風穴を開けてしまいましょう!
れんこんnoto 021
息苦しさを感じませんか?
私は、自分で選んだり、放り込まれたり、与えられたりした場で、自分にできることややった方がいいと思ったこと、好きなことをやって、これまで生きてきました。
目的や目標が苦手でしたし、強制することも強制されることも好きではありませんでした。
数学の教科書はつまらなくて、まったくときめかないので、大嫌いでした。
だから、教員の頃、自分で教材を作って授業をしていました。
型にはまった学級経営も苦手で、勝手に学級通信や回るノートで楽しんでいました。
ですから、学習指導要領が苦手です。
日本は法治国家ですから、教育基本法や学校教育法、学習指導要領は守らなければなりません。
でも、学力の3要素から学び方まで決められ、観点別評価で「学びに向かう意欲」まで評価したり、されたりするなんて、息苦しすぎます。
完璧すぎて、窒息しそうに思うのは、私だけでしょうか。
私は、いい加減が良いと思っています。
息苦しさから逃れるために
息苦しさから逃れるためにはどうしたら良いでしょうか。
1つは、「やったふりをする」「やったことにする」方法です。
「一所懸命努力したのですが、ここまでしかできませんでした」と、努力の限界を主張する方法です。
100%を目指さずに、90%を目指す方法でもあります。
この方法は、現場ではよく用います。
教職員の置かれている過酷な現状を見ると、やむを得ない対応だと思っています。
もう1つは、「風穴を開ける」方法です。
例外や別の道を作ってしまう方法です。
例えば、観点別評価とは異なる別の評価を作ってしまうのです。そうすれば、子供たちにとって観点別評価は「one of them」となり、相対的に威力が低下します。
子供たち同士で認め合う「評価」を日々組み入れたり、イベントとして行ったりすることが考えられます。
時々、ディベートなどを行い、「評価」について子供たちに考えてもらうと良いでしょう。
多様な評価を組み入れつつ、評価について考えることで、観点別評価の不完全さや不可能性に子供たちは気づいてくれると思います。
風穴を開けてしまいましょう!!
私は、風穴を開けることが好きです。
閉じた空間に、1つでも風穴を開けると、息苦しさから解放されます。
例えば、教育委員会主導の人事に、校長が求める教員を募集でき、教員が行きたい学校に応募できる制度を作ったことがあります。各学校の人事バランスをとるためには、人事を教育委員会主導で行う必要があります。各教員の希望を考慮して人事異動案を作りますが、校長や教員にとっては閉塞感があります。そこで、風穴を開けたのです。
例えば、高校教員の世界は高校教員だけで閉じていますので、大学の教員と共同で研究、研修する機会を広く設けました。大学教員へ転職する教員がいても良いと考えました。自分は大学教員にならなくても、大学教員になる抜け穴が開いているだけで、息苦しさはかなり減少します。
皆さんは、閉じていて息苦しいと感じるときがありませんか。
息苦しいと感じたら、そこに風穴を開けてみませんか。
息苦しさを感じたら、風穴を開けるチャンスです。
まずは、小さな風穴を開けることに挑戦しましょう。
「できない」から「できる」へ、「できる」から「やらない」へ
文明が発達し、今までできなかったことがどんどんできるようになってきました。
コンビニは、午前7時から午後11時までの営業を誇る時代から、瞬く間に24時間営業が当たり前の時代になりました。
「できる」ようになったら、見境なく「できる」ことによる便利さを追求してきました。「できる」ことによる不便さや息苦しさは抑圧されてきました。
でも、コンビニの24時間営業を見直す動きが出てきています。
これからは「できる」ことでも「やらない」道を選ぶ時代に入っていくと思っています。
そのほうが息苦しくなくなる気がします。
今後、データ駆動社会がどんどん進化し、「できる」ことがどんどん増えていくでしょう。
だからこそ、「できる」ことでも「やらない」と判断することがとても重要になっていく気がしています。
「やらない」と判断することのできる社会は、少し息苦しさから解放されると思います。
追伸
子どもの頃、障子に穴を開けて、母に叱られたことがあります。
なぜかわかりませんが、穴を開けて、穴から向こうを覗きたくなるのです。
壁に穴が開いていると、覗きたくなりませんか。
だから、私たちが住む世界にもあちこちに穴が開いている方が良い、と私は思います。
その方が好奇心を刺激しますし、息苦しくならないで済むからです。
ちなみに、私は「れんこん」が好きです。
穴が開いていて、覗きたくなるし、ちょっと抜けた感じがして安心するのです。
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