好きでやってるんでしょ!
れんこんnote 012
その通りです。
でも、そんなこと言わないで、一緒に楽しみましょう。
「好きでやってるんでしょ!」に続く言葉
「好きでやってるんでしょ!」に続く言葉は、どんな言葉でしょうか。
「だから、うまくいかないからって、愚痴なんて言うもんじゃないよ」
「だから、忙しいなんて不満を言っちゃいけないよ」
好きでやっている人には愚痴や不満を言う権利はなくて、好きでやっているわけではない人には愚痴や不満を言う権利があると言いたげな言葉が続くようです。
好きでやっているのですから、愚痴も不満も言うつもりはありません。
でも、うなくいかないときや忙しいときには、少しくらい弱音を吐いてもいいんじゃないでしょうか。
好きで生きているわけではない
私たちは好きで生きているわけではありません。
気がついたら生きていただけで、好きとか嫌いとかとは別物です。
だから、生きていることに文句や愚痴を言っても始まりません。
ただ、せっかく人として生まれ、生きているのですから、好きに生きてみたいと思ってしまいます。
好きでやることは自己責任か
好きでやっている人が多数派の時代が来るかもしれませんが、今はまだ、好きでやっている人は少数派のようです。ですから、好きでやっているわけではない人が好きでやっている人をうらやむのはわかる気がします。
だからと言って、好きでやっている人には愚痴や不満を言う権利はなくて、好きでやっているわけではない人には愚痴や不満を言う権利があるとするのは、おかしくありませんか。
「好きでやることは自由の行使であり、自由の行使には自己責任が伴う」という今流行りの自己責任論でしょうか。
やらされていて、自由を行使していない人には、自己責任がないということでしょうか。
「自己責任」って言葉は、あまり好きではありません。
「責任」に「自己」をくっつける必要があるのでしょうか。
「自己責任」があるなら、「他己責任」があってもよさそうですが、「他己責任」という言葉は聞いたことがありません。なぜでしょうか。
自由/不自由、自己責任/無責任
子どもたちは、「将来は、好きなことをやればいい」と言われて、「今は、決められたことを学校で学びなさい」と言われています。
しかも、好きなことをやれば、「結果は、自己責任だよ」と言われます。
子どもたちは、ダブルバインドの状態に置かれています。
どうすればよいでしょうか。
「自由」と「自己責任」を押しつける風潮が、「無責任」な風潮のように思えてきました。
好きでやっている人と一緒に楽しむ
「好きでやる」ことと「責任」をセットにすることをやめませんか。
「好きでやってるんでしょ!」とは言わずに、好きでやっている人と一緒に楽しんでしまいませんか。
カレーライスが好きで好きでたまらない人と一緒にカレーライスを食べる時間は、とても楽しい時間です。
天気予報が大好きな孫に明日の天気を聞くと、自慢げに教えてくれます。天気の本を買ってあげたら、食い入るように読んでいました。そんな孫を見ていると、とてもうれしくなります。
好きでやっている人と一緒にいるだけで、幸せになります。
一緒に楽しめたら、最高です。
それでいい、それがいいと思っています。
追伸
エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を読まなくちゃと思いつつ、先延ばしにしています。
「愛を持って世界と関わることで人は自由の重荷から解放され、自らを救うことができる」って、本当でしょうか。
「自由は確かに時に重い、ただ自由は人を成長させ、人生を彩り豊かなものとしてくれる」と言われても、重たいものからは逃げたいですよね。
でも、逃げずに戦うことが、反骨心を持った人間の使命のような気がします。
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