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核戦略

第二次世界大戦後、アメリカ合衆国は絶対兵器である原子爆弾の独占に安心し、ヨーロッパからの撤兵を進めた。ところが、東西の緊張が高まるやいなや、ソビエト連邦の戦車をはじめとした陸上戦力が脅威として映るようになった。しかも、1948年ごろ、実際には180万人しかいなかったソ連の兵力を250万人と西側は誤認していた[1]。東アジアで朝鮮戦争が行われていた1951年、合衆国を代表する国際政治学者、ハンス・J・モーゲンソー、は次のように記した。

ロシア人が今日まで第二次世界大戦の終結時に占めていた線にとどまつているのは、原子爆弾の蓄積がなければ合衆国のおそるべき潜在力を破ることができないからであり、そしてまたアメリカが原子爆弾を独占し、あるいはより多く蓄えているがために、ソ連勢力の中枢部が破壊されることを恐れていたからなのである[2]。

この状況は非対称な相互抑止と表現できる。ソ連の戦車部隊がバルト海からアドリア海まで結ぶ線を越えれば、B-29がモスクワやレニングラードの上空を飛行して原爆を投下することになる。しかし、ソ連はいつのまにか原爆実験に成功し、アメリカ合衆国は次の手を打たなければならなかった。ということで、今回のテーマは、アメリカ合衆国の核戦略の変遷を論じなさい、である。

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