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私がコーチになった理由②

就職先は地元の電子機器製造メーカーでした。

製品開発の中でもハードウェア開発の部署に配属され
製品設計を担当することになりました。

人見知りの私としてはとにかく、嫌われないこと、あなどられないことを念頭に置き、「言われた仕事はしっかりこなす陰キャなエンジニア」となって、大きく出世することなく目立たずひっそりと、60歳の定年まで安定して勤め上げることが自分にとって「いい人生」だと考えていました。

入社後は、幸運にも自分にできる仕事が多く任され、さほど大きな失敗もなく本当に無難に、思い描いた会社員生活を過ごすことができました。
そんな中で、結婚や子育ても経験し、一時は安定した幸せを感じることができていました。

しかし、住環境の面で次第に妻と不仲になり、また、仕事では自分の消極的な性格の影響が出てきて、チームでやる仕事の重圧や不安や苦しさを多く感じるようになっていました。

そんな折、9割は合格するから大丈夫と言われて受けた、昇給がかかったプレゼンテーション試験で、不合格となりました。

今思い返すと、不合格は当たり前だと感じています。上辺だけ着飾って体裁はそれなりに整っているけれど、本心からのやる気はないプレゼンであることが試験担当者に見破られたんだろうと思います。

プレゼン中の担当者との受け答えから薄々不合格であることは感じてましたが、上司から改めて結果を聞かされた時、めちゃくちゃ落ち込みました。

「自分は社内の1割に入るダメ人間なんだ。」「仕事ができない人間だと言われてしまった」と自分を責めるようになっていました。

家族との会話もなくなり、仕事から帰宅しても一人で部屋にこもるようになりました。

このときは、生活を維持するためだけに会社に行っているという人間になっていました。

ますます「プレゼンができないとできない昇進なんてしたくない」と考えるようになり、周りの人との仕事上の会話さえ、おっくうになっていきました。

そんな状況で行われた、直属の上司との面談が、私のターニングポイントでした。

この続きはまた。
次回が最終回です。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

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