【考え方の違い】火中の栗はどうする?
先日、ゆで栗を食べました。
半分に割ってスプーンでほじくりながら食べるのですが、ほくほくして甘くておいしかったです。
でもたまに苦いものや味の薄いものがあったりして、当たりはずれがあるなあと思いながらいただきました。
栗を食べている時、そういえば「火中の栗を拾う」ということわざがあったなあと思い出し、今回書いてみることにしました。
そもそも「火中の栗を拾う」とは
「火中の栗」は危ないもの、リスクとされているものの象徴として出てきています。
ここで自分に質問してみました。
自分がネコの立場だったら、火中の栗を拾う?それとも、拾わない?
以前の私だったら、絶対「拾わない」!というか「拾えない」!
なぜなら、やけどするし、そのやけどした様子を見たサルに笑われるから、そんなリスクは取る意味がない。リスクを取らないことが賢い選択だ。
と思っていたから。
だから、このことわざに出てきたネコは自分にとって「愚かさの象徴」でした。
でも、会社員エンジニアを辞めて独立した今の自分なら「拾う」という選択もできます。
つまり、ネコ(=私)には、火中に手を突っ込むことにはなるけれどおいしい栗をサルに食べさせたいという思いがあると受け取ることもできる「勇気ある存在」だなと。
それに、やけどが心配ならやけどをしないように火箸や手袋を準備して拾えば問題ないとも思えるようになったことで、必ずしも「火中の栗」=リスクではなく、むしろ「火中の栗」=おいしいもの=チャンスなのかもしれないと、このことわざの受け取り方が変わりました。
あなたは、火中の栗、拾う?拾わない?
どうしようか迷っていたら、栗が焦げて炭栗になってしまうかもしれませんよ。