見出し画像

第21話 湾岸戦争に国際貢献するぞ!、と(授業第15回)

(表紙の画像はAIによって作成された)

地雷は土に埋まっている爆弾。機雷は海に沈んでいる爆弾。

地雷を除くことは地雷除去。機雷を除くことは掃海。掃海のために使う船が掃海艇。

日本史で掃海が注目されたことは何度かあります。授業の最終回は1991年の湾岸戦争が舞台です。


教科書での関連する記述

湾岸戦争後の1991(平成3)年、ペルシア湾に海上自衛隊の掃海部隊が派遣され、自衛隊の海外派遣の違憲性などをめぐって意見が対立したが、翌1992(平成4)年に宮沢喜一内閣のもとでPKO協力法が成立し、自衛隊の海外派遣が可能になった。その後、自衛隊は1993年にモザンビーク、94年にザイール(コンゴ民主共和国)、96年にゴラン高原、2002年に東ティモールなど派遣されている。

佐藤信、五味文彦、高埜利彦、鈴木淳、『詳説日本史』、山川出版社、2024年、p. 360、n. 2。

感謝されない日本

1990年代、いや今世紀になってもよく聞かされたのは、湾岸戦争での国際貢献で日本は感謝されなかった、という言説だ。調べると、それは次のようなことのようだ。

三月十一日の朝、ワシントン郊外ペセスダの自宅で『ワシントン・ポスト』紙を広げた日本の外交官はわが目を疑った。幾度も三十ヵ国の国名をなぞり「JAPAN」の文字がどこかにないか探し続ける。しかし、日本の名はついに見当たらなかった。

在ワシントンのクウェート大使館は『ワシントン・ポスト』や『ニューヨーク・タイムズ』など全米の有力紙に派手な全面広告を掲載した。クウェートの国旗が風に颯爽とひるがえり、平和を回復した中東地域の地図が描かれている。遥か北方にはロシア、そしてイギリスの彼方には、自由の女神を戴くアメリカ。いずれの国も鮮やかな色彩に染められ、七ヵ月ぶりに国土をその手に取り戻したクウェートの浮き立つような気持ちが表れている。

<ありがとうアメリカ。そしてグローバル・ファミリーの国々>

見出しに大きな活字を組み込んで、クウェートの国土と主権を奪還してくれたアメリカに心からの謝辞を呈している。

手嶋龍一、『一九九一年 日本の敗北』、新潮社、1996年、395-396ページ。

『ニューヨーク・タイムズ』をウェブで講読すると、過去の紙面が広告を含めて閲覧できる。そこで確かめた。でも、どうしても見つからない。それらしきものは3月4日のクウェート情報省による広告で、次のように書かれている。

FROM THE PEOPLE OF KUWAIT…
TO THE PEOPLE OF
THE UNITED STATES OF America…

Thank you!

The advertisement by the Kuwaiti Ministry of Information, _New York Times_, March 4, 1991, A13.

しかし、どこかの新聞に手嶋氏が引用するクウェートの広告が載ったのはまちがいない。なぜなら、当の『ワシントン・ポスト』に次の記事があるからだ。

Then the government of Kuwait published a full-page advertisement in at least one American newspaper to say "thanks" to the United States and the "United Nations Coalition." This became a news item here because Japan was not one of the countries thanked by Kuwait. Germany, which had shown some of the same hesitation as Japan about aiding the coalition, was mentioned in the advertisement.

T. R. Reid, "Japan's New Frustration:
Tokyo Says Its Gulf Role Was Misunderstood," _Washington Post_, March 17, 1991, available at https://www.washingtonpost.com/archive/politics/1991/03/17/japans-new-frustration/e5ea50e0-, December 5, 2024.    56f1-4380-a8f0-5e6b009b44a8/

版や地域によって、掲載される広告は違うのだろう。気になるのは、"in at least one American newspaper"と1紙以外の掲載は確認していない、ということだ。仮にワシントンDC周辺だけで、感謝の相手に日本が含まれない広告を載せる新聞が配達されたとして、それがどうというのだろう?

日本は米軍中心の多国籍軍に130億ドルを支払い、応分の国際貢献を行なった。クウェートの在ワシントンDC大使館は折衝の蚊帳の外だったと思われる。それはともかく、自らの自由意思で行動して、悔いなし、と誇れる国民でありたいものだ。

リターンマッチ

実のところ、外務省は手をこまねいていたわけでなかった。

イラン・イラク戦争に際して、ペルシャ湾に掃海艇を派遣するよう1987年にアメリカ合衆国から要請されたことがあった。思いやり予算の増額など、選択肢から選ぶことを求める厳しいものだった(戦後外交記録HB門5類2項45目分類番号2022-0603「湾岸危機への貢献/掃海艇派遣」PDFページ243)。中曽根康弘総理大臣は派遣に前向きだったが、「カミソリ」こと後藤田正晴官房長官の説得により思いとどまった。GPSを使った安全航行システムの建設に資金を援助し、掃海艇派遣の代わりとした。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2022/2022-0603.pdf

