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集団安全保障

集団安全保障がない国際平和は、警察がない治安と同じである。その心は、非常に危うい、ということである。集団安全保障の本質は、武力行使の違法化とその違反に対する社会の制裁にある。

集団安全保障の発案者は、ジャンジャック・ルソーとイマヌエル・カントという大哲学者を差し置いて、18世紀初めのフランスの学者、サンピエール神父、であると認められる。彼が構想したことはこうであった。ある国が違法に武力を行使したとする。その国はヨーロッパ社会全体の敵とみなされる。交戦状態はこの敵が武装解除されるまで続けられる。

国際連盟ができるまでの二百年間、そのような国家間の連合が本当にできるのか?、は人類最大の難問であったかもしれない。これに、可能である、と納得できる説明を与えたのがカントである。

1795年に公刊されたカントの『永遠平和のために』は社会契約論における「自然状態」の論法を利用する。自然状態というのは架空の世界であり、この場合、諸国家はいまだに社会を成さず、ゆえに法も秩序もなく、ただ、にらみ合っている。自然状態では、国家はいつも戦争の口実を探している。理性が命じるのは、戦争を断固として処罰し、それを諸国家の義務とすることである。よって、すべての戦争を永遠に終結させる平和連合が存在しなければならない[1]。

ここで注目すべきであるのは「理性が命じるのは」というくだりである。カントは以上の論理が理想にすぎないことを自覚している。しかし、彼は太陽系の起源について星雲説を唱えた科学者であったように、単なる理想主義者でない。

国家を強制して平和連合に加盟させることはできない、とカントは認めて、それが形成される別の過程を考えるのである。平和連合に喜んで入る国は本性上、平和を愛する国である。そのような国は共和国である。こうした共和国が中心となって、諸国家が数珠つなぎになって平和連合を形成していく。共和国だけでなく、君主国も加わっていくであろう。こうして、平和連合は遠くにまで広がっていく[2]。現実に平和連合が形成されるとすれば、このような過程によってであろう、と彼は予想した。

1冊の『永遠平和のために』が二つの意味を持っている。一つは集団安全保障の理想であり、多国間の国際機構を作って、違反国を制裁する構想である。これは国際連盟や国際連合の設計図となった。もう一つは「民主主義の平和」であり、民主国間の同盟により侵略を抑止する構想である。こちらはNATOや日米安全保障条約の理念である。

今回のテーマは、同盟の問題点と集団安全保障の理想との関係について第一次世界大戦前後の例を引きながら論じなさい、である。国際連合の時代については「集団安全保障と自衛権」の回で扱われる。

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