんなんちゃうわ。良くないし。なんやねんこの父親。オカン?知らん、まだおらんやろ、病院行った後に風呂行くやろうから夕方まで帰ってこうへんで」

「いや、おまえ寝てたんやろ?ほんならなんであの味噌汁あんな湯気出てんねん、誰がいつ温めてん?」

オトンと俺は目を丸くして見合わせて固まった。



台所にある3人分のお麩の入った味噌汁は、まだ小さな湯気を上げていた。



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なんか久々書いてみたら鈍ってるね。

自分的にはけっこうすきでしたけどね。

小1時間かかった。もっと書かないとダメだね。

それにこのくらいのショート過ぎる文字数で怖いのはやっぱりむずいわ。もっと長くするか、逆にショートショートにするかしないと怖くないね。


あ、パッスロもパチンコも一切関係無くてごめんよw

暇つぶしにざーっと書いただけやから。皆さんも稼働の暇つぶしにでもしてね。



"今日、麩の味噌汁"


でした!


ほな✋


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