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幸せについて考える①/戯曲「青い鳥」

れんこんnote 107


幸せについて考える①


 東日本大震災の1年後に実施されたV高校全日制卒業式での校長式辞です。
 こんな風に始めました。


卒業式式辞の始まり

 1年前の3月11日、日本は未曾有の大震災に見舞われました。
 この東日本大震災以来、幸せについて考えることが多くなりました。
 大震災を経験した私たちは、どういうふうに幸せになろうとするのかについて考える責任があると思います。
 そこで、メーテルリンクの「青い鳥」の物語を題材にして、お話をします。
 少し長くなりますが、聴いてください。


聞く際に心がけてほしいこと

 メッセージを読み取るという形で話を進めていきますが、聴く際に、心がけてほしいことが2つあります。

 1つは、私の読み取りは正しいとは限らない、ということです。
 正解はないかもしれないし、複数あるかもしれません。

 もう1つは、与えられた読み取りではなく、皆さん自身の新たな読み取りも試みてください、ということです。

 では、始めます。


「青い鳥」のあらすじ

 皆さんが知っている「青い鳥」の物語は、こんな話ではないでしょうか。

 貧しい境遇のチルチルとミチルという兄妹が、幸せの「青い鳥」を探す旅に出ます。
 思い出の国や夜の御殿など、様々な国を旅し、青い鳥を捕まえようとしますが、捕まえることができません。
 あきらめて家に帰ってくると、昔から飼っていたキジバトが、青い鳥に変身します。
 青い鳥を得た二人は「青い鳥は自分たちのすぐそばにいたんだ」と喜びました。


最初のメッセージ

 この物語は、チルチルとミチルが「青い鳥」を探す旅に出るところから始まります。
 ですから、メーテルリンクからの最初のメッセージは、「幸せは待っていてもやってこない。自分から探しに行きなさい」と思われます。

 皆さんは自分から求めて、少なくとも、勉強、部活動、学校行事の三兎を必死に追ってくれました。
 自分から探し求める姿勢が大事なことをV高で痛感したはずですから、大学へ行ったら、日本に閉じこもっていないで、世界へ飛び出しなさい。
 若いうちに世界の動きを体で感じることです。
 様々な価値観と接することです。

 現在、日本の企業は海外の若者を多く採用するようになってきました。
 なぜでしょうか。
 見ようとしない人には見えません。
 世界へ飛び出して、自分の目で見て、感じてきてください。

 世界がパラダイムシフトしつつある転換期には、日本のパラダイムに適応してきた皆さんは絶滅する危険があると思わなければなりません。
 すでに解かれて存在する正解をできるだけ早く解くというような生き方は通用しません。
 皆さんが飛び込むことになる世界は、V高よりももっと理不尽で無理難題ばかりの世界です。
 深い教養や豊かな発想、歴史観を備えた、力強い自分自身を築き上げなければ、立ち向かうことはできません。
 しかし、本物の感動を味わうことのできるエネルギーに満ちた世界です。

 まずは、自分は絶滅危惧種になりうるという危機感をもって、異なる価値観で生きる人々と交流すことです。
 自分から探しに行きなさい。
 そうすれば、自分を活かす道も見つけることができる
でしょう。


2つめのメッセージ

 ところで、幸せは、「どこか遠くにある」ものか、それとも「身近な日常生活の中にある」ものでしょうか。
 こう質問すれば、皆さんは「身近な日常生活の中にある」ものと答えるでしょう。
 本当にそうでしょうか。
 二者択一の問いには、人の思考を狭い範囲に閉じ込め、本質を見えづらくするワナが仕掛けられています
 気をつけなければいけません。

 「青い鳥」の原作は戯曲ですが、ハッピーエンドではありません。
 原作では、青い鳥を見つけた後、チルチルが青い鳥に餌をやろうとして、隣の病気の娘と取り合いになり、青い鳥がどこかへ飛んでいってしまう、という結末になっています。
 つまり、幸せは遠くにあるものでも身近にあるものでもない、とメーテルリンクは言っているのです。

 「今ここにある、ささやかな幸せ」を「守ろう」とする時代はとうの昔に終わり、「今ここにない、より大きな幸せ」を「探し求める」時代になりました。
 しかし、「今ここにない、より大きな幸せ」は捕まえられないし、探し疲れて戻ってきても、あったはずの「ささやかな幸せ」もすでに消え失せてありません。
 そうして頭を抱えているのが、現代の日本人の姿です。

 グローバル化の中で「より大きな幸せ」「より多くの利益」を得ることが本当に幸せなのでしょうか。
 グローバルな競争から降りることはできるのでしょうか。
 「ささやかな幸せ」をどうしたら守ることができるのでしょうか。
 私たちは「ささやかな幸せ」で満足できるのでしょうか。

 そんな様々な問いをメーテルリンクから投げかけられているような気がしてなりません。

 東日本大震災や福島原発事故で、「ささやかな幸せ」を失った人々がたくさんいます。
 私たちはなぜ「ささやかな幸せ」を失ってしまったのでしょうか。

 私は、メーテルリンクの2つ目のメッセージを、「『ささやかな幸せ』を失った理由を考えなさい」と受け取りたいと思います。

 ところで、福島原発事故の問題では、事故の可能性が見えていた人は沢山いたと思います。
 しかし、職場の「言えない雰囲気」に負けて言い出せませんでした。
 周りの雰囲気、つまり同調圧力に、リーダーが負けてしまうと、多くの人々が苦しむことになります。
 反対に、同調圧力に負けずに対応して事故が起きなかった場合、ほとんどの人にわかってもらえません
 しかし、わかってもらえなくても、周りに流されない生き方をしてほしいと思います。
 そのことが多くの人々の「ささやかな幸せ」を守ることにつながるのですから。




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れんこん/奥井
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