【創作小説】見るに耐えない⑨ 太宰かもしれない
東京郊外に佇む、安いモーニングと大容量が売りの喫茶店。
揺らぎがちな気候に、気怠い空気が漂う半個室の一席には、長い黒髪を携えた女がただ一人。
彼女の目の前には、まっさらなコピー用紙とボールペンがあるのみ。
腕を頭の後ろにまわし白紙を凝視しているが、睨みつけたところで絵や文字が浮かび上がってくるでもない。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
不意に声をかけられ顔を上げてみれば、黒い胸当てエプロンを身につけ店員の格好をした、元同級生と目があった。
「わあ、タラちゃんだ!」
人気の少ない店内に、サクシャの声が反響する。
声をかけたのは、金髪のボブが眩しい高校時代の同級生、設楽さんだ。
最近はクラブにも通ってるとの噂だが、生粋のバンドギャルでもある。前後の客とヘッドバンギングでぶつけた頭のたんこぶが今だに治らねえ、というのが持ちネタであり、ぱつんと真横に切り揃えられた前髪でそれを隠す、麗しのパリピだ。
サクシャは喜ぶかのように、両の脇を握るような踊りをしてみせる。設楽さんも「タラちゃんだよ〜」とサクシャに呼応して踊っている。
あのさ店員さん、聞きたいんだけど、とサクシャは本日不在のツレについて切り出した。
「ヒョウカ先生と同じ中学だったよね。」
「そーだよ〜」
訝しい顔をしながら続けて尋ねる。
「……全国大会とか、そういうのに力入れてるタイプだった?」
「へ?」
「文芸部」
「いや〜分かんないなあ。それっぽいのはあるかもしれないけど、なんで?」
サクシャはことの経緯を説明する。
文芸部員だったヒョウカをこの店に呼び出して、自身の創作を添削してもらっていること。
このところ、その評価がだんだんと厳しくなってきていること。
さっき見かけた白くてでかい犬。
そんな二人のやりとりに、遠くから熱い視線を送る男がひとり。
この店の経営者兼、店長である。益子陶器のコーヒーカップを乾いた布巾で拭いながら、家政婦の詮索のように首を伸ばしている。
お願い、仕事して欲しい、補充とか。そんなテレパシーをずっと送り続けているが、受信はいまひとつだ。
「そんなに厳しかったのかな?楽しそうにやってるように見えたけどなあ。冊子面白かったし。」
「冊子?」
「文芸誌?同人誌?合同誌みたいなやつ。タイトルなんだっけ。」
「読んだことあるの?バスケ部なのに?」
「読んだことあるよ〜、バスケ部だけど。」
うーん、とサクシャは首を捻る。
「違うのかなあ、なんだか手応え無いっていうか。言われることも分からなくないんだけど、全然ウケる気がしないんだよね。」
ふーん、と設楽さんはあさっての方向を見ながら何かを思い出している。
「疲れてるんじゃない?会社、厳しそうな所だったし。」
サクシャはテーブルにばたっと倒れ込むと、俯き加減になりながら吐露する。
「悪いなあって思うよ。こんなに見てもらっているのに、上手く出来ない情けなさと、ぎゃふんと言わせたい気持ちと、色んな感情がごちゃごちゃして、どうしたいかも分からなくなっちゃってさ。あーもう、生まれてすみませんって気持ちになってる。」
設楽さんはきょとん、とした顔で澄ましている。
「なんだかよく分からないけど、太宰治みたい。」
サクシャは、はっ、とした顔を見せた後、軽く頬杖を付きながら答える。
「太宰治かもしんない。芥川龍之介の方が好きだし。」
半個室の席から二人分の、ぎゃはは、といった笑い声が響き渡る。
山賊のような笑い声を掻き切るように、ぬっと侍が現れる。店長だ。
設楽さんに仕事に戻るよう促すと、サクシャに笑顔で「ごゆっくり」と告げ、そそくさと去っていった。
「私も怒られるかと思った。」
「サクちゃん上客だからね〜、大丈夫だよ。」
なんで?と疑問に思っていると、設楽さんはスマホの画面をすっと差し出す。
画面にはこの店の写真投稿型SNSが表示されており、そこには今までサクシャが頼んできたらしき賑やかなドリンクの数々が見受けられる。
「実は、いつもの注文ここに投稿させて貰ってたんだ。結構評判が良くて。」
カスタマイズが豊富過ぎるというのも客を悩ませてしまうもので、トッピングを遠慮したり、メニューの見本そのままに注文する者も少なくない。
SNSを見て注文の参考にしたり、足を運んでもらったりと、サクシャの注文は店舗の売り上げに一役買っていたのだった。
へえ、と感心するサクシャに、再び店員は告げる。
「本日のご注文、何にしましょうか?」
「苺クッキークリームソーダにカラースプレーして、メロンパンで蓋してベーコン乗せて!」
遠くの空には、まだらに淀んだ雲が浮かんでいる。
(終)
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