御伽草子のころの「一寸法師」/昔話「一寸法師」
れんこんnote 083
御伽草子のころの「一寸法師」
昔話「一寸法師」は、室町時代に作られた「御伽草紙」の中に入っています。
御伽草紙は、室町時代から江戸時代にかけて成立した、短編の物語がたくさん収められている物語群です。
その物語の数は、300~500篇にもなり、身分の低い大衆の間で親しまれた、大衆小説であったそうです。
室町時代ごろに作られた「一寸法師」は、現在流布している話とは微妙に異なります。
室町時代の「一寸法師」を読んで感じたことを綴ってみます。
おじいさんとおばあさんは裕福だった
現代のお話には、おじいさんとおばあさんんことはあまり描かれていません。
貧乏だったように思っていたのですが、裕福で立派な人たちだったようです。
裕福でも子どもが授からなかったので、どうしても子どもがほしかったのですね。
おばあさんは41歳だった
おばあさんは41歳で子どもを授かりました。
当時、41歳はおばあさんだったのですね。
現代ならば、41歳で子どもを授かることはあり得る話ですが、当時では珍しかったでしょう。
おじいさんは一寸法師を化け物だと思うようになった
12,3歳になるまで、おじいさんとおばあさんは一寸法師を育てましたが、背は人の大きさにはなりません。
やがて、おじいさんは「何の罪があってこんな只者ではない、化け物のような子を住吉大明神より授かったのだろうか、呆れたことだ」とつくづく思うようになりました。
そして、おじいさんは「あの一寸法師のやつをどこかへやってしまいたいと思う」と話すようになりました。
一寸法師は、親に化け物と思われ悔しくて、家を出た
おじいさんの話を聞いた一寸法師は、悔しくてどこかへ行ってしまおうと考え、家を出て、都へ上っていったのです。
裕福で立派だったおじいさんは、我が子が可愛くなくなったようです。
親はいつまでも子どもを可愛いと思うものだと信じるのは、現代人の理想主義なのでしょうか。
人の心はコロコロ変わるということを、室町時代の人は冷徹に受け止めていたのでしょうか。
室町時代の庶民は、生き抜くのが厳しかったでしょうから、甘い理想を追わず、現実を見据えて生き抜いていたように感じます。
一寸法師は策略を巡らして姫を妻にした
一寸法師は、姫君を盗人に仕立て上げた上に、姫の継母が姫をいじめているのを上手に利用し、自分のものにしてしまいます。
ずる賢く立ち回る一寸法師を、褒め称えているかのような話の展開です。
ずるくても、上手く立ち回り、生き抜くことがいいことだと言っているようです。
室町時代の人々の何としても生き抜くのだという生命力を感じました。
一寸法師は身分の高い家系
打ち出の小槌を手にした一寸法師は、宮中に呼ばれます。
そこで、自分の素性を帝に話します。
一寸法師のおじいさんは堀河の中納言と言う人の子供であり、誰かの嘘の噂により田舎に流され、そこで生まれた子供でした。
おばあさんは、伏見(ふしみ)の少将と言う人の子供で、幼いときに父母に先に死なれてしまったそうなのでした。
身分が高くなるには、身分の高い家系の生まれ出なくてはならないのですね。
どんな人も先祖を辿れば、身分の高い人とも同じ先祖に行き着きますから、だれもが身分の高い家系の生まれということにしても、間違いではないかもしれません。
おじいさんとおばあさんを都に呼んで大事にする
一寸法師はおじいさんとおばあさんを都に呼んで、尋常でないほどに大切に世話をしました。
見た目が立派な大人の男になったし、お金持ちにもなったし、身分も高くなったので、おじいさんも化け物とは言わなくなったのでしょう。
昔のことは水に流して、親孝行するところは、いいもんだと思います。
人の心はコロコロ変わりますから、正義に固執しないところが、御伽草子のころのいいところだと思います。
御伽草子の一寸法師を読んで感じたことを綴ってみました。