二冊読めば元が取れるKindle Unlimited⑧
ろくに本を読まない人間なので、月に二冊くらいは読もうとしている。
評価するというのは中々おこがましい行為をしていると思う。
国語が苦手なので、色々な本を読んで何か吸収出来たら、と始めた訳だけれど、まず本を選ぶ所からにしても、無理に選んで読みたくないものを書くなんて失礼だし。
なので実際は二冊以上は目を通して、書きたくなった本を選んでるけど、
この二冊並べるというところも、勝手に「くくり」として良いのだろうかとか。
言論の自由はあれど
評価という行為はどこか高みに立つような目線になってしまう。
だからなるべく偉そうな書き方をしていないだろうかとか。
それでも出来ていないのは実力不足だからどうしようもないので精進したい。でも何者でもない自分の言葉は何らかの肥やしになっているかと、ぐるぐると。
今回は恋愛小説と人情小説、どちらも男性作家である。
ボクたちはみんな大人になれなかった
テレビの美術関係という、作家としては珍しい経歴を持つ作者の創作恋愛小説である。
昔別れた彼女とSNSで繋がる所から始まり、彼女との思い出を含めた過去
90年代頃のカルチャーを交えながら回想していく。
「心目当て」というほど好きだったのに関わらず、
「間違いなくブスだった」という形容をどう受け止めるか始めは戸惑うが、
彼女が実際どんな存在だったかという事は、本書を読んでいで間違いなくこれだと言える一節が出てくる。
作者自身の経験を元に書かれているらしいが、バイト時代や下積み時代の仕事の泥臭さや、業界人の価値観とのギャップを感じる主人公の心情を、断片的な情景やその時の世の事象、流行った音楽、アニメ等が、抒情的な文体で流れるように書き綴られ、リアルさが生々しくもどこかずっと抽象的で、
抽象画のようでそれがとても良い。
90年代の出会い方が文通であること、再開した現在がSNSと媒体が変わった事も、彼女が他の誰かと結婚するという現実との差をさらに引き離している。
90年代そのものが彼女の残像として捉える事も出来るような、90年代だとかサブカルを拗らせた事がある人間なら、なにかしらが確実に抉られるのではないだろうか。
大事なことほど小声でささやく
”ゴンママ”と呼ばれる巨漢の彼はスナックを経営しており、その客達とスナックやスポーツジムを通して描かれる人情系小説である。章ごとに主人公はその客それぞれの視点で物語が綴られる。
登場人物それぞれのキャラクターが抱える状況が典型的で分かりやすいので読みやすく、ゴンママの期待を裏切らない軽快なトークとすっきり出来る展開はストレスなく飲み込める。
客達はそれぞれ家庭や仕事などでトラブルに見舞われ、ゴンママはその都度、助言をしたり背中を押したり物理的に守ってくれたりと、ママという立場でありながら登場人物達をその逞しい「父性」で包んでくれるのである。
昨今、ソロ活動というのはかなり一般的になった。
仕事や生活のスタイルは、コロナだとか物価の違いとか異常気象とかで変化をやたら求められるし、先人のそのまま受け継げるほど同じ環境という訳でなくなっている。そんな中、個人個人はそれぞれ何かしらを抱えている。
そんな核家族どころか個人主義の時代になっているようだが、だからこそ擬似的にでも大家族のような、悪いところを叱ってくれたりフォローし合ったりする場所を、人は潜在的に求めているかもしれない。
そのようなサザエさん的な環境は、いまや幻であり憧れにもなり得ている。
最後に
Kindle Unlimitedで読める本で、最新の本というのは少ない部類だろう。
そうした中で思うのは、小説はそれが創作であってもその時代の人間の価値観や流行等を知る事ができる資料になる。
完全なファンタジーだったとしても、その時代の人間がどういう幻想を抱いていたかという分析ができる。
どんな形にしろ、現状を書き綴るのは後々効いてくるだろう。
自分も今過去のことを書いていて、もっと日記とか書いておけば良かったと思っている。
創作に落とし込むのに、リアリティを足せば生々しさが増すし、伝わりやすさを求めるならそこまで奇を衒った設定にしなくても良いのかもしれない。
そうした所で最終的には自分の「好み」で仕上げるしかないので
自分の「好み」から個性は作っていくのがいいのだろう。
だから自分の「好きなもの」はしっかり自覚していたい。
他人から見られる個性なんて知る由も無いのだから。