後藤田の著書『内閣官房長官』(講談社、1989年)が外交史料館の戦後外交記録に抜粋されている(HB門5類2項45目の分類番号2022-0603「湾岸危機への貢献/掃海艇派遣」PDFページ250-253)。彼の意見とそれを支える見識には賛否あろうが、私には、彼への評価も、彼自身も、日本特有のセクショナリズムに拘束され、冷静な批評の対象となりえない気がする。そのうえ、有力政治家と官僚専門家のいずれが正しいか?、は永遠の問いだ。

イラクがクウェートに侵攻した1990年8月、さっそく外務省は掃海艇の派遣を検討し始めた。ところが、法的な問題が起こり、身動きがとれなくなった(戦後外交記録HB門5類2項45目分類番号2022-0603「湾岸危機への貢献/掃海艇派遣」PDFページ210-241)。それが招いた事態が『ワシントン・ポスト』の広告(?)と記事が示した「感謝されない日本」だった。

https://digitallibrary.un.org/record/102245/files/S_RES_678%281990%29-EN.pdf?ln=en

法的な問題とはこういうことだ。有名な国連安保理決議S/RES/678はクウェート解放のためのあらゆる措置を容認し、武力行使授権決議として知られる。同決議はまた、そうした措置への支援をあらゆる国に求めるが、自衛隊を支援に差し向けることは武力行使と一体化するとみられた。憲法9条が早期の派遣に二の足を踏ませた。

https://digitallibrary.un.org/record/110709/files/S_RES_687%281991%29-EN.pdf?ln=en

武力行使とみなされないためには、休戦条件を示した決議S/RES/687をイラクが受諾するのを待たなければならなかった。そして正式な休戦が確認されたのは1991年4月11日で、3月の感謝広告より掃海艇派遣の決定は遅れることになった。

他方で、掃海艇の派遣を急がなければならない事情があった。1200個敷設された機雷の除去は4月の時点で米英軍により半分程度、済まされていたからだ。

掃海艇派遣の決定についての政府声明は外交史料館の戦後外交記録に載っている。私が注目したのは次の部分だ。

この海域における船舶の航行の安全の確保に努めることは、今般の湾岸危機により災害を被った国の復興等に寄与するものであり、同時に、国民生活、ひいては国の存立のために必要不可欠な原油の相当部分をペルシャ湾岸地域からの輸入に依存する我が国にとっても、喫緊の課題である。

戦後外交記録HB門5類2項45目の分類番号2022-0603「湾岸危機への貢献/掃海艇派遣」のPDFページ141。

その後の対テロ戦争でも、イラク戦争でも、海賊対策でも、自衛隊が海外派遣されるたび繰り返し唱えられることになる原油の中東依存というフレーズはこの時に始まったのだろう。米軍が日本に駐留している原因の半分はこれであり、極東の平和および安全は残りの半分なのだ。

ただし、今回も後藤田のような意見が出てくる可能性があったので、外務省は機先を制して世論工作を入念に施した。経済団体連合会、船主協会、海員組合、そして中東君主国の湾岸協力会議(GCC)に派遣待望論を出させたのだ(分類番号2022-0603「湾岸危機への貢献/掃海艇派遣」PDFページ273)。

こうして、掃海艇4隻、掃海母艦1隻、そして補給艦1隻は現地へ旅立った。

まとめ

1992年、国連平和維持活動(PKO)への自衛隊の派遣を可能とするPKO法が成立し、同年、UNTAC(国際連合カンボジア暫定統治機構)に参加した。

しかし、UNTACの文民警察として勤務した日本人2名が殺害され、国民に衝撃を与えた。国際貢献の高い志にもかかわらず、国連PKOへの日本からの参加は活発とはいえない現状だ。

2010年ごろから、世界の分断は修復困難となり、国際社会の総意を体しての国際貢献の機会はますます減ることになった。

課題

  1. 後藤田正晴『内閣官房長官』(講談社、1989年、HB門5類2項45目の分類番号2022-0603「湾岸危機への貢献/掃海艇派遣」PDFページ250-253所収)を読み、1987年にペルシャ湾への掃海艇派遣に反対した後藤田官房長官の論拠をまとめ、あなた自身がその論拠に賛成するか、反対するかを述べて、それはなぜかを300字以内で議論しなさい。https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2022/2022-0603.pdf

  2. 国際情勢によって原油価格が値上がりすると、日本経済全体にとっていかなる影響があるとあなたは考えるか? 300字以内で議論しなさい。

  3. 1991年における湾岸戦争後の自衛隊掃海艇ペルシャ湾派遣と同じ種類の活動は、現行の「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(国際平和協力法、PKO協力法)ではいかなる枠組みで行われうるとあなたは考えるか? 「国際連合平和維持活動」または「国際連携平和安全活動」または「人道的な国際救援活動」または「国際的な選挙監視活動」からいずれか一つを選び、300字以内で議論しなさい。https://hourei.net/law/404AC0000000079.html

いいなと思ったら応援しよう!