第5話 資料(授業第1回)
資料というのは文字に書かれたものでも、録音でも、録画でも何でもいえることだが、説得のための道具だ。これをソフトパワーと呼ぶ人もいる(服部龍二氏『外交を記録し、公開する』)。特に、権利とか、義務とか、社会で他人に自らの正当性を認めさせるのには欠かせない。
外交、すなわち英語でディプロマシー、も元の意味は書類のことという。この場合の書類は、他国に対して自国の正当性を納得させるためだけでなく、過去の自国の行動から学び、教訓にすることにも使われる。
19世紀には、アメリカ合衆国大統領のエイブラハム・リンカンが外交文書を出版し、公開外交を実践した。いつからかは知らないが、イギリス議会にはブルーブックという名で自国の外交文書が資料として提出される慣習ができていた。
外交に限られず、国家の事務は書類を使って行われる。確かに、稗田阿礼のように記憶力が抜群な人が宮廷にいても、覚えられる量は書籍数冊分くらいだろうし、内容も語るたびに変わっては信頼がおけない。そんな人たちを並べておくより、書庫を設けるほうがコンパクトだ。
近代では、公文書に依拠して歴史を書くことをドイツのレオポルト・フォン・ランケが推奨した。特に外交史では、断然、ドキュメンティッドな(参考文献が示してある)著作が主流となった。
第一次世界大戦はあまりに被害が大きかったがゆえに、指導者たちの責任を問う動きが見られた。ドイツの元皇帝を刑事裁判にかけることは結局、実現しなかったものの、外交文書の公開は積極的に試みられるようになった。日本の元外交官、鹿島守之助、も『世界大戦原因の研究』という本を出版した。(なんで、こんなにたくさん今でも出品されているのだろう?)
第二次世界大戦後、ドイツと日本が占領されると外交文書は公開され、その他の国々でも知る権利が広まって、公文書は一定期間経過後、原則として公開されることになっている。知る権利は英語でフリーダム・オブ・インフォメーションだ。日本の外交文書については服部龍二氏の著作が詳しい。
本ヘッダーの写真は私が2007年に撮った外交史料館の写真だ。もちろん日本の東京都港区麻布台に所在し、隣の飯倉公館とは境界が分からないくらい一体感がある。
調査中、昼食をとりたくなったらどうするか? 館内では食べられなかったと思う。地方から上京する者にとって、昼食をがまんして時間を有効に使うことも大切だ。しかし、六本木が近いので外出してもよかったかな、と思う。
日本にはほかに国立公文書館と防衛研究所があるが、私は残念ながらどちらも赴いたことはない。都道府県や国立大学にもそれぞれ公文書館がある。
上の写真はロンドンのキューガーデンにあるイギリス国立公文書館(TNA)だ。これを撮った時点ではPROと呼ぶのが一般的だった。実際に通ったのは2002年の夏だけで、以後はインターネットでデータを購入している。昼食は、売店でサンドイッチのようなものを買って食べた記憶がある。
こちらはワシントンDC郊外のカレッジパークにあるアメリカ合衆国公文書館(NARA)で、2013年に撮影した。DCの中心部に独立宣言などが展示されている本館があり、アーカイブズという地下鉄の駅もある。カレッジパークのほうはアーカイブⅡと区別する。託児所があったのが衝撃的だったが、素晴らしいレストランがあって、昼食は至福のひと時だった。ただし、外部者は割増料金だったと思う(連邦議会図書館もそうだった)。
資料の探し方や扱い方が分からなかったとき、NARAの職員の方に教えてもらったのが仲本和彦氏のご著書。分類、閲覧、複写……などで右往左往したので、日本から持っていくべきだった。思えば恥多き人生だ。
日本、イギリス、アメリカ合衆国の公文書館に収められている資料を比較すると、日本には残念な点がある。私が調べた文書についてだけにいえるのかもしれないが、日本は全省、イギリスは部署、合衆国は個人の単位で職務で触った文書を保管しているように感じられる。
日本の外交史料館において、文書は全省レベルでテーマごとに編纂される。それは内部の職員が先例を調べるにはよいかもしれないものの、重要と考えられないテーマの文書や原稿段階の文書、あるいは細々とした事柄の文書は廃棄された。
これにたいし、英米ではとりあえず全部保管するつもりであるようで、文書の意味や重要性を後世の人間が判断するのを可能にしている。特にアメリカ合衆国では、文書はパブリックドメインにある公共物であり、機関や職員の所有物でないという意識がある。
ちなみに、国際連合の公文書記録管理部(ARMS)はニューヨークのマンハッタン島にあるが、11年前には規模は大きくなかった。政策形成にかかわる文書が意識して保管されている印象も受けなかった。
公文書館を利用するにはカネと時間がかかるが、十分にそれに報いる価値があるものだ。
課題
Minister Newel to the Secretary of State, October 3, 1904を読んで、いつ、どこで、だれが、だれに、何のために書いたかを300字以内で答えなさい。https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1905/d705 (3 点)
「海軍兵曹長鈴田茂一任官ノ件」を読み、鈴田茂一がなぜ中尉に任官したかの理由を原文を引用して300字以内で説明しなさい。https://www.digital.archives.go.jp/img/2684626 (3 点)
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