二冊読めば元が取れるKindle Unlimited⑦
先日フィフス・エレメントを見た。SF、コメディ、ミラジョヴォビッチ。自分は今まで何故この映画を見ていなかったのか、と思うほど面白かった。
有名なのに、話題になったのに見ていない作品はごまんとある。話題になった時に見ないと、その先中々手を出す機会はぐんと減ってしまう。
Kindleを見ていたら、そういえば話題になっていたなと思える二冊に目を通したので、そちらを拾ってみた。
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
2019年に話題になった、イギリス在住の日本人の著者と、混血である息子が直面する人種差別や貧富の差などを綴ったノンフィクションである。
「底辺託児所」だとか要所要所で見られる口の悪い言い回しが独特であるが、この『口の悪さ』というのは「誰が」「何に影響されて」発しているかを考慮すると相当に根深いモノがある。
日本人とアイルランド人との間に生まれた息子は、敬虔なカトリック系の小学校で素直に賢く育つ。中学に上がる際、友達がいるからという理由で「元底辺中学校」と著者が呼ぶ学校へと、息子は自ら進んで通う事になる。実際学校見学へ行くと、校舎も明るく廊下にはビートルズやピストルズ等が貼ってあり、音楽が盛んだったりしてなんだか楽しそうという雰囲気があるのだ。
しかし育ちの良い人達が集まる小学校だった環境とは違い、この中学校で目の当たりにするのは多様性に対する偏見等々。それについて息子は、東洋人で日本人で女性である著者と話しながら、深く考えるようになる。
本を読んでいて、これってあれだよなぁ…なんて事を考え始めると中々読み終わる事ができない。二言三言で書く事が難しいテーマだと思う。
端的に言えば偏見の話なのだけれど、人種差別やLGBTQ等、その片鱗がみえる場面にかなりバリエーションが多い。息子が直接、理由のない罵倒を投げかけられることもあれば、友達や同級生に起こった出来事で思う所もあり、そして日本にいる時でさえ混血であるというだけで嫌な目に遭う。「ハーフですか?」という質問は「お前は日本人ではないな?」という意味合いを孕む卑しさがある。
このようなテーマは当事者でない限り中々触れようとする機会がない。能動的に興味を持ち、知ろうとするだけでエネルギーを使う。
無知な状態から知り、知ることから考え、考えてから解決法を決め、解決するために行動をする。世界を変えようとする為にはこんなに多くの過程があるが、放棄してしまえば進歩する事すら見込めなくなってしまう。
正解が出ない答えだろうと可能性が残される限り、我々は問題を解き続けるしかない。
大家さんと僕
こちらは2017年に刊行され話題となり、手塚治虫文化賞短編賞を受賞した漫画である。
優柔不断で断れない性格の著者と、何処かマイペースでお茶目な大家さんといった、不思議な縁と関係性が描かれた一冊である。
この不思議な関係は、ネタになるかもしれないという芸人根性や寂しい老人という側面から発生したと言えばそうなのかもしれない。しかしそんな人間らしさも含め、この二人に生じる価値観や世代間から来るギャップには、絵柄のように嫌らしさのない優しい世界が広がっている。
テレビに出ているもののパッとしない芸人である現実も、戦争体験者であり紆余曲折を経験した上で一人暮らしである現実も、不思議と悲壮感がそこまで感じられないのは二人がこの関係性をつつましく楽しんでいるからだろう。家族や恋人、友人でもない他人同士であるが、それ以上の関係を築けているのは、たとえ会話が噛み合わなくても、ありのままを受け入れている大らかさが二人にはあるからであり、また見ているこちら側にもそれは伝わってくる。
どんな人間にも個性は持ち得ている。地味であったり目立たないからと言って、つまらない人生かと言えばそんなことはない。相手をつまらないと思うのは既存の価値観で捉えて見放すからだろう。それは膨大な数の人間の中で、人を判断するのにずっと楽であるから。
打算的に下手な期待ばかりを背負い込むよりは、淀みなく生まれた縁を大事にした方が、人生は輝くのかもしれない。
最後に
どちらもノンフィクションであり、確実にどこかで起こった出来事である。そしてどちらも続編となる二冊目が出ている。
現実は生きている限りどこまでも続いていく。その人生をどう生きるかは自由であるが、どうせなら楽しい方がいい。楽しいからやる、というのは最高の生産性になるし、どんな努力も才能も、楽しんでやる人には敵わなかったりする。
考え方一つで人間はどうとでも変わる。我々が言葉を尽くすのは、どんな言葉で相手が納得するかには個人差があるからだと思っている。人間は厄介にも多様的と言える個性を一人一人が抱えている。
例え世界で一人にしかわからないであろう適当な言葉も、どこかの一人が理解する奇跡があるのならその事象にはきっと価値がある。私は単純に、それが見てみたい。