自分の「よさ」をどう扱いますか?どう見つけますか?/昔話「花咲か爺さん」
れんこんnote 046
昔話「花咲か爺さん」あらすじ
働き者で心優しい老夫婦が、1匹の白い小犬を拾いわが子同然にかわいがって育てます。
あるとき子犬が「ここ掘れワンワン」と吠えます。
老人が掘ってみると、大判・小判が出てきました。
それを見ていた怠け者で欲張りな隣人夫婦は、無理やり犬を連れ去り、穴を掘らせます。
そこから出てきたのは、期待はずれのガラクタでした。
怒った隣人夫婦は犬を殺してしまいます。
わが子同然の犬を失って悲嘆にくれた夫婦は、死んだ犬を引き取り、庭に墓を作って埋めます。
雨風から犬の墓を守るため、傍らに木を植えたところ、木はまたたくまに大木に成長します。
夢に現れた犬がその木から臼を作るように言うので、夫婦は臼を作り、餅をつくと大判小判が出てきます。
それを見た隣人夫婦は臼を持ち出し餅をつきますが、出てくるのはガラクタばかり。
激怒した隣人夫婦は、臼を燃やしてしまいます。
夫婦は灰を返してもらって供養しようとしますが、再び犬が夢に出てきて桜の枯れ木に灰を撒いてほしいと頼みます。
そこで「枯れ木に穴を咲かせましょう」と言いながら灰を撒いたところ、花が満開になり、たまたま通りがかった大名が感動し、老人をほめて褒美を与えました。
それを見た隣人夫婦がまねをしますが、花が咲くどころか灰が大名の目に入って、隣人は罰を受けました。
「花咲か爺さん」の話を一人の人間の中の話と読み取る
「花咲か爺さん」の話では、働き者で心優しい老夫婦と怠け者で欲張りな隣人夫婦とは、別の人ですが、一人の人間の中にも、働き者で心優しい一面と怠け者で欲張りな一面があるのではないでしょうか。
そこで、「花咲か爺さん」の話を一人の人間の中の話と読み取ってみることにします。
白い子犬は何を象徴しているか?
では、白い小犬は一人の人間の中の何を表しているのでしょうか。
昔話では、白い犬は神様からの贈り物とされることが多いようです。
ということは、白い小犬は、一人の人間に与えられた神様からの贈り物、つまり、その人が持っている「よさ」ではないでしょうか。
自分の「よさ」をどう扱うか?
「花咲か爺さん」の話を、自分の「よさ」をどう扱うかが描かれていると見ることにします。
そうすると、「花咲か爺さん」の話は次のように読むことができます。
人に優しく、コツコツと真面目に頑張っていれば、自分の「よさ」は成長し、幸せをもたらしてくれます。
怠けて欲張ると、「よさ」は発揮されず、うまくいきません。
また、自分の「よさ」は殺されたり、燃やされたりしても、雨風から守ろうと大切にしたり、供養するくらい大事にしていると、様々に形を変えて「よさ」は発揮されます。
自分の「よさ」って何か?
自分の「よさ」は何かと聞かれても、なかなかわかりませんし、自分には人よりいいところなどないように思えます。
しかし、人には一人一人必ず「よさ」があります。
「よさ」は、人の「よさ」をうらやんだり、比べたりするものではなく、人に優しく、コツコツと真面目に頑張っていると、いつの間にか現れてくるもののようです。
自分の「よさ」の見つけ方
「花咲か爺さん」の話を、自分の「よさ」を見つける話と読みましたが、なかなか自分の「よさ」を見つけることは困難です。
なにしろ、人というのは「よさ」よりも「欠点」を見つけることのほうが得意な生き物ですから。
では、どうしたらいいでしょうか。
自分は一人しかいませんが、他人はたくさんいます。
そこで、他人の「よさ」探しも何度もやって、上手になることにしましょう。
「花咲か爺さん」には、働き者で心優しい老夫婦と怠け者で欲張りな隣人夫婦が出てきます。
働き者で心優しい老夫婦の「よさ」を探すのは難しくありません。
そこで、怠け者で欲張りな隣人夫婦の「よさ」を探してみることにします。
隣人夫婦は、いつも隣の老夫婦のまねをします。
まねるということは、「向上心」があるということです。
隣人夫婦は、白い犬のときも、臼のときも、ガラクタばかりで上手くいかなかったのに、3度目の灰のときも試そうとします。
懲りません。
それだけ強欲なのかもしれませんが、「くじけない心」を持っています。
この隣人夫婦は、「向上心」と「くじけない心」という「よさ」を持っているのですから、失敗から学ぶ「素直な心」さえ持てれば、すばらしい夫婦になるでしょう。
自分のなかの「悪さ」と思えるところでも、見方を変えれば「よさ」になるかもしれません。
ところで、働き者で心優しい老夫婦は幸せに暮らしたようですが、隣の老夫婦はどうなったのでしょうか。
次回、隣の老夫婦のその後を想像してみたいと思います。
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