オープンワールドゲームについて、過去の価値観はいつの間に払拭されていた。
ここのところFF14「ENDWALKER」、なかなか出来る機会のなかったMOTHER2のスイッチ版、エルデンリングと来て、ゲームが充実してるなあ…本当ゲーム充だなあ…と過ごしております。
ゲームゲームと騒いでいますが、ゲームで没頭できる事がここ何年少なくなり、ニュース見たり仕事のメール見たりしていると気が滅入ってくるので、丁度良いなあと。
発売日にパッケージ版が届いて、パンフやらポスターやらしげしげ眺めつつ
なるべくネット情報や予備知識を得ずに、何ならオフラインで粛々とプレイし続け。そしていつの間にか発売日から1ヶ月も経ってしまっているのですが、いまだにクリア出来ていません!ほぼ毎日プレイしてますが、没入感はとてつもないです。
自分は探索ばかりしていたにも関わらず、チラチラとネット情報を見てみると既にフラグをへし折っているものさえいくつか出ており、ボリュームが、とにかく、凄い…。
進捗としては神肌のふたりまで来たので終盤に近いはずですが、そんなすんなり行かないだろうと見積もっています。
ちょっと集中力が切れてきたので、息抜きにオープンワールドゲームについて、過去の価値観を思い出したので綴ってみます。
「自由度が高い」ということに馴染むのに時間がかかった。
オープンワールドと意識して初めて遊んだのが『スカイリム』だったのですが、カメラ移動スピードが速すぎて画面酔いしたり、自由度が高いと言われるところの結局何したら良いかも分からず、何より囚人からスタートしたと思ったら処刑がサクッと始まり「次!そこの猫!(俺)」で心がやられ結局さわりしか出来ず。
その時は自由度の高さよりも、世界観の殺伐過ぎる度合いに馴染めずに放置してしまいまして。
それからマイクラやらFF15やら、部分的であることを含めオープンワールドとなっているゲームをいくつかプレイして、ゲーム進行においてストーリーを辿る一方通行だけでない楽しさ、すなわち強過ぎるボスは後回しにして強くなってから挑む、サブクエを発見する、一部に留まり続ける、観察してるだけでも楽しいというような、自分で進行を決める『自由度な高さ』と言われるものに触れ、何となくそれを徐々に体感していきました。
ストーリーがありつつも、その進み方はプレイヤーにある程度の自由がある事。
フロムゲーと言われるゲームはBloodborneしかやったことがなく、他のシリーズは動画サービスで見ていたに過ぎないのですが、それでもこの多くを語らないが一本筋の通った世界観が非常に好きになりまして、
そして今、こうしてエルデンリングを遊んでいて
こんなにも俺たちが遊びたかったゲームだったことの喜びと同時に、
創作で拗らせている俺たちに作れないゲームでもある完成度の高さに震えているのであります。
自由度が高い、ということも自由過ぎると選択肢に迷いが出るものですが、
ダンジョンの似たり寄ったりにならない飽きさせなさ、
諸々ネタの引き出しの多さ、
武器やアイテムの豊富さによる戦略の立て方の自由さ、
クリアして終わるだろう時にももっと世界観を知りたいと思える作り込みなど、これほどに次はこうしたい!と湧いてくるのが不思議でなりません。
人生ときめきが大事とは言いますが、こういうゲームが存在するというだけで、日本もまだまだ捨てたもんじゃ無いなあ!!!と勝手に思えるものなのです。
パッケージ版のポスターがあまりに素敵だったので、思わず額装してしまいました。ゲームのおまけを額装したの初めてかもしれません。ニトリで額縁買ったのですが、ピクチャーレールも欲しくなりました。