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生きる意味ってあるの?

れんこんnote 006


生きる意味を考える

 生きる意味を考えたことがありませんか?
 私は高校生の頃から時々考えてきました。考える中で気づいたことや納得したことなどについてお話しします。

生きる意味に関する問い

 最初に浮かんだ問いは「生きる意味ってあるの?」でしたが、そのうち、「生きる意味って、自分の中にあるの?それとも、自分の外にあるの?」という問いに変化していきました。

 この問いは、「生きる意味はある」という前提に立っています。

 自分探しが流行ったことがありましたが、自分探しは生きる意味探しと似ていますね。「自分の中にあるの?自分の外にあるの?」と内面を探ったり、旅に出たりします。
 でも、本当の自分も、生きる意味も、見つからないことが多いようです。

 やがて、「生きる意味があるか、ないか」「本当の自分があるか、ないか」という問いの立て方が間違っているのではないか、と思うようになりました。

「青い鳥」が教えること

 チルチルとミチルが登場する「青い鳥」のお話を知っていますか。

 チルチルとミチルは、幸せの青い鳥を探しに旅に出ます。青い鳥を捕まえようとして様々な経験をするのですが、青い鳥を捕まえることができません。家に戻ると、そこに青い鳥がいたというお話です。

 このお話は「幸せは、遠くにあるのか、それとも近くにあるのか」という問いを巡るお話に思えます。
 しかし、このお話の結末では、家にいた青い鳥は逃げていなくなってしまうのです。遠くでも、近くでも、捕まえたと思ったら、青い鳥はすぐに逃げてしまうのです。

 五木寛之さんの言葉「希望とか幸福とかいうものがどこかにすでに存在しているもののように考えるのは間違いだ。ひとりひとりが自分の手で、自分の幸福とか、自分の人生観とか、自分にとっての幸福とかいうものをつむぎだし、作り上げ、それを自分の青い鳥として生きていかなければならないのだ」を知り、納得したものです。

 「幸せは、探すものか、それとも作るものか」という問いを自分で見つけること、そして、答えを自分で考えることを、戯曲「青い鳥」を通して、メーテルリンクは私たちに求めているんだと思いました。

問いは危険物

 五木寛之さんの言葉から、「幸せは、遠くにあるのか、それとも近くにあるのか」という問いには、「幸せはどこかにあるもの」という前提があるということに気づきました。

 二者択一の問いには、隠れた前提があり、問いを受けた者の思考を限定し、誘導しています。知らないうちに誘導されているので、恐いですね。

 ということは、「幸せは、探すものか、それとも作るものか」という問いにも、隠れた前提があるのではないでしょうか。
 「幸せは作ることができる」という前提があるように思えてきました。

 問いは、危険物なのです。
 問いには、暗黙の前提があり、人の思考を限定し、誘導してしまうことがありそうです。

 最近、教育界では、課題解決型学習が推奨されています。さらに、課題解決力よりも課題発見力が重要視され、問う力を引き出し、育てようとする風潮が強まっています。
 正解のない時代に入りつつあり、答えを出す力より、問いを発する力の方が重要だと言うのです。

 でも、問いは危険物です。危険物の取り扱い方も同時に学ばなくては、とても危ない気がしています。

生きる意味を問う

 生きる意味の問い方は難しいですね。

 「生きる意味は、あるか、ないか?」
 「生きる意味は、探すものか、作るものか?」
 「生きる意味は、作るものか、生まれるものか?」
などなど、様々な問い方がありそうです。

 生きる意味を問う旅は、次回へ引き継ぐことにします。

追伸

 五木寛之さんの言葉に興味を持たれた方に、五木寛之著「青い鳥のゆくえ」 (角川文庫)をお勧めします。メーテルリンク著「青い鳥」(堀口大学訳)(新潮文庫)もお勧めします。

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